オロチは太鼓台(神輿太鼓)

 昨年の講座でも、オロチは太鼓台(神輿太鼓)と説明したが、太鼓台の写真を入れなかったので、話だけになった。今回は、形状の説明の所に、対応する写真を付けて、説明しておく事にする。

 この写真は例によって、ココログのアルバムに載せておいたので、纏めてみたい人は、(http://kabu9uma9.cocolog-nifty.com/ )、この、サイトの横にあるアルバムで見てください。

  出雲神話現解釈1(史学の解釈)

 故、所を避追(やらはえ)て、出雲国之肥(ひ)の河上、名は鳥髪(とりかみ)の地に降りたまひき。
此時、箸が、従其の河より流れ下りき。ここに、須佐之男の命、河上に人有りと以為(おもほして、尋ね覔(もと)めて、上り往きたまへば、老父(おきな)と老女(おみな)二人り在りて、童女をとめ)を中に置きて泣けり。

 ここに、「汝は誰ゾ」と問ひ賜ひき。故、其の老父答へ言(まを)さく、「僕は国つ神、大山津見神之子ゾ。僕の名は、足名椎(あしなづち)と言う。妻の名は、手名椎(てなづち)と言う。女(むすめ)の名は、櫛名田(くしなだ)比売と、言う」と、もおしき。

 亦問う、汝が哭(な)く由(ゆえ)は何ぞ」、答えて、「我の女(むすめ)は、本より八稚女(やおとめ)在りしを、この、高志(こし)の八俣(やまた)の遠呂智(をろち)、毎年(としごと)に来りて喫(くら)へり。今、其のくるべき時なり。故泣く」と、まをしき。

  ここまで、昨日はここまで書きました。今日は、この後の、「オロチの形状」に入ります。写真を使って説明予定なので、何度かに分ける予定です。

  オロチの形状と太鼓台(目は赤カガチ)

 オロチは朝廷が正しくは残したくない山車でした。そこで、工夫をしたのです。116にnihonhanihonさんや,VIWAさんから、コメントを頂いたのですが、こちらで答えたいと思います。

 今でも、物の一部を大写しして、「元は何か?」等と言ったクイズがあります。全体像をそのまま残さず、そのものの一部を記録して、実態を隠したのが、オロチです。そう分かって読むと、この表現が一部ばかり書いていることが判ります。

 最初は、1、目です。2、身一つで八頭八尾とこれも一部です。3、身に生じたコケとヒノキ、杉です。4、谷八谷、ヲ八尾も同じです。史学の解明では分かり難いのですが、少し違った読み方が有ります。

  オロチの形状と太鼓台の部分1

 ここに「其の形は如何に」と、問いたまへば、答へ白ししく、「彼目(そのめ)は赤加賀智(あかかがち)の如くして、身一つに八頭八尾(やつかしらやを)あり。亦、其の身に生つる蘿(こけ)と檜椙(ひすじ)を生(お)ひ。其の長(たけ)は、谷(谿)八谷、峡八尾(たにやたに、をやを)に度(わた)りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛(ちただ)れつともおしき。

 目は血走っています。これは、太鼓台では、上部の布団締めの龍八匹とも、血走った目です。また、掛け布団の龍も同様です。ここでは判り良い四枚を上げておきます。この龍の、目の部分だけを書いたのです。



 上部左側の方が血走った目が判りよい。








 上の二枚も目が血走っている事が判る。写真が悪くて細い庸脈のような血管が判らないのが残念です。上の二枚は最近新調された物で、中之庄の太鼓台である。元は、「水波」と言った。

 下は、中組(秋則・溝又など)の太鼓台の波の上を渡る龍である。次回以降に載せる中ノ庄の4枚の新しい幕と比べると、違いが判る。この龍の尾は宮殿の門を出た形です。基本的に、4枚の内の一枚が龍になっている。

 これで、「目が赤カガチ」と、目が血走った目だけを取って記録した事が判るだろう。以後も、太鼓台の部分を見せながら、説明する事にする。この山車が西日本で多かったらしい事は、今も残るし、風土記などにも残っている。

 もちろん、「八頭八尾」として、残されている。また、オロチ退治が、出雲だけが有名だが、神楽で全国的に演じるのは、各地に太鼓台が有った事、又、悪用してはならないとの戒めも含めて演じられたのだろう。

 以上で、今日の所は終る。以後の形状は太鼓台の何処を何を言ったのか、それぞれ、写真で説明する予定である。高天原の山車が地上にあるのは、「天上」にした朝廷には不都合だったのだ。そこで、各部記録で迷彩された。

 しかし、当時の太鼓台を知る人々は、これで良く判ったのだが、時間が過ぎて、太鼓台の元が変化するところも出たりして、判らなくなり、太鼓台とオロチが分離したのである。

 さて、以後の記録は、何処をいったのか、。


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