FacebookやInstagramではもっとライトな事や宣伝がメインになるけど、ブログでは、もっと深く探究したものや、強く感じてるもの。そして言葉をあまり選ばずに書こうと思って。

今日の思い付きは、人間中心主義について。
僕はどうやら人間中心主義が苦手なようだ。
ということについて。

人間中心の考え方は、こんなに山を削り、海を汚し、野山に動物に薬を振りかけ、虫や菌を嫌い、他の生物や土地や自然を踏みにじり、あてどもない欲望に駆られ、足ることも知らず、結果的に人間の心を虚しくさせることにも気づかない。
人間がヒエラルキーの最上位だとのさばる。
僕はこういう風に捉えている。

僕がそれに嫌悪があるのだろうからこういう言葉使いになるけど、人間中心主義推進者もしくは何も思っていない人からすると、別に大したことないのだろう。
野山を活用し、海まで広く使い、食物の生産量を増やし、余計な生物は減らし、必要な生物は増やし、人間の可能性を最大限に高め、人間が生きやすいように整え、自己実現をはかる。
人間が地球の管理者となって、全ての生物も管理する。

こんなところか?
ただ僕はやっぱり気持ち悪く感じる。

じゃあ人間中心主義の反対はなんだろう。
自然中心主義?宇宙?
ん~感覚としては、多分中心を持たないことのような気がする。
それは後にまた書くと思うから、今はいい。

ただ人間中心主義はやはり凄く狭小な世界観だと思う。
自然を遠のけることで、人間中心主義になっていることにも気づかない。
街に行くと人と人が作ったものしか見えない。
これじゃあ井戸に放りこまれた蛙みたいになっちゃうな、と今日久々に街に出て思った。

人間中心主義はいつからなのだろう。
この国はいつからこんなにも、心が貧しくなったのだろう。
江戸時代以前は、世界中の人々から称賛を得るほど、高い精神性を持ち合わせていていたはずの日本人だったはず。
一体何がそうさせてるのだろう。
まぁこれも思うことはいっぱいあるけど、今はいい。

一昔前の話を聞く機会はあるけど、神社に参拝する以外でも、お日様を見たら手を合わせ、ご飯を食べる前も、助けてもらった時にも、起こった喜ばしい出来事にも当たり前のように、手を合わせ感謝していたと言う。
大いなる自然を畏怖し、目には見えない大いなる存在に、敬意を払い、尊び、常にその存在と心を1つにしていた姿が目に浮かぶ。
それをあたりまえのように、当たり前にやることができた。
慎ましく、腰が低く、足るを知る民。
僕はそういうものを美しいと思う。
神人合一といえるかもしれない。

人間中心主義は、どうだろう。

そして僕が言いたいことはまだここではない。

長くなりそう…(笑)
次に続く。