刺国大神(近畿・銅鐸国)
スサノオの系譜の最後(下に『』採録)を、省くのもおかしいので、少し。説明を加えておくことにした。
『此神、娶、刺国(さしくに)大神之女、名、刺国若比売、生子、大国主神。亦名謂、大穴牟遅(おおなむち)の神。亦名謂、葦原色許男(あしはらしこお)の神。亦名謂、八千矛(やちほこ)の神。亦名謂、宇都志国玉(うつしくにたま)の神。併有五名。』
前回に言ったとおり、今回は、「刺国大神」については、説明しなかった。昨年の説明や、その他で、「近畿圏の大神」の名だと説明して言いるので省いたのだが、今思い出せる概要と、新しい説明を加えて書いておこう。
昨年は、「サシ」から、縄文時代以来続く、栗文化(三内丸山遺跡の栗林)や櫛文化(縄文遺物に多い)を引き継ぐ近畿圏の国とした。この国は、刺す国で、イガの国でもある。など、この国を解いたが、これだけでは無いようだ。
サシは、「刺し、指し、挿し、差し、注し、射し、点し」など、多くの意味がある。しかし、これらを纏めると、「多くの物の中に別の物を入れる」内容と判る。しかも、「入れたもので、全体を制御する」意味も含まれる。
この意味から言えば、刺し国とは、縄文時代の文化を継承しながら、高天原からの文化や文明を受け入れる為に、高天原の相談役を受け入れた国との意味もあるようだ。古事記にある、「ニギハヤヒ」が、神武時代に天下った神(相談者)だったようだ。
宇摩説の弥生日本
宇摩説では、「弥生(高天原)時代は、東・西・南・北の四つの国だった」と解いている。特に大きな力を持つのは、東・西で九州と近畿だった。高天原もこの東西の軍備や経済に負う所が多く、天御中主神の左右に、この東西の代表が居た。
そして、大神と呼ばれる神は、この東西南北の何処かの主である。なお、初めての人の為に、東西南北とは、近畿・九州・四国・中国地方である。また、この地形を花に例えて(地図にして)、花菱(唐花)で表していた。
花弁の間は、瀬戸内海であり、中心に高天原があった。この、花菱は伊勢神宮に多用されている。神宮・高欄などの、飛び出した部分が全て花菱で飾られている。これは高天原時代の全国に地図であったからだ。
大国主神
此神(スサノオ)、刺国(さしくに)大神之女、名、刺国若比売を娶り、生子、
1、大国主神。
2、大穴牟遅(おおなむち)の神。
3、葦原色許男(あしはらしこお)の神。
4、八千矛(やちほこ)の神。亦名謂、
5、宇都志国玉(うつしくにたま)の神。
と、ある。
この五の名は、「それぞれの神の名の神話を大国主に統一した」と、史学でも解説している。これは、私も賛成だが、宇摩説は似ている様で違う。この五つの名は、当時の東西南北の主であったように思っている。
つまり、各地域の伝承を、大国主の話に纏めたものである。これは、各地の伝承をバラバラに書くと、弥生時代の地域的実態が浮かび上がるために、出雲の話にして、迷彩したのである
まだ、全てを解いてないが、大国主は近畿か、中国地方、八千矛は九州であろう。残る三神が、南北と高天原か、または、新しい開拓地の神であろう。物が立ちの進行と共に、これらが明確になる。つまり、今後の宿題となる。
昨年取り上げた部分では、どの地域かを書いているが、抜いた話もあるので、それぞれの比定はしてない。
時間になったので、ここで終わる。
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