女が羽衣を奪われたため、天に帰ることができず男の妻となる異類婚姻譚のひとつです。

「羽衣説話」あるいは「白鳥処女説話」として全国に広く分布するお話です。
また、七夕の由来となるお話の一つでもあり、この話型はアジアからヨーロッパまで世界全域で人気が高いとされています。
男が池に行くと、そこでは天女が数人水浴びをしているのでした。
男が垣間見て羽衣のひとつを隠してしまうと、一人の天女が昇天できず、そのまま男と結婚して子供が産れました。
天女の妻は、子供から教えられて、家の中に隠された羽衣を見つけます。
天女は瓜の種を残し、瓜の蔓を伝って天まで昇ってくるように、と書置きを残して天に帰ってしまいます。
夫は天女の妻に言われた通りに天に昇って妻の両親に会いますが、天人である妻の両親は男のことが婿としてどうにも気に入りません。それから妻の両親は、男に畑仕事の難題を次々に出しますが、男は妻の助言で難題をなんとか成し遂げていきます。最後に瓜畑の番をさせられた男は、妻の警告があったにもかかわらず、瓜を縦切りにして食べてしまい、そのことがもとで瓜からは大水があふれだしてしまいます。男はたちまちに大水で川の向うへ流されてしまいます。
妻は流されていく夫に、
「七日ごとに会いましょう」
と告げますが、男はそれを
「七月七日」
と聞き違えてしまい、男とその妻は天の川をはさんで住むことになり、一年に一度しか会うことが出来なくなりました。
七夕の由来とはかくも情けない形で伝えられた思うこの話。
しかし、この由来は日本に限らず、世界各地にみられる伝承なのだそうです。
広く分布した話の中には、さまざまな展開をみせるものもありますが、冒頭の天女の羽衣を盗むというくだりはほぼ一致しております。人間が天女の羽衣を手にすることで、子供が産れたり、富を得たりします。天女は羽衣を返してくれるよう人間に懇願をするわけですが、人間たちは天女に羽衣を返してしまうと、今まで天女の力によって授かった恵みが消えてしまうのではないかと疑ってしまいます。しかし、天女は、人間の世の常識と天人のそれとは違うものだと人間を諫め、結局人間は天女に羽衣を返すという結果となります。
この話から得られる恋愛の教訓とは何かと考えると、それは分相応と言うことかもしれません。
天女の持ち物である羽衣を盗むことから、人間の卑しい本性が現れます。
やがて天女は羽衣を見つけ天に飛び去ってしまいますが、夫は天に昇って天人である両親と面会できるというチャンスを与えられます。しかし、天人の両親が与える難題に対しては、人間の夫にとってなすすべがありません。そこでまたしても妻の力を借りることになるのです。
人間の卑小さが強調されているような書かれぶりです。
ここまではまだよかったのですが、さらに夫は妻の警告を無視して瓜を食べてしまうという失態を犯します。それが元で男は流され、つまり離別となるというくだりは、妻が夫に三下り半を突き付けたとでもいうような結末となっています。さらに!妻はそれでも「七日ごとに会いましょう」という機会を設けているのにも関わらず、夫は聞き違えるという失態に失態を重ねるわけです。一年に一度でも会えるのならまだいい方ではないでしょうか。
しかし、これがあのロマンテイックな七夕の由来とは、少々納得がいき難いものではありませんか?
このお話は天人と人間の異類婚姻譚として括られています。
今度は動物ではなく天人、つまり神との婚姻なのです。
羽衣を奪うということは、良くとれば神との接近ということかもしれません。
しかし、神の言いつけを都合よく守ったり破ったりという人間の我執ぶりが際立つところ、結局は人間の卑小さと神の偉大さをまざまざ知らされるということとなるのです。
この話では、天人と人間は、女と男に振り分けられていますから、やはりこの話も女の話をよく聞き、敬って接すべしとの教訓が見て取れそうです。
特にこの話では、我欲、狭量といった人間、男の卑小さが浮き彫りとなっており、離別の苦しみもまたより人間、男の方に大きい分、後戻りできない後悔を負わないよう、聞く耳を育てることが大事でしょう。
ところで、二人の間にできた地上の子供達はどうしているのでしょうか。
こうしたところをすっとばす感じも、昔話のおもしろみではありますが。