「邪馬臺國」は一般的には旧字の「臺國」は使わずに、略字の「台国」を使って「邪馬台国」と表記される事が多いと思われますが、実際にはこの字体で歴史書に書かれている事は有りません。
また実は、いわゆる魏志倭人伝には「邪馬臺國」では無く、「邪馬壹國」と書かれています。
なお、これも正確に言えば「現在流布している、三国志の魏志(魏書)の烏丸鮮卑東夷伝、倭人の条での表記が邪馬壹國」である、と言う事です。
この表記の問題についても、1「三国志のテキストの記載の邪馬壹國が正しい。」、2「他の歴史書の邪馬臺國が正しい。」、3「邪馬壹國と邪馬臺國と言う、別の国が有った。」などの主張に基づき本も出ています。
これは異論も有るとは思いますが、2の「邪馬臺國」が正しいと思われます。理由は隋書にある「魏志所謂邪馬臺者也」との記載を始め、他の歴史書との整合性の問題です。
普通に考えれば、もともとは魏志にも「邪馬臺國」の表記で、隋書などは、それを引用したが、現在に伝わっている魏志は何時かの段階で邪馬壹國と誤記(又は改竄)されたものが広がり、もともとのモノは散逸したと思われます。
今回はこのくらいにしておきます。