はじめに(無視されてきた宇摩)

 
この講座の最初に、古事記の冒頭の神々が宇摩地名と一致して、高天原が宇摩と判る説明をした。そして、今度、「万葉集と伊予(宇摩)」で、宇摩に当てると歌が判る事を書いた。しかも、入野、蕪(旧、鏑)崎のように、歌を解く地名は多く残る。 

 今の宇摩郡(現在は四国中央市ほか)は何処にも有る田舎だが、地名や、神社、祭神、年中行事などで、特異だった事が判る。古事記、日本書紀、倭人伝、万葉集などの記録と一致して、宇摩が卑弥呼の都を示すのである。

 つまり、この多くの事実が解く古代は、偶然の一致などでは起きない。高天原(邪馬台国)は、北四国の中央部、宇摩郡の山にあった。と、決定できるすごい数の証拠が残り、これらが全て整合するのである。

 今回の万葉集と宇摩の関係でも、普通の地域だ無かったことが判明した。こうして、宇摩説は、確かな証拠を提示しながら解いて行ける。しかも、これが、これまでの史学では一切触れら無かった宇摩郡なのである。

 高天原(邪馬台国)を北四国にした古代史、宇摩説の基本を解いて本を出して、10余年になる。この十余年の空白は、基本を示せば誰かが後を次ぐと思ったからだが、出なかったので、一昨年から、自分で普及をすることになった。

 先日、ネットの公表から、2年が経った。「宇摩説」で検索すると、ぐーぐるで、11,000余りと、多くのヒットがある。ほとんど、私の記録である。少しずつ、広がってきたようだが、まだまだローカルである。

  八上比売の経緯と中峰の塗装巨石

 前回は、八上比売の前半の話と後の経過を書いた。大国主は、演劇集団の中で飛び抜けていたために、八十神の迫害を受けることになった。そして、スサノオの下で試練を受けて卒業して、根の国を脱出した。

 なお、スサノオが忠告をした坂は、四国山脈の麓に位置し、ヤスノカワ(地元の呼称。銅山川)を見下ろす中峰である。ここは、イザナギ・イザナミの最後の場であり、天照大神の隠れた巨石のある所縁の所である。

 この巨石は、南側が平たい石で、北側が幅広い。この南側の平石の裏に塗装の後が伺える。そして、北側の石も内部面に塗られてた思わせる痕跡がある。平石の下は低いので人が入り難いので残ったものだろう。

 この巨石のアルバムを(「大元神社巨石内部」)をココログに作った。実は下の基壇状の石も塗り重ねたように見えるのだが、この写真は見当たらず、次回の全体的なアルバムに追加しようと思う。

http://kabu9uma9.cocolog-nifty.com/

 この巨石の地は、明治の神社統合令によって、廃止、移設された「大元神社」の地であり、地元の年寄りが祠を作って、同じ地域の平坂にある巨石の上に移設した。この巨石であり、上の平地からは見えず、隠して祭るには良い場所である。

 大元神社に言及したのは、(105)で、写真と記事を書いていた。
これは、天照大神の石屋戸隠れの解説である。つまり、イザナギが、黄泉平坂を巨石で塞いだ時が最初であり、この場所を、天照大神の再生儀式に使った。

 この場所に、一時は天照大神と夫婦であったスサノオが平野部開拓に成功して戻り、住んでいたのである。なお、この天照大神は、投げ下ろした逆剥ぎの馬に驚いて、亡くなられている。思い出の場所でもある。

 そして、この南側の平石の方に塗装跡が残り、北側の幅広の表面は、擦れて、凹んだ部分にその痕跡を残す。

 これは、北側の石の近くが人が立って歩くのに都合の良い高さであり、多くの人がここを移動したのであろう。南側の平石は、腰をかがめて入るので、頭を打たないように用心して、出入りしたので、擦られずに残った物と見られる。

  八上比売(後半2)

  原文(八上比売後半)

故、其八上比売者、如先期美刀阿多波都。
故、其八上比売者、雖率来、畏其嫡妻須世理毘売而、其所生子者、刺挟木俣而、返。
故、名其子云木俣神、亦名、謂御井神也。

  八上比売の現解釈

故、其の八上比売は、先の期(ちぎり)のごとく、美刀阿多波都(みとあたはしつ)。

故、其の八上比売をば、率(い)て来ましつれども、その嫡妻(むかひめ)、須世理毘売を畏(かしこ)みて、其の生める子をば、木の俣(また)に刺し挟(はさ)みて、返りき。

故、その子を名付けて、「木俣(きのまたの)神」、亦の名を、御井の神と謂う。

  現語義
みとあたはしつ 婚姻をした。

 この話で、八上比売も、大国主が寝の国(実は高天原)を逃げ出した後に出てきている。八十神の武器を持っての押し掛けでは無いが、やはり、高天原には行け無か中ttのであろう。

 ここで、思い出すのは、スサノオが天地を揺さぶりながら、上ったと言う最初の訪問である。多感が原は、山を越えた地域にあった。つまり、宇摩平野は全体として高天原の地域ではなく、誰でも出入りできる地域もあったのだ。

 さて、八上比売の後半の話は、とても短いものだ。だから、宇摩説の解説も書いて、終るつもりで居たのだが、木俣の神、御井の神は、なんだか記憶にあるので、確認するために、宇摩説の解説を次回に延ばす事にした。


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