天日隅宮のアルバム

 昨日書いた「天日隅宮のアルバム」は、ココログには無かったので、ブログにアップした写真の中に、二枚あった。これで、アルバムにしておいた。

 実は大国主のこの後の話で、「国譲り」がある。これは、一昨年割りに細かく書いている。その中にあった写真である。まだ先なので、国譲りに成るまでに、アルバムの追加をする。

  天日隅宮の基礎

 天日隅宮は、大国主が国譲りをした後、高天原から送られた家屋だ。現在の進行から言えば大分先になる。そこで、昨年ブログの写真が二枚をアルバムにした。この写真の一部に豊受山と、最初の神主、高下家の墓の一部が写っている。

http://kabu9uma9.cocolog-nifty.com/photos/amahisumimiya/

 祠の上に木の無い方、「ほぼ正面」の上にある山が祠の左右にで高くなっている。右側の高い方が豊受山である。

 また、基礎の左側に見える手入れをされた松が見えるが、ここが、高下家の墓地になっている。この写真は何れ、大国主の国譲りの頃までには、載せようと思う。

  宇摩説解説とまとめ

 さて、本題に入ろう。原文3では、「スサノオが射た鳴鏑の矢をお取って来るようにいわれて、大国主は、射たカブヤ矢の先に向けて、野に入った。そこに周囲から火を付けられて、危ない目にあったが、鼠の助言で助かった。

 鼠の助言は、竪穴住居で下は穴だった。ここで火をやり過ごして助かり、矢まで探して持ってきてくれた。大国主は矢を持って帰って行った。これは試験であり、試練だったから、宇摩説で解いたような裏もある。

 一方、スサノオとスセリビメは、亡くなった者と思って(居る様子で)野に立った所に帰ってきて、矢を差し出した。この時の二人の行動は俳優毎に違ったであろうが、見てみたい気がする。

 そこで、スサノオは、家のある高天原に向かって(山に)入った。高床式の本宅に招き入れると、スサノオは横になり、大国主に頭のシラミを取らせた。所が頭にはムカデがいる。これも、妻の助言と助力によって乗り越える。

 スサノオは頭を触られている内に気持ちが良くなって眠ってしまった。そこで、髪の毛をタルキに結びつけた。また、大きな石で戸を塞ぎ、妻のスセリビメを追い、大神の生大刀・生弓矢・天詔琴を持ち、逃げ出した。

 この時、琴が樹に触れて、天地が動くほど鳴り響いた。これも、決められた行動とすれば、スセリビメの仕業の可能性がある。

 およそ、このような話だが、宇摩説で解説したものを加えながら読めば、裏表、ぐっと身近な具体的な話になろう。

  宇摩説は「行間を読む」の実例

 余談ながら、「字と字の間を読め」とか、「行間を読め」などと言われる。しかし、これは、具体的なようでまったく抽象的である。また、表も裏も読めとも言う。これも、普通は、具体的説明が無い。

 しかし、宇摩説は、ここまで書いてきたように、「字と字の間」や「行間を読む」の実例を示しているのだ。ここでは古事記が例だが、これらの教えの実際を具体的に示している。これは、大変貴重なものである。

 ここに示した、語義・解説などで、表面上には無い事実が多く示された。これが、「行間を読む」、「字の間を読む」など、具体的例である。史学者の表面上だけの解説殻では出てこない史実が判明する。

 だから、字の間を読めなどと言うのだが、言ってる本人が出来ないのではないかと、私は思っている。

 宇摩説で、ここまでに解いてきた方法をよく見直せば、使い方も判ると思う。そして、これらの解説がその場限りの横道ではなく、基本的に一貫していることが、宇摩説の説き方が正しいことを示すのである。

 最近、暑くなって頭の回りが悪い。したがって、メモの何を書いて、何を忘れたのか記憶がない。まあ、抜けは後で追加するとして、これで一応原文3を終わる。

 次回は、原文4の予定である。

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