宇摩説一口講話(11) 古事記冒頭7 ウマシアソカビヒコヂと宇摩郡3 旧宇摩郡の伝承と太鼓台


前回(10)でウマシアシカビヒコヂの宇摩郡の概要を書いた。本当は、太鼓台などに波及したかったが、太鼓台を書くと、1っ冊の本になるほど膨大になるので、概要だけに止める。



太鼓台の概要と旧宇摩郡の伝承


奈良から長崎まで西日本一帯に分布する太鼓台は何処にも纏まった起源論が無い。旧宇摩郡地区だけ7枚以上の布団を載せる。この布団は香川豊浜町の伝承で「神の坐」とされる。


だが、前後の話が無く、神の名も無い。宇摩郡江之元の船神輿では、「無上に尊く、無上にありがたい女神」と伝承する。三島地区では「女神が太鼓台を作って全国に船出した」と言うが、これも名がない。


旧宇摩郡の伝承を集めると、太鼓台や船神輿に女神が共通するし、女神でも「無上に尊く、無上にありがたい女神」となれば、名は無くとも特定できる。天照大神(卑弥呼)である。

(* この江之元の伝承は最初の本の後に聞いた)


なお、自分が聞いた三島伝承(後述)を省いて、上記の各地の伝承は地域の地自治体の書籍に残っている。そして、地域の伝承は集めると整合して、人物(女神)が特定できるのである。



太鼓台の伝承は、旧宇摩郡とされる新居郡・宇摩郡・三豊郡の三郡でバラバラに伝承だが、新居郡は布団より上の伝承、宇摩郡が中心部の伝承、三豊郡は下部の伝承が主体である。


これらは、三郡の伝承を集めて判ることで、各地の伝承だけでは、統合した太鼓台の意味が判らないのだ。つまり、後世の権力者によって意図的に分散して残されたのだろう。



宇摩の伝承


絳地とは「赤い地」であり、赤地に交龍(昇降の龍)の錦であり、今も、赤地に昇降の龍が使われている。最近は派手になって、赤地が消え金龍巨大化の飾りもあるが、古い飾りは赤地である。


宇摩郡の中心地、三島太鼓台の伝承を私が聞いたのは、小学校高学年の頃だった。「太鼓台の布団締めは皇帝から贈られた」と言うことだったが、私はまったく信じなかった。


同様に、「太鼓台は(山の)女神が日本を固めるために作った」は、20過ぎに聞いた話だがこの時も信じなかった。他にも幾つかあるが、これらも、この時にはまったく信じなかった。


古事記の歴史解釈を最初の本にして、これらの三島伝承が倭人伝と一致することなどを知って、太鼓台と卑弥呼の関係が判ったのである。




とにかく、最初の古事記の本を出した後、古代の基礎知識や本が揃って良いて、太鼓台は卑弥呼(天照大神)に皇帝が贈った錦を使って国固めに作ったと判明する。



具体的に言えば、太鼓台の布団締めの昇降の龍は、倭人伝の卑弥呼の贈り物に、「絳地交龍錦」とあり、三島の伝承「布団締めは皇帝から贈られた」が証明される。



このほか、太鼓台の飾りの図柄のことなども整合するし、形状などから、卑弥呼(天照大神)の思想も判明するが、後の話なので省略する。これらの面で、太鼓台は歴史の証人である。



太鼓台で語りたいことは多いが、以上で11を終わる。次回はウマシアシカビヒコヂに戻って解説しよう。