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国際派日本人養成講座よりの転載です。

http://blog.jog-net.jp/201507/article_5.html


なんとしても患者を救うという使命感と報恩の心が「医師道」の原動力。

■1.「天皇陛下がご健康になれば、国民も喜ぶ。みんなが元気になる」

 近年の医学の発達ぶりには驚かされる。78歳の天皇陛下が心臓手術を受けられたのが平成24(2012)年2月18日。3月4日に退院された陛下は、3月11日には東日本大震災一周年追悼式にご出席、5月16日からはロンドンでの英女王ご即位60周年の式典に参加されるというご活躍ぶりだ。

 陛下のご病気は、心臓を取り囲むように走って心筋に酸素を供給する冠動脈が流れにくくなり、胸が締め付けられるように痛む狭心症だった。手術はその冠動脈に別の血管をバイパスとして繋いで血流を良くするというもので、日本屈指の心臓外科医と言われる順天堂大学医学部の天野篤(あまの・あつし)教授が担当した。

 天野医師は手術後に、バイパスの血流が勢いよく流れた瞬間に「自分としても、このうえなく満足のいく結果だった」と述懐している。

 退院の直前には、陛下にこう申し上げた。

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 手術をした血管は血流がとてもよい状態で、これから20~30年は大丈夫です。同年齢の方が日本に何人いるかわかりませんが、血流状態に関しては10指に入る心臓だと思います。[1,p62]
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 傍らにおられた皇后陛下が、「それはようございましたね」と、嬉しそうに言われた。

 天野医師が、手術の翌日、新宿方面に出かけ、帰り道、病院で当直をしている医師たちにお弁当を買っていこうとデパートの食品売り場に立ち寄ったら、知らない人から次々と声をかけられた。「先生、ご苦労様でした」「ありがとうございました」

「天皇陛下がご健康になれば、国民も喜ぶ。みんなが元気になる」ということを身をもって実感したという。


■2.宮本武蔵を彷彿とさせる

 天野医師の著書『一途一心、命をつなぐ』[1]を読んだ旧知の先生から、次のような便りが寄せられたという。

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 医師として患者さんの命と向き合う毅然とした心と熱い愛情と心遣いをひしひしと臨場感をもって感じ取ることができました。(中略)

私は、宮本武蔵に関わる著書は (井上雄彦のバガボンドを含め) 殆ど読破しているつもりですが、剣の道を人生の苦悩と人の命と正対することで極めていく求道者として書画も極める武蔵に先生が重なるような思いに駆られています。「自らを高め、剣先をさらに鋭く磨きあげていく努力を続けたい」とする鋭い気迫が武蔵を彷彿とさせます。[2,p194]
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 確かに天野医師の技術の追求の姿は、宮本武蔵を彷彿とさせる。たとえば、天野医師はオフポンプ手術という手法を日本に導入したパイオニアである。従来は手術の際に心臓を一旦止め、その間は人工心肺装置を使って血液を送り込んでいた。

 オフポンプ手術とは、人工心肺装置を使わずに、心臓を動かしたままで手術をする手法である。これにより、患者の負担が軽くなり術後の回復が早くなる、脳梗塞などの合併症が起こるリスクも低くなり、高齢者や持病のある人への手術も可能となる。

 しかし、心臓を動かしたまま、その表面に張り付いた冠動脈に別の血管を繋ぐには高度な腕がいる。

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 心臓が動いている状態でどうやって手術するのかと不思議に思うかもしれないが、要は「集中」と「慣れ」だ。神経をグーッと研ぎ澄ませていくと動いている心臓が瞬間、止まって見える。出血していても、血が出ていないほんの一瞬がわかる。そのタイミングを見計らって、すかさず針を通す。[1,p148]
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 吉川英治の描く『宮本武蔵』では蠅を箸で捕まえるシーンが出てくるが、それを思い起こさせる話である。


■3.「心臓外科手術は決闘」

 宮本武蔵は29歳までに60余回の決闘をして、一度も負けなかったという。天野医師はこう語る。

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 心臓外科手術に望む心境をたとえるなら、昔、決闘に向かった人々の気持ちと同じではないだろうかと感じることがある。勝負を挑み、いずれか果てるまで闘う。宮本武蔵もそう。戦国の武将もそう。[2,p197]
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 外科手術は閻魔さまとの決闘だ。剣豪が決闘に負ければ自らの命が失われるが、心臓外科医が負けたら、患者の命は閻魔さまに持って行かれる。剣豪の決闘も心臓外科手術も真剣勝負である。

 だから天野医師は手術件数と手術死亡率にこだわる。手術件数が多いことは、それだけ多くの人々の命を救う決闘の回数だし、手術死亡率を減らすことは、閻魔さまに対する勝利を増やすことだ。

 心臓外科医として25年余りで、6千人を超える患者の手術をしてきた。その中で50人ほどは命を助けられなかった。

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 今も亡くなった患者さんの顔が、事あるごとに浮かんでくる。病室や手術前の表情、交わした言葉、残された家族の方々...。その命をこの肩に背負って運び続けたかったのに、できなかったという悔しい思いが残る。・・・

 もちろん、全力は尽くした。懸命に閻魔さまと闘った。しかし、それでも助けられなかったのは事実だ。なぜ助けられなかったのか、どうしていれば救えたのか。敗北の原因を必ず分析して、その結果を今後に生かすようにしている。

二度と同じ結果は招かない。絶対に無駄にはしないぞと心に決めている。亡くなった患者さんたちのことは、そうやって死ぬまでずっと引き摺っていく覚悟でいる。[1,p31]
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■4.つねに「完璧な完成度」を目指す

 決闘に勝つためにも、天野医師の日頃の修練は凄まじい。たとえば、手術での糸結び。若い頃に、正確で速い糸結びが重要と教わって、暇さえあれば糸結びの練習をした。1分間に90回、繰り返し結ぶことができるようになった。それも患者の体内の深い所での結び方、片手しか入らない時に行う結び方など、さまざまな状況での結び方がある。

 しかし6千人以上も手術をしても、技術を磨く道には行き止まりはない。

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 むしろ、そこから先も私は、まだまだ成長していると思っている。血管のつなぎ方ひとつにも、それまでの「しっかり堅固に縫う」から、ときには「あえて緩く縫う」ことができるようになった。しなやかさを残して縫合することで、手術後の回復に良い結果が出ることもある。[1,p152]
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 前述のオフポンプ手術も、こういう日頃の技の追求からもたらされたものだろう。

 天野医師は、他科の先生から「手術、飽きないの?」とよく聞かれる。すると「飽きることはありません」と即座に答える。

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 医療に限らず、自分で選んだ仕事をしていて自分の行っていることに「飽きる」という感覚があるとしたら、中途半端に妥協していることにほかならない。それは「このぐらいでいいだろう」という甘えにもつながっているからだ。

 自分の行っている仕事につねに「完璧な完成度」を目指し、そこをひたすら求めていく限り、飽きるということはまったくない。[2,p152]
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 一人でも多くの患者を救うために「完璧な完成度」を求め続ける一途な姿勢が、宮本武蔵のような求道者を思わせるのだろう。


■5.武士道と「医師道」

「武士道という言葉があるように、私は『医師道』というものもあると信じている」と天野医師は語る。[2,p13]

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 医師となったからには、「医師道」をもって医師の道を究めたい---。・・・

 私は、武士道を次のように理解している。

「他の人々と共存し、支えあって自分の位置を築いている。だが、ひとたび、“いざ、鎌倉”となれば、武士は身を投げ打っても、人々のために尽くさねばならない。

 これは医師の道も同じである。

 ひとたび医師となったからには患者さんのために、すべてがある。医師にとっての「いざ、鎌倉」は患者さんが医師に助けを求めたときである。[2,p239]
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 毎日、手術に取り組む天野医師は、毎日が「いざ、鎌倉」である。まさに常住戦場だ。毎日、助けを求めてやってくる患者をいかに助けるか、その使命感があるからこそ、「完璧な完成度」を求めて技を磨くのである。


■6.「父を引っ張っていった閻魔さまと戦ってやる」

 こうした使命感を持つに至ったのは、若い頃に父親を心臓弁膜症で亡くした体験からである。父親は3回の手術を受け、その3回目の手術でトラブルが重なり、天野医師の目の前で亡くなった。

 3回目の手術は父親の家に近い病院で受けたのだが、心臓を補助していた人口心肺装置が外せなくなったり、下半身への血流が途絶えたりと、心臓の手術をする上で、「これだけはしてはいけない」というようなトラブルが、5つも6つも立て続けに起こった。

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 あの手術室の中で、父は「心臓外科として、もうこれだけは絶対にやるなよ」というトラブルやミスを自分の体で僕に見せてくれた。命と引き換えに教えてくれた。・・・

 父の命には手が届かなかったが、その代わりに、これからたくさんの患者さんの命を救っていく、待っている家族に届ける。それが、自分に課せられた使命なのではないか。

 父を引っ張っていった閻魔さまと戦ってやる....。

 その気持ちが、心臓外科医として猛進していく原動力になった。[1,p123]
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■7.「自分が受けた恩恵を世の中に返したい」

 医師道のもう一つの原動力は「自分が受けた恩恵を世の中に返したい」という報恩の心である。

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 私は父の心臓弁膜症がきっかけとなり、医師への道を歩み出した。父は3度目の心臓手術の後、帰らぬ人となったが、そこまでには多くの医療の恩恵を受けてきた。私自身も直接に、間接に診察や手術などで医療の恩恵を受けたことで、今の自分があると思っている。
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 しかも、医師になる過程で家族や世の中から多大の恩恵を受けている。親に育てられ、学校の教師から教わり、大学では、国立大学はもちろん私立大学の医学部も、国から相当の助成を受けている。

 医師となってからも、恩師や先輩医師、そして患者からも様々に教えられ、諭され、叱られ、励まされて、一人前に育っていく。自らが受けた恩恵を広く世の中に返したい、という初心があれは、情熱は自然と出てくる、と言う。


■8.「世のため人のためになってこそ価値がある」

 使命感と報恩の心で世のため人のために尽くしていく。その道は「医師道」に限らないと天野医師は考える。

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 医師は人の痛みを取り除く職業である。当然、世のため人のための思いがなければ医師であってはならないとさえ思う。「この人を絶対に助ける」という、熱い思いを持って、真剣勝負をしなければならない。

 熱い思いで一生懸命になることが大切なのは、何も医師の世界だけのことではない。会社であれ、お役所であれ、お店であろうが、その存在と仕事が、世のため人のためになってこそ価値がある。[2,p14]
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 たとえば、東日本大震災では自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅配便のお兄さんまで、一刻も早く住民の生活を再建しようと、それぞれの場で立派な働きをした。[a]

 日頃から使命感と報恩の心で、それぞれの仕事に取り組んでいるからこそ、大震災という「いざ鎌倉」に際して、大きな力を発揮できたのである。

 医師道に限らず、どんな職業も「道」だと考え、そこで自らの技量を磨き、世のため人のために尽くしていこうと志すのが、わが国の伝統的な職業観である。この職業観は、当人に使命感とやりがいを与えるだけでなく、互いへの思いやりに満ちた世の中をつくる。医師道を行く天野医師の生き方はその模範を示している。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(699) 国柄は非常の時に現れる(上)~ それぞれの「奉公」
 自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅配便のおにいさんまで、それぞれの場で立派な「奉公」をしている。
http://blog.jog-net.jp/201105/article_4.html

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