行者さんは、不思議な人が多いと思います。

私がアレルギー悪化で入院していた時の話です。

ロビーのピアノの前で自動演奏を聞きながら、
絵を描いていると、
突然見知らぬ人が私に声をかけてきたのです。

私の描いた絵↓(S医師のクリニックに飾ってあるのです)
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当時、私はネット上に顔を出していませんでした。

行者さん 『こんにちは、ヤマさんですよね?
初めまして、僕はヤマさんのブログを読んでいるので、
ここだと分かりました。』

院内の写真は少しアップしたのです。

ヤマ 『えっ(驚)初めまして、』

少し、自己紹介的な話しと、お見舞いの会話を
交わしてから、この方は自分の想いを話し出しました。

行者さん 『ヤマさん、無理しないで下さいね。
僕は今、〇〇歳で、今まで修行に明け暮れてきましたが、
それを後悔しているのです。

人に裏切られ、それから、それを忘れる様に自分を
追い込んできたんですが、
そこから得たものは何か考えると、
ただ、辛かった事を忘れたかったんだと、
修行に打ち込む事で、、』

ヤマ 『・・・・』

・・・この行者さんは、後悔を私に話して、
こういう人にならないで欲しい。という事を伝えて帰っていったのです。
印象として、長い間、笑った事は
ほとんど無さそうな雰囲気がした方でした。

最近、何年も完全に忘れていた、
思い出す事も無かった事を、
ぽろぽろと思い出す事があります。

『乗り越えた』という自分の線引きラインを、
私自身がそれが分かるラインはどこなんだろうと思いつつ、
越えていっているからだと思うのです。

私は師匠と修行をしている時は、
私を救ってくれたS医師の様になりたい。という想いで
動いていましたが、

この想いの大元が、『悲しみ』や『絶望』だったり、
途中で、そう変化する事があり、
その気持ちで進んだままだと、
お見舞いに来てくれた、この行者さんの様な想いが
自分の心を占めてしまうのだと思うのです。

それが理由で、行者の道に進んだり、
俗世との別れを決意し、
行者や僧侶になる方もいると思うんですが、

何処かで自分に大事な何かに気づいて、
軌道修正して欲しいと私は思うのです。

自分が罪だと感じる、それを贖う(あがなう)という言葉が当てはまる、
日々や年数って誰にもあるのでしょうか、

自分でしかできない自分への許しがあって、
もう一人の自分と闘って、足掻いて、
自分の幸せを感じる道を歩んで欲しいと私は思うのです。
IMG_9043.jpg
きっとそれは、人生ってこんなに素敵だったんだと、
分かる日々の始まりになると思うのです。

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