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ねずさんのブログよりの転載です。

http://nezu3344.com/blog-entry-4333.html

 

世の中には、言ったこと、約束したことさえも、言ってない、約束していないと嘘をつく国もあります。そのあきらかな嘘を、相手に配慮しながら婉曲に「嘘です」と言っている自国の政府と、どちらが正しいのかさえわからない報道をしている、おかしなメディアもあります。
そんな日本から、一日も早く脱皮するには、日本人が覚醒していかなければならないと思います。

 

 

江戸の寛政時代、相撲界を代表する名力士の雷電(らいでん)と、名横綱小野川の取組みで、雷電の寄りを土俵際こらえた小野川が、起死回生に雷電を土俵の外にうっちゃり、両者ともに土俵下に転落するという一番がありました。
軍配は寄った雷電です。
ところがこのとき、小野川を抱える久留米藩の藩士が、刀に手をかけて土俵に駆け上ると、
「いまの一番は行司の差し違いで小野川の勝ちである。
 軍配を差し戻さなければ斬る」
と行司を脅しました。

さからえば行司はその場で斬り殺されます。
会場に緊張が走りました。
しんと静まり、みんなが固唾をのんで、行司の采配を待ちました。

行司は軍配を手にすると、その抜刀した久留米藩士の前で高らかに、雷電の勝ち名乗りをあげました。
それを聞いた観客は、大喝采。
久留米藩士は、帰って行きました。

たとえ体の小さな行司であろうと、たとえ抜身(ぬきみ)の刀を見せられようと、正しいと思うことには一歩も引かぬ。
そういう気概と気迫を常識としていたのが、かつての日本人でした。

こうした気概や気迫は、明治になってから政府が主導する脱亜入欧の世の中においても遺憾なく発揮されました。
それが、いわゆる「明治の気骨」です。
政治が何を言おうが、外国が何を言おうが、正しいと思うことには一歩も引かぬ。
それが日本人の魂であったわけです。

 

こうした日本人の精神は、先の大戦のときにも発揮されました。
こんな話があります。

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【勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人】

大東亜戦争の頃、Mさんというインド人の若者がいました。
Mさんはインド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮名)という軍人の下で訓練を受けたそうです。
新藤さんは、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で
「インド人に似ているから、
 お前のあだ名はインドさんだ!」
とおもしろがって呼ばれていました。
またMさんたちも、あだ名と、名前の発音がインドの古称である「シンド」と似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれていました。

新藤さんの訓練は、とっても厳しいものでした。
Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも日常茶飯事でした。
でも訓練が終わると新藤さんは、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、愛される上官でした。

いよいよ訓練が終わり、インパールの戦いに赴くことになりました。
その時Mさんたちは新藤さんの部下として、作戦に参加することになりました。
激戦の中、新藤さんの部隊は、強力な英国軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回してジャングルの中を進んで英国軍の背後を突くように、という命令を与えられました。
しかし攻撃前に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けてしまいました。

気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名だけでした。
みんな恐怖で逃げ散って、かろうじて生き残った者ばかりです。
英国軍に見つかれば殺されると怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤さんが合流しました。
そして「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げました。

ですが武器も食糧も水もろくにありません。
合流しようとする本隊さえ、どこにいるかわかりません。
あたりには、敵兵がうようよいます。
なので移動は夜中しかできません。
そんな中でも、重傷の新藤さんは、怯(おび)えるMさんたちを 励ましてくれました。
そしてみんな、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよいました。

数日後、食糧も水も尽き、新藤さんの病状も悪化し、いよいよもうダメだとMさんたちが覚悟した時、最悪なことに10人ほどの英国軍の小部隊が近づいてきました。
新藤さんは、Mさんたちに告げました。

「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。
 だが諸君はなんとしても生き延びて、
 インドの独立のために戦いなさい」

新藤さんは、うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせました。
そして「ガンバレ!」と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、英国軍に向かって駆け出しました。

何歩も行かないうちに、英国軍の機関銃に頭を撃たれました。
鉄兜をはね飛ばされ、その場に倒れました。
それでも、新藤さんは跳ね起きると、小銃を構えて英国兵に襲いかかり、銃剣で3人を刺し殺しました。
そしてなおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤さんに恐れをなした英国兵は、武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていきました。

英国兵が逃げ去って始めて、新藤さんはその場にばったりと倒れました。
敵兵が去った後、新藤さんに駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたために、頭が半分無くなってしまった新藤さんの変わり果てた姿でした。

Mさんたちは、新藤さんの遺体を囲んで泣きました。
日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは怯えて見ているだけだった。情けない。これからは勇敢に戦い、新藤さんが願ったように、生き延びて、インドのために命がけで働こう、と誓いあいました。
そして新藤さんの遺品である銃やお守りを手に、英国軍の残していった武器や食料をみんなで分け合い、その場を離れました。

新藤さんの死から、10日以上も山中をさまよいました。
一行は小さな集落にたどり着き、その住民に助けてもらって、ようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できました。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻ったことでしょう。

そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真。。。新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真。。。が入っていたそうです。
小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを守ってくれた新藤さんの勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。

そして、終戦。

最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は
「私たちと一緒にいると、
 君たちは英国軍に捕まってしまうから、
 身分を隠して故郷に帰りなさい」
といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれました。
そして「インド独立の約束を果たせなくてすまない」と涙を流して頭を下げたそうです。

戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合って、新藤さんの最後の言葉「ガンバレ!」を合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働きました。
Mさんは軍人として大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を修めていきました。

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このお話は、もともとが古い時代の聞き語りで、話した本人も、聞き覚えた人も、幼い頃の記憶に頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。
口伝てに伝わった古い記憶をもとに編集したものですので、戦史に詳しい方から見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。
その点をご理解頂ければ幸いです。

そうそう、この話にはちょっとオカルト的な余談があります。

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新藤さんが死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中に新藤氏が出てきて、
「敵襲!」
と叫びました。
みんながはっとして目を覚まし、跳ね起きて藪の中に身を潜めたのですが、そのMさんたちのすぐ近くを英国兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。

その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤さんが現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。
Mさんたちは、死んで魂になった新藤さんが自分たちを守ってくれていると信じ、夢の警告に従って、ひとりの死者を出すことなく生き延びることができました。
戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤さんは何度もMさんたちの夢に現れ、様々な危険を教えてくれたそうです。

霊のお告げというのは、理屈を言えば「Mさんたちの疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤さんの姿を借りて警告を発した」と考えるのが合理的です。
けれど私には、亡くなった新藤さんの魂が、最後まで見守っていてくれたのだという説明の方がしっくりするような気がします。

さて、以上、インド人の知り合いから聞いた、昔々の英雄譚でございました。

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この余談は、ねずブロの2009年11月24日の「臨死体験」という記事のコメント欄に、名無しさんがご投稿くださったものです。

世の中には、言ったこと、約束したことさえも、言ってない、約束していないと嘘をつく国もあります。
そのあきらかな嘘を、相手に配慮しながら婉曲に「嘘です」と言っている自国の政府と、どちらが正しいのかさえわからない報道をしている、おかしなメディアもあります。

そんな日本から、一日も早く脱皮するには、日本人が覚醒していかなければならないと思います。
そのために必要なことは、日本人が日本人の原点を知ること。

新著 『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』は、そんなお役に、きっとたってくれる本です。

 

お読みくださり有難うございます。

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