国際派日本人養成講座よりの転載です。

http://archive.mag2.com/0000000699/index.html


『古事記』は現代社会の諸問題を解決する知恵に充ち満ちている。


■1.「これで国際政治がわかった」

 中西輝政・京都大学大学院教授は、20代後半にイギリスに留学していた時に、こんな経験をしたという。

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 専門は国際政治だったのですが、何ヶ月も日本語を話さなければ聞きもしないという環境の中で、とにかく日本語に飢え、日本文化に飢えていた時期がありました。

 そんなとき大学図書館で、古い『日本書紀』を見つけたのです。・・・ 私は一も二もなくその本を借り出して、丹念に読んでいきました。

 29歳の夏のことでした。今でもはっきりと覚えています。私は、下宿の書斎で日記に「これで国際政治がわかった」と記したのです。それは日本の国はこういう国だということが如実にわかったという意味でもありました。

 私は、『日本書紀』を読んでから、また『古事記』を読み返しました。すると、目からうろこが落ちたように、「これが国家なのだ」ということがわかったのです。[1,p130]
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『古事記』は今年からちょうど1300年前に書かれた。そこに書かれてあることは、さらに数百年も遡る歴史と、当時信じられていた神話である。それを読んで、「国際政治がわかった」とはどういうことなのか。


■2.「国際人」から「国際派日本人」へ

 この点を中西教授は次のように説明している。

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 こうしてヨーロッパの端まで来たけれど、それは、とどのつまり日本という国がわからなかったからです。もっと世界を知りたいとか、外国はどうなっているのだろうとか、国際社会はどうなっているのだとかいうあたりを、うろうろと漂流していたのだということが、そのときはっきりと認識できました。

 あのとき『日本書紀』をしっかり読み、ふたたび『古事記』を読み返したことで、私は国とは何か、国際関係の本質を知ると共に、日本人としてのナショナルアイデンティティを身につけられました。
 そうして、ようやくいろいろと、もがいていた自分と訣別して、国際政治の職業的学者として生きていく自信を得ることができたのです。[1,p132]
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 自分の国も知らずして、外国を「うろうろと漂流」している人は、「国際人」ではあっても、弊誌の目指す「国際派日本人」ではない。「国際派日本人」とは、日本人としての「背骨」を持って、しっかりと国際社会に向けても主張のできる人間である。

 いわば、中西教授は、『古事記』『日本書紀』を読むことで、「国際人」から「国際派日本人」となった。そして、それが氏に「国際政治の職業的学者として生きていく自信」を与えたという。


■3.「心の拠り所」がなければ、元気がでない

「国際人」として海外を「漂流」している日本人は少なくない。

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 たとえばシンガポールやアメリカで出会う日本人の駐在員や学生たちは、一様に元気がありません。元気がないというか、日本人としての「芯」が感じられず、どことなく影が薄いのです。[1,p134]
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 たとえば、アメリカに行った日本人が、いかに流暢に英語を喋り、アメリカ人らしく振る舞っても、二流のアメリカ人でしかない。そんな人間とつきあっても面白くないから、アメリカ人からも一目置かれない。それではその日本人も自信を失って、元気をなくしてしまうだろう。

 逆に、「日本人ならこう考える」と主張すれば、彼らは同意するかどうかは別として、自分たちと違う視点に興味を示す。自分自身の視点があるから、アメリカ人の見方考え方の特徴もよく分かるようになる。そういう交友を続けていると元気も出てくるのである。

 ナショナルアイデンティティとは、大和言葉で言えば「心の拠り所」と言えるだろう。それを持たない人間は、外部の環境に流されるだけで、その心の奥底から湧き上がってくる元気を持てないのである。

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 ですから、私は自分の教え子たちに『古事記』、『日本書紀』などを勉強するように言うのです。日本の国、日本人というものをしっかりわかっていなければ、いくら一生懸命に外国のことを研究したとしても、何十年外国に暮らしたとしても、外国そのものを理解することなどできないからです。

 その甲斐あってか、彼らはみんな元気に帰ってきます。[1,p136]
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 これは国内にいる日本人にも同様である。外国の情報、文化、それを通じた価値観、世界観がどんどんボーダーレスに入ってくる時代になった。自分の心の拠り所がなければ、この情報の大洪水に「漂流」してしまう。

「失われた20年」というが、失われたのは経済成長だけでなく、日本人としての「心の拠り所」だろう。日本という国の元気がなくなったのも、そのためではないか。


■4.労働は神の罰か、祝福か

 中西教授は『古事記』『日本書紀』から、どのような「日本人としてのナショナルアイデンティティ」、すなわち「心の拠り所」を学んだのだろうか。

 たとえば、我々の日々の労働に関しても、旧約聖書と日本神話ではまったく異なる見方をしている。旧約聖書では、それまで楽園で果実を食べて遊んで暮らしていたアダムとイブが、ある日「善悪を知る木の実」を食べてしまった「原罪」に対して、男には「労働」、女には「産みの苦しみ」という「罰」を与えた。

 すなわち、労働とは神の罰なのである。そう考えると、労働者は早くお金を貯めて退職し、「楽園」たとえば海岸でのんびり寝そべって暮らす生活を夢見る。

 日本神話での労働観に関しては、神道学・日本古代史を専門とする高森明勅氏が、前掲書でこう述べている。

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 労働については、最高神である天照大神でさえも、高天原に田んぼを持っていました。ということは、農業に携わっていますし、神聖な機織りをする機屋で女たちを監督して機を織らせていもいました。

 つまり日本では至高神である天照大神でさえも、「労働」に携わっていたのです。『日本書紀』に収める天孫降臨のところの「一書(あるふみ)に曰(いわ)く」(第9段、第二の一書)によれば、「天照大神が天上でつくっている稲穂を授けて地上に下ろさせた」と言いますから、日本人が地上で営んでいる農業は、天の世界の天照大神の稲をいただいたことによるのです。

 人間が働くことは神の罰ではなく、むしろ神から祝福されているという労働観です。

 日本の場合、国民統合の象徴である天皇陛下が、毎年、田植えや稲刈りをされています。それを「何とみっともない」と思う人はほとんどいないでしょう。素直に「ありがたい」と感じる人の方が圧倒的に多いはずです。日本人にとって労働は喜びなのです。[1,p89]
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■5.現代経営学は日本神話の労働観に近づいている

 同じ仕事をしながら、罰せられていると思うのと、祝福されていると感じるのと、どちらが元気が出るだろうか。

 高齢化社会になって、80代でも健康なお年寄りが多い中で、定年後20年も年金を貰って「楽園」で寝そべっている生活がいいのか、それとも自分の経験や技術を生かして、世の中に貢献する生活がいいのか。

 現代の経営学では、従業員が仕事の中に社会貢献、生きがい、人とのつながりを得られるようにして、従業員満足と企業業績の両立を図る傾向が強くなってきている。この人間性重視の傾向は、旧約聖書よりも日本神話の労働観の方がより適合している。

 外国では仕事に出世と金しか求めない人々がまだまだ多く、日本人はそんな世界には何となく違和感を持ちながらも、周囲に合わせて生きていくしかないから、当然、元気も出ない。

 そこで『古事記』『日本書紀』を読んで、労働は神から与えられた祝福と捉える労働観が自分の民族の考え方だと知れば、同じ仕事をするにしても元気が出るし、職場をその方向に引っ張っていこうという気概も生じよう。

 神話が与える「心の拠り所」が元気を生ずるとは、こういう事である。[a]


■6.「産みの苦しみ」か、命の継承の神聖性か

 旧約聖書で、女性への罰として「産みの苦しみ」を与えたという点も、日本人には非常に違和感がある点だろう。

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 ・・・日本人が住む日本列島は、神と契約を結んで住むことを許された土地ではなく、イザナキの命、イザナミの命という男女の神が結婚して生んだ、神の命が宿る国土と受けとめられていました。

 ですから、生殖自体も神がなさっていたことで、人間の生殖はそれに倣ったものということになります。だから、祝福された行為と言うべきで、もちろん神の罰なんかではありません。

 それにしても、人間の生活を成り立たせる上で「労働」と「生殖」はどちらも欠かせません。それらを両方とも「神の罰」と見る神話と「神の業」と見る神話のへだたりは、ものすごく大きなものです。[1,p90]
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 ウーマン・リブの運動で、女性には「産まない権利」がある、などと主張するのも、無意識のうちにも「産みの苦しみ」を神の罰とする旧約聖書的な発想があるからではないか。

 日本神話では結婚を通じた生命の継承を重視する。たとえば天照大神の孫のニニギの命がこの国土に降りたち、山の神の娘を娶って生まれた火オリの命(海幸彦)が海の神の娘と結ばれ、その孫が神武天皇となる。

 すなわち生殖によって、天、山、海の命が皇室に流れ込み、それが国民一般に継承されている。その命の継承を行う貴い務めに伴うのが、女性の「産みの苦しみ」なのである。古来から、日本の女性の地位が高いのも、生命の継承の神聖さを日本神話が教えていたからではないか。

 この点を、神話を通じて、現代の日本人がもっとよく理解すれば、少子化という傾向も覆せるかも知れない。それは日本の新しい活力となろう。


■7.『アバター』の大ヒットが意味するもの

 わが国の国土がイザナキ、イザナミの結婚によって生まれた「神の命が宿る国土」であるという自然観も、旧約聖書にはないものである。

 人間もこの国土も、神の命の継承によって生まれたもので、言わば血を分けた兄弟である。このように国土を神聖なものと考える神話から、日本人の自然観が形成されている。

 3D映画の傑作『アバター』では緑豊かな惑星を舞台として、そこにする長身の異星人が登場する。彼らは神聖なる大木と命をつなげ、崇めている。まさに日本神話の世界である。その大木を最新兵器で倒した人間たちは、現代の物質文明のモデルである。

 この映画がアメリカでブームになると、「アバター症候群」が起きたという。あの緑豊かな三次元の世界で、リアルに自然との共生を感じられる映画を見た後、アメリカの大都市で無機質な日常に戻った時に、うつ状態になってしまうという。

 しかし日本人は「アバター症候群」を起こす恐れはない。国土の7割近くが森林であり、また大都市でもそこここに鎮守の森を持った神社がある。

『アバター』の大ヒットは、国土と命のつながりを観ずる自然観が、欧米社会でもようやく広がりだした、という事実を示している。その事を数千年前から教えているのが、日本神話なのである。

 わが国が環境技術の先進国であるのも、国民の間で国土を神聖と感ずる感性が長い歴史伝統を通じて、受け継がれてきたからであろう。[b]

 日本神話をひもといて、その自然観をより自覚的に受け継ぐことで、わが国は世界の環境保護をリードできるだろう。それはわが国に新たな元気をもたらす。


■8.『古事記』がもたらす日本の元気

 以上、見てきたように、日本神話は労働観、婚姻観、自然観のいずれにおいても、21世紀の世界を導くに足る知恵が込められている。日本神話の如き多神教を未開の宗教とし、キリスト教のみを近代的な宗教とする考え方は19世紀的である。

 日本神話は、現代世界の様々な問題を解決するための豊かなヒントを提示しているのである。日本人が『古事記』『日本書紀』を学び直して、そこから世界の諸問題に対する日本独自の解答を示したら、それは世界への大いなる貢献であるとともに、日本の明日を開く元気をもたらすだろう。

 もうすぐお正月。神社に初詣をして、日本の神様たちから新しい元気をいただいて、明るい歳をお迎え下さい。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(330) ハイテクを生み出す産霊(ムスヒ)の力
  多くの日本企業がいまだに守り神を祀っている理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h16/jog330.html

b. JOG(041) 地球を救う自然観
 日本古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現する新しい科学技術を世界に積極的に提案し、提供していくことが、日本のこれからの世界史的使命であるかもしれない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h10_1/jog041.html

c. JOG(364) 「神話による国家主義」という神話
 「かつての日本では、天皇は神として礼拝されていた」というのは、事実だろうか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h16/jog364.html