もう、古事記の謎に取り組んで、私も30年を超える。そして、宇摩説は一貫して、20年前に著書『神話と宇摩』で公表した宇摩説の概要・基本的解明の変更はない。

   

 月日が経って、変化したのは、論拠と論証の増大であり、日本社会の文化、思想の謎解きである。最近のブログでは、時事の見方や、考え方を書いている。

   

   

   梅原猛著『古事記』の”あとがき”に思う

   

 史学は門外漢の梅原猛氏が『古事記』を書いている。先にコンビニで買えると説明した。この”あとがき”で、宇摩説がぴったり当て嵌まる部分が多い事に気付くので、何回かに分けて幾つか説明しよう。

   

 引用を個別の書くのは、面倒だし、煩わしいので、最初に取り上げる予定の部分をまとめて載せる。このあとがきで、史学の古事記がよく分かる。

    

 また、本居宣長絶賛で、現在の古事記研究は宣長研究の菅があることもよく出ている。宇摩説では、地名や神名の言葉を解いて古事記の歴史解釈をしている。

   

 また、史学(宣長)古事記歌謡の意味不明解説、前後記述に合わない解釈を続けている。

   

 宇摩説では古事記の歴史的・現実的・言語的・考古学的・合理的整合で解いている。だから、神名・地名も、明確に語義を解き、前後に合う解釈を『古事記講座』で進めている。

   

   

  梅原『古事記』のあとがきコピー1

  

『古事記』を翻訳するにあたって、もっとも私が参考にしたのは、やはり『古事記伝(*宣長著)』である。『古事記』とともに、初めて『古事記伝』を通読したとも言える。

 

『古事記伝』を読んで改めて、私は宣長の偉大さに感服したのである。宣長はこの『古事記伝』を書くのに、三十五年の歳月をかけたというけれど、宣長は実によく日本の言葉を研究し、超人ともいういうべき努力によって、それまでほとんど意味の分からなかった言葉を、とにかく明らかにした。

   

 以後の注釈書を見ると、主に宣長の説に従っており、字引もまた、多く宣長説に従っている。宣長ほど『古事記』についてばかりか、日本語について深く思案した人はいない。

   

 にもかかわらず『古事記』には分からない言葉がまだたくさんある。特に、記紀歌謡や神々の名前などには分からぬ言葉が多い。私は本文の説明でも述べたように、昨年からアイヌ語に夢中になっている。

<* アイヌ語は日本語の本流ではない。混入した端の言語>

   

 日本語をアイヌ語とまったく別な言語と考えた金田一京助氏の理論は間違っている。アイヌ語は日本語の齟齬といってもいい、と思う。

<* 梅原氏のアイヌ語との決め付けも間違いである>

   

 アイヌ語は縄文時代の日本語が、ほぼそのまま定着したものであり、それに対して、日本語の方は民俗の混血によって多分にその姿を変えた。

   

 思ったより、多く引用があり、次回に以降に”あとがき”2をかくことにする。

   

   

  宇摩説視点

  

* 著書1で書いたと記憶するが、南方のポリネシアの言語は、日本語と齟齬が共通する。たしか、手・目(ま)・口など、最初の言語を思わせる言葉が共通するのであり、日本語の齟齬が南方系絵あることは明確だ。

   

* 宇摩説では、最初に日本に来たのは南方系の漁民、アマ(海人)族と解いている。次に来たのが北方系の狩猟民族のアイヌ族である。

   

* 日本人の顔も、アイヌ系の顔ではない。最初の海洋民俗の多くのアマ族に狩猟のアイヌ族が少し、混ざったのである。

   

* 梅原氏の推定するアイヌ語が齟齬説では、中国・朝鮮に風貌が似る説明ができない。そして、上のコピーの後に続く部分で、アイヌ語ではすべてが解けないと認めている。

   

* 宇摩説では単純明解に神名・地名の全てを解いているのであり、格段の違いが有る。

  

* 上の宇摩説の日本渡来説を知っていると、誰でも、梅原説の決め付け論の間違いも明快に判明するだろう。

   

 今日はこの辺で終わる。

   

<2012,9,23、宇摩説と梅原猛説1>