宇摩の入野と万葉集
まず、万葉集の「イリノ(入野)」を三首挙げることにする。
* 参考資料、旺文社文庫、桜井満訳注、講談社文庫、中西進編、岩波文庫、ほか
* 以下の<>は宇摩説の解説、解釈。
入野(京都市西京区大原野上羽町の入野神社か?)<宇摩郡の入野旧村>
*1272、施頭歌の1(二十四首)
太刀の尻鞘に、入野に葛引く、わぎも(我妹) 真袖もち着せてむとかも 夏草かるも
太刀の切っ先が鞘に入るではないが、入野の葛を引いている我妻よ、私に新しい着物を着せようと思ってか、夏草を刈っていることよ。
最後が本の解説だが、何だか判り難い。そこで、見直してみると、どうも、違うようだ。私が読むと、この歌は以下のようになる。
<(私が)立ちのシリ(後) サヤ(*1)に入野に葛を引く、わぎも(我妹) 真袖を着せようとしているかも、イヤそうではなく、夏草を刈っているかも>
タチは「太刀を、立ち」、シリは「尻は、後」、サヤは「鞘、然や」に変えたのだが、本の解説よりすっきりしたと思う。
家を出て妻の行動の予想をする。この歌の内容から、新婚であろうことが判る。つまり、スセリビメと、大国主の関係に一致している。こうなると、試練の間に、二人は夫婦として新婚生活を送っていた事が判るのである。
語義
*1 サヤニのサヤには(清や、鞘、沙耶、然や、障る)などがある。
この内の「然や」であろうと思う。
サヤ 然や(そう、、か、いやそうではない)。(岩波古語辞典)
入野
*2277、花に寄する歌(二十三首)
サオ鹿の、入野のススキ 初尾花 いつしか妹が 手を枕かむ
入野のススキの初尾花ではないが、何時になったら、あの子の手を枕に出来るのだろう。
< この歌は、妻の手枕が何時出来るのだろう?いずれ、手枕をしよう、と言う意味であり、新婚でまだ、手枕の経験が無い。先の一首と同じ人物の詠んだ歌だ。つまり、大国主の歌であろう。>
入りの川(入りの川)神社付近の川か?<*入野の川であろう>
*1191、旅にして作る歌(九十首)
妹が門イデ、入りの川の瀬を速み、吾(あ)が馬つまづく、家おもふらしも
(入りの川)神社付近の川か?<入野の川>
妻の家の門を出入りするではないが、入りの川の瀬が早いので、私の乗っている馬が躓いた。家の者が私を思っているために違いないことよ。
以上が、イリノの歌である。
以上の3首は、万葉集にばらばらに入っているが、私は入野の共通点から、新婚など同一人物の同時期の歌だと思う。そして、大国主に比定すれば、一番すっきりしていることが判る。
これらの歌から、一茶が大国主の古跡を偲ばんと、「はるばる尋ねた入野」なのである。このように判ってくると、一茶が入野で誰を、どのように偲んだのかが、良く判るだろう。
ここまでで、大国主が行った「根の国」とは、宇摩平野であったと確定しても良いだろう。歴史は解けてくると、本当に面白い!
この他にも、万葉集には宇摩の歌と思われるものが幾つもある。これは、概要にするので、別の項(ファイル、宇摩説早判り)にしようと思う。この中にも、大国主を思わせる歌がある。
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