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ねずさんのブログよりの転載です。

http://nezu3344.com/blog-entry-4268.html

 

日本の様々な古代からの知恵が、これからの21世紀の世界を築く、手がかりに、必ずなっていきます。私達は、その日本人です。

 

 

情報化が促進されるようになると、民衆は自分たちが働けど働けど、その富が自分たちに蓄積されるのではなくて、どこかに吸い取られていっていることに気づくようになります。
なにせ国富(年間に生まれる付加価値)の半分を、所得上位1%が丸取りしてしまうのです。
もっとも人口の多い低所得者層は、常に貧困にあえぐことになります。

社会の仕組みが、それしかないということであれば、人々は所得上位1%の一員になろうと努力することになるでしょう。
あるいは積極的に、その上位所得者に近づいて、その富の分前にあずかろうとするかもしれません。
しかしどんなに苦労したとしても、このシステムによって人々のすべてが安心して暮らせる世の中は決して来ないということが、いずれ明らかになります。

このことは日本に限らず欧米でもチャイナでもコリアでも同じです。
一部の人たちの贅沢三昧な暮らしのために、他の多くの人の生活が犠牲になる。
そのことは、これまでの世界のように、情報が一部のメディアから垂れ流されるだけの社会では通用しましたが、情報が広く人々に拡散され、情報の相互交流が活発になるこれからの世界では、おそらく通用しなくなるであろうといわれています。

つまり世界は、新たな情報化社会下における富の配分を、従来の仕組みから再構築していかなければならない状況に至っているといえます。
このことは、王権による支配が、民衆の世紀へと変化した18世紀以来の、最大の世界の構造変化を予期させるものです。

ひるがえってわが国をみると、たいへんに面白いことに気付かされます。

 

たとえば現代社会では、ネットの普及によって、社長と一般社員が直接交流するということがごく普通に行われるようになりました。
このことは、たとえば著名な政治家や芸能人の場合でも同じで、内閣改造前に外務大臣をされていた河野太郎大臣が、Twitterで一般の人の恋愛相談にも乗っていたというのは有名な話です。

このようなことは、一昔前、たとえば筆者が現役のサラリーマンだった30年前には考えられないことでした。
社長の前に出たときなどは、もう緊張しまくりで、対等に口をきくなど、ありえないことでもあったわけです。

ところが、なんと飛鳥時代、つまり奈良平安の時代よりももっと前の時代において、わが国では、国政のトップにある人と、一般人がごく普通に交流するということが、実は、普通に行われていました。
たとえば万葉集に、大伴旅人と、児嶋という若い女性の交流の歌があります。
太宰府から京都へと旅立とうとする大伴旅人(太宰府の長官です)に、一般女性の児嶋がお別れの歌を贈ります。
その歌を手にした大伴旅人は、馬を停め、行列を停めて、児嶋に歌を返すのです。

この故事について、大伴旅人と児嶋は深い関係にあったのではないかと邪推している馬鹿者がありますが、もし仮にそうであったのなら、大伴旅人は私的な理由で行列の付き人たちを待たせたことになります。
しかしそのようなことをすれば、付き人たち(気の荒い太宰府の防人たちです)の気持ちは、大将である大伴旅人から離れてしまうことでしょう。
なぜなら、その付き人たちも、それぞれ別れを経験して、その旅に同行しているからです。
一軍の将帥として、兵たちの気持ちを損ねるような真似は、わが国では、古今東西、できないのです。

このように、将帥の立場や、あるいは大臣の要職にある人に、一般人が直接、和歌を通じて交流するということは、わが国では飛鳥時代の昔から行われてきたことですし、幕末においても、水戸藩の黒沢登幾(くろさわとき)が、孝明天皇に、徳川斉昭公の謹慎解除を和歌で直訴を行った事例もありました。

社会秩序の上での身分は身分。
和歌は庶民も権力者も国家最高権威の天皇も、等しく人として詠むものであって、だから和歌を通じて、社会身分や社会階層とはまったく別な、人と人との心の交流ができるようになっていた、というのがわが国の古来からの仕組みであるわけです。

このことは、ある意味、昨今新たに始まったネットによる情報化社会を、わが国が1400年もの昔から、すでに先取していたということができます。

わが国で、なぜこのような仕組みができあがったのかといえば、その理由は簡単です。
わが国が天然の災害多発国家だからです。
天災の前に、身分の上下などありません。
むしろ、身分は低くても、大工さんや土方さん、屋根職人さんなど、災害復興の技術を持った人たちのほうが、はるかに貴重です。
さらに、災害時の食料の備蓄は、これはもう死活問題として大事な事柄です。

そもそもわが国がどうして稲作国家となっていったのかといえば、冷蔵庫のなかった時代において、稲だけが、数年の長期の食料保管に耐えることができたからです。
天災は、いつ襲ってくるかわからない。
だから、平時において、いつ災害があっても大丈夫なように、稲を蓄えたのです。

お米は平野部で作ります。
ですからお米をつくる人々が住む村も平野部にあります。
しかしお米の保管場所が平野部だと、水害のときに全部水に流されてしまいます。
ですから村では、地盤が硬くて風通しの良い山の上に、高床式の建物を作って保管しました。
そしてその保管にあたっては、最も信頼できる存在に、その保管を託しました。
それが村の神様です。
そして、その保管場所となっていたところが、後に神社と呼ばれるようになりました。

けれど、村の備蓄米も、村が数年にまたがって凶作が続いたり、地震や水害、土砂災害等で米の備蓄が足りなくなったら、他から融通してもらわなければなりません。
これを円滑に行うためには、地域の主となる豪族に、お米のいち部を預け、豪族自身がお米の備蓄をするとともに、万一、管轄エリア内のどこかの村が凶作になれば、他の村から豪族の指示によってお米を回してもらうという体制を築く必要があります。
また、河川の堤防作りや、大規模な土地開発などは、村単独では財も人も足りません。
そういう大規模な事業は、豪族たちが取り仕切るようになりました。

この豪族が、後に地方の大名となっていきます。
大名というのは、大名主の略です。

しかし日本という災害大国では、これだけでもまだ災害対策には不十分です。
というのは、たとえば九州全域が凶作や災害によって被災した場合、豪族の管轄エリアを超えて、被害が広がっていることになるからです。
そこで、このための対策として、中央から国司が送られるという制度ができました。

国司というのは、いまの県知事さんですが、県知事を県内で選挙で選んだら、県知事同士の交流ができません。
中央の朝廷から国司を派遣した場合、全国の国司は、互いに顔見知りのわけです。
そして中央によるコントロールが効きます。
そこでたとえば九州で凶作が起き、一方、東北が豊作であったなら、東北から九州にお米をまわしたのです。
これを円滑に推進するのが、国司の大きな役割でした。

国司は、いまでいったら徴税使といった仕事もありましたが、全国の武装した豪族たちが、なぜ非武装の国司に税を支払ったのかと言えば、答えは簡単で、その支払う税は、いざというときのための災害保険の意味があったからです。
そして多くの場合、支払った以上に、お米を回してもらえることが多かったのです。

国家最高の存在が政治権力者ならば、その国会最高権力者は、同時に国家最高無責任者になるということを、先日来お話させていただいています。
権力は必ず責任を伴うのです。
しかし権力が国家最高の存在となれば、その存在は決して責任を取ることはありません。
つまりそれは国家最高無責任者ということです。

そこでわが国では、国家最高権力者の上に、国家最高権威を置きました。
権威の存在があり、その国家最高権威が民衆を大御宝とすることで、権力者の地位は、責任を持って民衆に奉仕する地位へと変わります。

こうした日本の様々な古代からの知恵が、これからの21世紀の世界を築く、手がかりに、必ずなっていきます。
私達は、その日本人です。

 

 

 

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