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ねずさんのブログよりの転載です。

https://nezu3344.com/blog-entry-4656.html

 

ご神意に自分を同化させて生きる道のことを「かんながらの道」と言います。
日本人は「かんながらの民」です。
そして日本は「かんながらの国」です。

 

志村立美『初詣』

 

こうした保守的な活動をしていると、皆様とともに神社に参拝させていただくことがよくあります。
ところが最近になって目覚めた方に多いのですが、参拝の作法がわからないという方もおいでになります。
そこで、基本的な神社参拝の作法について、服装、鳥居のくぐり方、参道の歩き方、手水、参拝、玉串奉奠の6つをまとめてご紹介してみたいと思います。

1 服装

神社においでになりますのは、いうまでもなく神様です。
つまり我々からしたら、はるか目上の方です。
目上の方にご挨拶に行くのに、GパンにTシャツということはおそらくないと思います。
ですから基本は正装です。
男性ならスーツにネクタイ、女性も同様にスーツもしくはスーツに準じた服装が基本です。


2 鳥居のくぐり方

多くの神社には、参道に鳥居があります。
この鳥居のところで、まず軽く一礼します。
この一礼のことを「揖(ゆう)」といい、上体を30度ほど曲げた立礼です。
「揖」は、訓読みが「ゆずる」で、相手に対してへりくだる姿勢を意味する語です。
ちなみに拝殿の前での参拝時の礼は「拝」といって、こちらは90度に腰を曲げます。

この両者を合わせて「拝揖(はいゆう)」と言います。
お辞儀には45度のものもあります。
これは神社などでは、祓いを受けるときなどに行います。

呼び方としては、
 90度の礼 拝(はい)
 45度の礼 深揖(しんゆう)
 30度の礼 小揖(しょうゆう)
と区別されます。

鳥居は、神社によっては、鳥居のない神社もあります。
この場合は、神社の境内、つまり御神域と外を分ける建物などのところで「揖(ゆう)」を行います。
では、伏見稲荷の千本鳥居ように、鳥居が連なっている場合はどうするかというと、入り口のところだけで一礼すれば良いようです。

なお、お正月や例祭のときのように、参拝客が多いときは、のんびりと鳥居のところで「揖(ゆう)」をしていると、後ろから来る他の参拝客とぶつかってしまうことがあります。
この場合は、立ち止まらずに、軽く頭を下げるだけで鳥居を通ります。

 

3 参道の歩き方

神社では中央のことを「正中(せいちゅう)」と言って、その空間は神様のために用意された空間とされます。
ですから参道の中央も「正中」ですから、そこは神様の通り道なので、人は中央からすこし離れた脇を歩きます。
これは鳥居をくぐるときも同じで、中央を通らず、両脇に寄って通ります。

靖國神社への御参拝の方の多くは(というかほぼ全員)、いわゆる保守系のタイプの方々であろうと思います。
けれど、その中の多くの方が、参道の中央(正中)を堂々と歩き、また大鳥居等のところで、少し脇に寄っての小揖がありません。

もちろん、我が国では、そうした参拝の基本所作ができていないからと、責める人は誰もいません。
また神社は信仰の対象ではなく、感謝を捧げ、自らの霊(ひ)を浄化するとこですので、ここでご案内している所作も、参拝のルールではありません。
所作は、あくまでも「昔からのしきたり」であって、自分がどのようにするかは、その人の自由です。

ただ、たいせつなものは、ただ「たいせつだ」と思っていさえすれば良いと言うものではなく、自分がたいせつに思う気持ちが、後世にもずっと繋がっていかなければなりません。
それがおそらく「神社をたいせつにする」ということだと思うのです。

人は木の股から生まれて、死んだらそれで終わりというものではなく、幾千万の御祖先の営みがあり、その果てに自分があり、そして自分はまた未来の幾千万の子孫たちにとっての祖先となる身です。
ですから私たちの祖先は、たいせつなものを、たいせつに思う気持ちを、ひとつの型として後世に伝えてきてくださっていたのだと思います。
それが、参道の正中を歩かないとか、鳥居のところでも小揖を行うといった「しきたり」になっているのだと思います。

その意味で、やはり私たち自身も、祖先がたいせつにしてきた型を、たいせつにしていくことではないかと思います。

4 手水(ちょうず)の取り方

人は、普通に暮らしていても、自然と穢(けがれ)が溜まってくるものです。
穢れたままで神様に会いに行くのははばかれますので、手水舎で手と口をゆすぎます。

手水は次のように行います。
1)右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、水を汲んで左手にかけ左手を清める。
2)柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清める。
3)柄杓を右手に持ちかえて、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ。
4)口をすすいだ左手に水をかけて流す。
5)残りの水が入った柄杓を立てて、柄に水を流して洗う。
6)柄杓をもとあった場所に伏せて置く。

まれに、柄杓に口をつけて口をゆすぐ人がありますが、これはよろしくありません。
あくまで左手に水を受けて口をゆすぎます。


5 参拝の仕方

本殿にはたいてい階段があります。
階段をのぼったところで、軽く一礼(小揖)をして、賽銭箱の前に進みます。
お賽銭を入れて、鈴があるときは鈴を鳴らします。(鈴がないときは省略)

お賽銭ですが、金額に決まりや制限があるわけではありません。
ご自身のお志でOKです。

次に「二礼二拍手一礼」の拝礼をします。
この拝礼は、神社によっては四拍手であったりもします。
これはその神社の慣習に従います。

二礼二拍手一礼は次の手順で行います。

1)深いお辞儀(拝)を二回繰り返す。[ 二礼 ]
2)両手を胸の高さで合わせ、右手を左手の第一関節まで少し手前に引き、肩幅程度に両手を開いて拍手を二回打つ。[ 二拍手 ]
3)両手をきちんと合わせて、心を込めて祈る。
4)両手をおろし、深いお辞儀(拝)をする。[ 一礼 ]

3)の祈りも、参拝客が列をなしているようなときは、短めにすっと念を込めるくらいにしておきます。
大丈夫。
いちいち言葉にして祈らなくても、神様は全部ちゃんとわかっていらっしゃいます。

なお、この拍手について、神社での参拝などでは、普通に拍手しますが、慰霊碑のような場所での鎮魂の祈りの場合は、両手を合わさず拍手のふりだけをします(つまり音をたてない)。


6 玉串奉奠

正式参拝で、玉串の奉納をすることを正式には「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」と言います。
「玉串」というのは、榊(さかき)の木の、葉の付いた小枝に紙垂(しで)や麻を結びつけたものですが、榊は神様が宿る木とされます。

まず神職の方から、玉串を渡されますので、これを両手で受け取ります。
このとき、玉串の根元を右手で上から持つようにし、左手は玉串の上の葉のほうを下から手を添えるようにして受けとります。

玉串を受け取りましたら、玉串の葉の方を少し高くして胸の高さに持ち、ご神前に進んで玉串台の前まで進みます。
そこで一礼(小揖)します。

次に玉串を時計回りに回して、玉串の根元を自分の方に持ってきます。
葉先の方にあった左手を、根元に下ろします。

こうして玉串を立てた状態にして、目を閉じて祈りを捧げます。

次に右手を玉串の葉先の方にずらして、玉串を時計回りに回し、玉串の根元を御神前に向けます。

玉串の根元がご神前を向いたら、左足から一歩前へ進み、次に右足もそろえて姿勢を正します。
玉串台に玉串を置きます。

次に右足から一歩下がり、左足をそろえて姿勢を正したら、一礼(拝)をして席に戻ります。


 ***

以上、参拝の作法をあれこれをご案内しました。
文字にするとあれこれあってやっかいそうですが、youtubeの動画でもたくさん作法の紹介動画がありますので、ご覧いただいたら、すぐに覚えられますし、実際にやってみると、そんなにやっかいでもありません。

日本のおもしろいところは、こうしたすべてが「作法」として定着していることです。

「作法」は、決まりではありません。
強制でもありません。
ましてや命令でもなければ、契約でもありません。
あくまで作法であり心得です。

我が国では大切なことは、こうして作法にして定着させるということが古代から行われてきました。
命令でも強制もありませんから、神社での参拝が作法通りでなかったからといって、逮捕されることも勾留されることも、罰金を取られることもありません。

けれど、その作法によって、所作は美しいものとなり、作法を通じてその意味を理解することで、大切なものは何かが自然と定着するようになっています。
それが、諸外国にはない、日本の流儀です。

これが可能になったのは、我が国の天皇が万世一系であり、ご皇室の尊厳が、そのまま我が国の最高権威となり、国家権威よりも上位にあって、かつ、その最高権威が民衆を最高の宝である「おほみたから」としたという、我が国の根幹をなすという、我が国固有の体制があるからです。

そうでなければ、できないのです。
国のトップが政治権力者であったり、国の富を人口のわずか1%の大金持ちが寡占し、その富者が政治を裏から牛耳るといった政治体制のもとでは、民衆は常に逆境に置かれるわけです。
どのようにきれいに偽装したとしても、政府はただ民衆から収奪をするだけですから、いざとなれば、たとえば天然の災害でも起ころうものなら、民衆は自分の生命や財産を護るために武装し、一斉蜂起し、暴動を起こします。
なぜならそうするしか、身を護る方法がないし、常にそこまで生活が追い詰められているからです。

国の富が民衆に分散され、特別な大金持ちもいない代わりに、超のつく貧乏人もいない。
誰もがそれなりに真面目に働きさえすれば、確実に中流の(つまり人並みの)生活を送ることができる。
民衆が総中流化しているうえに、いざ災害などの天変地異が起これば、必ず政府が被災者のために行動を起こしてくれる。
そして政治が被災者のために行動を起こすのは、それが国家最高権威によって政治権力に与えられた役割になっている。
そういう社会体制が、何百年、何千年と培われてきたからこそ、日本では災害時に暴動が起こらないのです。

そしてそういう社会体制が根幹にあるからこそ、政府も、神官も、ただ「これが作法ですよ」というだけで、民衆は黙って、それに従う。
これこそ人類が希求し続けた、究極の社会体制と言えるものなのではないでしょうか。
そんな国を日本は築き続けたのです。

私達が取り戻そうとしている日本は、そういう日本です。
このことに反対し、あるいは攻撃を繰り返す人たちというのは、どういう人たちでしょうか。
日本の治安が悪化し、悪党がはびこり、民衆が収奪される世の中を求めているのでしょうか。
そうであるなら、それは、日本にとっての害毒というだけでなく、人類にとっての敵です。
そして神々は、そのような人たちを決して許すことはないと思います。

ご神意に自分を同化させて生きる道のことを「かんながらの道」と言います。
日本人は「かんながらの民」です。
そして日本は「かんながらの国」です。

ただ、ここまで書いた上で、ひとつ申し上げたいことがあります。
それは日露戦争における日本海海戦を我が国の大勝利に導いた秋山真之(あきやまさねゆき)の言葉です。

「細心蕉盧は計画の要能にして、
 虚心平気は実施の源力なり。
 天剣漫録より事の成敗は天にありともいえど、
 人事を尽くさず天と天と言うことなかれ」


けだし名言だと思います。

 

お読みいただき有難うございます。

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