ボランティアを始めた。
学生時代はボランティアをよくやった。
多分、アフターのお酒🥃🍶が格別だったから。でも、仕事をするようになってこれまであまりボランティアをしなくなった。時間がないから‥❓
普段、人のためにならない仕事なんかないとか言っていながら、人のために無償でやる事はあまりしなくなっていた。


最近、自分の人生の転機がきたからか、なんだか、無性にいろんな世の中のことが気になりだしました。今、何か行動を起こさなければって思う気持ちが強く、ボランティアをはじめてみました。


今、すごくやりがいを感じているのが、山の樹木の整備&植林です。すごく清々しい気分になるのです。


ただ、この前、ボランティアと主催者さんの間でちょっとした議論を交わすことになってしまいました。新参者の私は、やはり、主張することはやめておこうと考え、皆さんの意見にじっと耳を傾けることにしました。


どんな議論が交わされたかというと、この森づくり(正しくは、再生なんですが)、ボランティアさんの力を借りて作業を進めています。
毎回の人数は、さまざまで、2人の時もあれば、10人以上の時もあります。
私は、しばらくの間、継続したいと思っているのですが、私のように長く携わりたいと思っている人もいます。

でも、そうではない人、つまり、なんか自然に関わりたいと思ったといういちげんさんもいたり、遊び感覚で来た人も。
ただ、今までここに来ている人は、ありがたいことに真剣に森の話を聞き、再生のために力を貸してくれる人ばかりで、そういう人は、ほんのひとにぎりだという感じでした。

でも、関わる人の数が多くなって、いろんな考えを持っている人がやってくる。いろんな考えの人がいるから、やっぱり責任の所在とか、ルールとかしっかりさせた方がいい。って切り出した方がいました。もう1人の方も同意見で、やっぱり、文書にして置くとか、そこまででなくても、自己責任でなどはちゃんと話した方がいいのではと。


そんな話を代表の方は、ジーっと聞いていて、悩んでるようでした。
代表としては、少しずつ多くなってきているボランティアさんの気持ちを大事にしたいなとの思っているのかな。
『やっぱりそんなせちがらいことをわざわざいわなくちゃいけないかな。』『自己責任になります。って言わないとだめかな。』とちょっと戸惑いの様子。

自分たちの知識と信念に基づく活動。
これに賛同して集まる協力者。

規則が、取り決めが味方するのか、集まった人の感性や理解して調和しようというエネルギーに期待して進んでいくのか。



自分はいつも、周りが調和して折衷案を取りたいなと思ってしまう。没個性なのかなと悩んでしまう。ただ、でも、みんなが納得して進んでいける方がいい。せっかく知り合えたんだから。

ボランティア活動、いろいろ調べたけど、いやいや、とてもいい記事ばかりだったけど、やっぱり、今活動している人の生の声が1番心に響くんじゃないかな。自分たちがどうしてこの活動をしているのか、どういう思いで森に向かい合っているのか。それを伝えていくことが自分はいいと思った。