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<追加>

 各地に神社があり、古事記神話の神々が祭祀され、奉納神楽があり、共に似た演目である。宇摩説がイザナギ・ナミが各地を廻り演芸・芝居で国固めを行ったのが、祭りの起源する。


この神楽で有名なのが”オカメ・ひょっとこ”である。この起源も不明だが、宇摩説では神話時代の出来事だと、古事記から解いている。詳しく具体的には古事記講座で書くが、簡単に説明しておこう。


全国に知れ渡った”オカメ・ひょっとこ”の話は、通説ではひょっとこが”火男”と解かれているが、その起源を解いたものはない。だがこの、オカメが重要人物だったから、全国に知れ渡ったのだ。


重要人物とは古事記の後に出てくるイザナミであり、この死に残されている。合理的で民俗学とも整合する宇摩説である。


なお、後にURLとコピーを載せた”やさしい古事記講座44”は多くのコメントが来ているので、時間があれば是非、読まれたい。


<*2014、3,16記>




   

* 実は、また、仕上がってコピーをとる時に消されてしまった。昨日と同じであり、今日は時間がないので、簡単になった。

   

   

 宇摩説の「大人の古事記講座」75<番外>オカメ・ヒョットコ

  

 全国の神社で奉納されるお神楽に、オカメ・ヒョットコの演目があるが、この二人の素性を解いた説はない。

   

 宇摩説では、古事記の解明を続ける中で、この話はオカメの原型だという話が判明した。つまり、古事記の原型があるということである。

   

 やさしい古事記講座のコメントで、急遽、お神楽の番外編を書いたのが44である。


   

  やさしい古事記講座44 神生み1 オカメ・ヒョットコ

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/408978/

   

   

* ここに色々書いたが、今日は思い出せないので、さほどの事ではなかったのだろう。私の話は、あちこちで重複するので、また同様のことを書くだろう。

   

* 全国の神社と神話(弥生)と教訓と笑いの神楽を書いたが、時間も無いので、この部分は諦めた。

   

 

* 不思議なのは、私の古事記講座に妨害が入る。先のやさしい古事記講座も途中で終わっているのは、5年前にも妨害で書けなくなったからである。

   

* 時事より、古事記講座が消されるのは、この方が重要と考える組織・団体があるということである。そして、執拗な妨害は、宇摩説の価値の大きさを示すものであろう。

   

<2012,2,23、大人の古事記講座75、神生み1>

   


やさしい古事記講座44 コピー

 先のブログで、「古事記は神楽」で、伝わるように書いたところ、神楽の演目で、「オカメ・ヒョットコ」のコメントがあった。そこで、急遽、この演目と、古事記について、書く事にした。

 日本人ならほとんどの人が知っている、「おかめ・ひょっとこ」なのだが、この正体を説明する説は無い。少し,早いが、オカメとヒョットコの古事記の記録の一部を示しておこう。

 ヒョットコについては、「火の神」だと、解かれているが、具体的神の名は不明である。オカメは、謎のままだ。だが、古事記に、この話が無いと、間違ったことになる。本当は、神生みの最後の方の話なのだが、この二人の方を先に書くことにした。

 そこで、検索すると、「蔦ニュース」(箕輪 慎氏)に、現在の常識的な解説があったので、コピーして、参考にしてもらうことにした。

        ***** 蔦ニュース  ******
そう言えば新川は、深川の富岡八幡宮の神輿渡御(みこしとぎょ)の順路になっており、54基の神輿を担ぐ若衆とそれに水をかける沿道の人たちと一体となった祭りが月遅れのお盆のころ行われる。

この祭りは、一名水掛祭りと言われている。囃子と言えば、私が生まれ育った世田谷の北部、杉並区との区境京王線の下高井戸駅、桜上水駅あたりには、式内社(延喜式の神名帳に記載されている神社)はなく式外(しきげ)の社(やしろ)ばかりであったが、子供の足で30分以内に神楽殿を有する神社が幾つかあったように覚えている。

そこでは、大祭の時には里神楽が演じられた。巫女が面(おもて)をつけ鈴や幤(みてぐら)を手に優雅に舞う。子供には退屈で少しも面白くない。

お目当ては、笛、太鼓の調子のよい馬鹿囃子である。おかめ、ヒョットコ、狐や猿と言った道化が出てきて身振り手振りおかしく舞うのである。神社ごとに振り付けが少しずつ異なるようであるが定かではない。(注1)

それを歴史教科書的に見ると凡そ次のようになるだろう。現代の神社に伝わる里神楽は、平安時代田植えなどの農耕儀礼に笛・太鼓を鳴らして歌い舞った田楽と滑稽な物まねや言葉芸の猿楽にはじまり、鎌倉時代に一方は能と狂言に発展し、他方は寺社の行事に伝えられたものである。(注2)

今日まで日本の伝統芸能というより日本の文化の伝承に大きな役割を果たしてきた一つのあり方が家元制度であったのだろう。

http://www.tsuta-club.jp/newses/nh14_1201.html#no4
        *****        ******

 注1については、お神楽に、「オカメ・ヒョットコ」があるという事を、判って貰えれば良い。狐や、猿も意味があるが、ズット後になるので、今回は見送ることにする。

 注2については、これが現状の解説である。しかし、宇摩説を読んだ人には、平安時代からの話には、疑問を持つだろう。稲作を始めて、千年近く過ぎて、突然の農耕儀礼などといわれても、俄かには信じられない。

 稲作の儀礼は、稲作と共に始まったと見て良い。と言うのは、古事記によれば、高天原の極初期の神、宇摩志(略)神の指導で始まった稲作は、最初から農耕儀礼が行われたと思われるからだ。

 この記事に、細かく突っ込みを入れると、長くなるので、大きく、注1、注2として述べた。後は、宇摩説の解明を、下に書いておくので、比較して頂ければ、幸いである。

 まず、この切っ掛けになったのは、神楽は古事記に当たると言う、「やさしい古事記講座(43)」に、ks02さんからコメントを頂いて、地元の神楽を知らせてもらった。このコメントに、「オカメ・ヒョットコ」があり、これも、古事記の話だと気付いたのだ。
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/407606/allcmt/#C493110

 一般的には謎の演目、「オカメ・ヒョットコ」とは、古事記神話 のどの部分なのかを、紹介しよう。

 イザナギ・イザナミノ神生みは、順調に進むが、カグツチの神を生んだイザナギが、火傷で病に倒れる(この当りは、進行に沿って解釈する)。その時、イザナミは、病の床でも神を生む、「次、於尿成神名、彌都波能売(みづはのめ)」とある。

 この後、イザナミが死亡して、イザナギが怒り、カグツチを切る。この時に、生まれた神が、「闇於加美神(くらおかみのかみ)」、続いて、「闇御津羽神(くらみづはのかみ)」とある。

 先にイザナミが病の床で生んだミヅハノメには、闇が無い。後で、イザナギが生んだ時には、「闇」が付いている。この違いは何を意味するのか?

 簡単に言えば、先のミヅハノメは、イザナミが生んだ。この神話の神を生むとは、赤ん坊を生むのではない。先に何度か言ったように、「誓約(うけひ)」によって、任命することを言うのだ。

 余談だが、「神を生むは任命」だから、火の神を生んでも、やけどで死ぬことは無い。火傷で死んだと言うのは迷彩である。この解明も、後で述べる。

 イザナミが任じた、ミヅハノメは、イザナギが、「闇ミヅハノメ」にした。こう並べると判りよいだろう。イザナギは、「ミヅハノメを、闇に葬った」と言うのだ。これは、解任を意味する。これで、「闇(くら)」の使い方が判明した。

 さて、ミヅハノメは先に生んでいるから、直ぐに判るが、判らないのが、先に無い「オカミ」である。神生みで生まれた神に無い神は誰か?残るのは二人しか居ない。つまり、イザナギトイザナミである

 謎解きは、「コロンブスの卵」で、判れば簡単だ。イザ ナギは後で、任命をする(神を生む)から、外れる、と、残るのは、イザナミである。だから、イザナギが、イザナミとミヅハノメを解任したのだ。

 このオカミは、死亡(通説)したから、解任は当然だろう。しかし、死人を解任するまでも無かろうとも思う(これも、後に述べる)。

 ミヅハノメの「闇」は、八つ当たりの解任か、オカミを知らせる鍵か?とにかく、こうして、「オカミ」は、イザナミと判明した。

 オカメは福の神とは、言われている。このオカメは、最後の「メ」を「ミ」に母音変化をさせると、オカミになる。ここにも、補足がある。オカミをそのまま使わずに、「オカメ」にして使ったのであろう。

 宇摩郡三島(現、四国中央市三島)の三島神社では、境内社、諸山積神社に、小山(おやま?)神社があり、祭神は、「闇龗神(くらおかみ)」とある。


http://kabu9uma9.cocolog-nifty.com/photos/misimajinjyahaijyou/img_0016.html

 上は、ココログのマイフォトのURLで、ここに、額が写っている。この神々は、古事記に無いが、大山積の神の子供か、子孫であろう。貴重な、大山積の神の関係者、一覧だと、思っている。

 こうして、オカメが、オカミであり、イザナミだと判明した。ヒョットコの正体と共に、古事記の誤訳を指摘する証明は、イザナギ・イザナミの話に出たところで行うことにする。楽しみにされたし。

  

 では、また


<以上>

  

  

 

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 宇摩説の「大人の古事記講座」74 国生み、マトメ3

  

 天神から、矛(天の沼矛)を与えられて、国の修理固成を命じられた、イザナギ・イザナミは、船に乗って出発するが、この旅立ちを天上の話にするのが史学解釈である。

   

 宇摩説では現実的・歴史的・合理的解釈だから、有り得ない。宇摩志(略)神の宇摩郡の浜から船で出発したと、新解釈をしている。広矛が櫓に似ているので利用、海に降ろして搔き回す表現になっている。

   


 今回紹介の「やさしい古事記講座」43は、宇摩説の新解釈と、史学の空想的解釈について、概要で述べている。

   

   

  やさしい古事記講座43 国生み マトメ3 イザナミの修理

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/407606/

  

  

 読めば分かると思うが、宇摩説の新解釈は、非常に現実的・歴史的である。そして、考古学などの発掘に一致するだけでなく、言語的にも整合している。

  

 宇摩説は古代日本の基本的解明であり、まだ、詳細な部分に至ってないが(詳細は各分野で極端に多いので、一人での完成は無理だろう)、日本の古代史では非常に大事な基礎的解明ができている。

   

  

 天津神は最初にイザナギ・イザナミに、国の修理固成を依頼した。振り返って、現在の民主政権とマスコミは、マニフェストに嘘を並べ、自虐史観の流たれ流し、重要な事実は隠して、人々を騙し日本を篭絡しようとしている。

   

 陰謀と詐欺は日本の文化ではなく、中国・朝鮮が世界で最も得意とする文化であり、現状の日本を歴史的に見ると、工作している裏に潜む国が明確に判明する。

   

 「日本が危ない!」と、言い続けた中川氏は、先覚者の一人であり、実力者だった。非常に惜しまれる不思議な死である。中国・朝鮮による民主党やマスコミの攻略は完成している。

   

 中国・朝鮮の日本侵略工作は、残るのは自民党の一部と、国民大衆であり、弥生・神話社会が継承されている日本が凄いのであり、元は、正直と誠意である。

   

 中国・朝鮮の嘘社会に汚染されると、日本の凄さが消える。民主党。マスコミの打倒・粉砕が必要であり、早いほど、被害は減る。歴史で日本の凄さとその元をしり、子孫に残したい。

 

   

<2012,2,22「大人の時期講座」74、マトメ 国の修理>

    

 

<やさしい古事記講座43コピー>

  

  「やさしい古事記講座」の状況

 「やさしい古事記講座」は、原文も入れている。しかし、先に書いた、角川文庫・講談社学術文庫には、学者の本なのに原文はなく、読み下し文と、現代語訳しかない。つまり、この講座の方が、より専門的といえる。

 また、ネットで「古事記講座」を検索すると、原文を加えて書いているブログは、他には無い様だ。どうも、古事記の講座としては、ネット、ブログで唯一と言えそうである。だから、原文・通説の他に宇摩説まで紹介する講座は、もちろん、ここだけだ。

 この「やさしい古事記講座」を読んでいれば、「古事記」の神話に関しては、現在史学の解釈から、最前線の解釈までの知識を持つことになり、古事記の最高の講座であり、読者は一番詳しくなる。

 しかも、宇摩説の講座解明は、日本人と日本文化の基礎を知ることになり、現在の社会、外交などに役立つ、日本の基礎認識が確立する。歴史とは、現在生活に役立って意味があるのだ。

 宇摩説は学問として、人生に役立つだろう。もちろん、今の混乱社会にも役立つのである。この宇摩説の解明を大いに人生に役立てる知恵として頂きたい。日本人は、世界一すばらしいのである。


  オノコロ島(コメントに答えて)

   
 先のオロコロジマの記事の後、オノコロ島は何処かという、コメントが入った。まだ、確定ではないが、現在の宇摩説の認識を応えておいた。コメントでは、読まないことが有るので、ここに、採録しておく。

 まだ、確定ではないが、私は、燧灘の真ん中にある、「息吹島」だろうと、考えている。イブキはイフキと清音で生命を意味した。句玉(久賀玉)などと同様に命が神聖視されていたのだ。

 伊吹(息吹)は、奈良の伊吹山が良く知られる。天照大神と、スサノオの安の河で行われた、「誓約(うけい)」の話にも出ている。詳細は其の時に書くが、この伊吹の名を持つ島は、命を吹き込んだ普通の島ではない。

 通説はイザ ナギとイザナミは、天空に浮かぶ船から、矛を降ろしたように解釈されているが、宇摩説では、二人で船に乗って出かけたとするので、燧灘の中央部にある、伊吹島で練習した物と、思っている。<*広矛は櫓に似ている。追加>

 また、宇摩郡からは海の中央にあり、目立つ島である。 オノコロ島で練習した知識を持って、実際の島生み(国生み・修理固成)に、出かけることになった。瀬戸内の潮流から、東への引き潮に乗れば、淡路は自動的に着く場所といえる。


  マトメ3
 イザ ナギ・イザナミは、国の修理に、演劇で高天原を見せた。内容は、高天原の島(支配地)に成ると、当地の不足品を補って貰えると言う内容である。つまり、劇を通して、高天原の存在価値を知らせ、国固めにしたのだ。

 そして、イザ ナギが天津神、イザナミが国津神の役を演じている。だから、イザナミが先に声をかけると言うのは、国津神の要求を、先に出したと言うことであり、要求が多くて高天原の対応が出来なかった。つまり、交渉決裂で、島には、成らなかった。

 この話を、女子蔑視や、軽視と言う人が居るが、間違いだ。国の代表を演じるイザナミは、ナミを起す(ただよう)国神の代役なのだ。国側から無制限に要求されたら、交渉が不成立に成ると言う意味である。

 このほか、学者の通説とまったく違う主な解釈を少し書いて置こう。「成り成りて、成りあわざる所、一箇所(ひとつところ)あり」は、「女体と女性器」と訳している。宇摩説では、「その集落(国)の不足品」と解釈する。

 同様に、「ミト のマグワイ」、「あなにやし」、「くみど」などの解釈は、通説では、「女性器とセックス」、「あれまぁ」、「御所、寝室・寝所」の解釈だが、是では、セックス物語であり、修理固成の話にならず、間違いである。

 宇摩説は、それぞれ、「港の交易」、「穴(不足物)に良い」、「意見交換の場」となる。他に、「天の御柱」は、日本の象徴、四国の象徴などと解いている。これ等の解き方で、二神が国々を纏めた話となり、「修理固成」の命に合っている。

 国から要求を出すのでなく、高天原の出来る事を話す事で、話し合いの主導権を取り、纏めて行けば成功するという話である。

 そこで、高天原から、高天原の成立、過去の実績を示して、出来る条件を出して示し、納得かどうかを聞く形にした。それで、やっと、国(シマ)が生まれ始めた。 最初は、淡路島を生み、次に、伊予之二名島を生んだ。

 伊予之二名島は、「伊予の他に二つの名がある島」、「いよ・うわ・あわ」と解説して。これが、矛や鏡、剣を使った時代(弥生 時代)の遺物と一致すると、説明している。伊予は予言の指導者など、地名の一致も説明した。

 筑紫島は、「つくし」であり、「尽くした国」でもあり、「突くした国」でもある。そして、筑紫の四カ国は、「全て「日別(ひわけ)」が付いていて、ワケが分家、支所を意味し、高天原(邪馬台国)の比定には、無理があることも書いた。

 また、近畿も、「天と別」が付いて、同様に、高天原(邪馬台国)の比定には無理があると話した。また、長い名には、古事記を解く鍵が残されてるとして、それぞれを新しく解いて説明した。

 これ等の解明において、「建族」、「天(海・日)族」と、「大族」について説明した。今回、一部に新しい見解を示しておいた。

 なお、国生み神話が、「演劇」と言う解釈は、各地に残る神楽が、高天原の役割を演じている。ここに、高天原が行った、修理固成のための「演劇」の残像、原型がある。演芸で高天原を知らせることで、国固めが成されていたのである。

 太鼓台(神輿太鼓)の起源でも、宇摩郡の中央部(太鼓台の分布する西日本の中心)にある、三島地域の太鼓台に残る名称が、神楽と同じように、高天原の存在を示す物で、この時代の国の維持方法が判明した。

   

 古代と現在は、神社や年中行事で繋がって、今に残っている。日本人の特異性・優秀性は、古代の平和国家に原因があり、今に、継承されてるのである。だから、古代を知る事が日本を知る事になる

   

   

* なお、読み直して補足・修正した。2012,2,22


   

 

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住所の転居先が決まった。来週の引越し予定である。明日から、当分、ブログが書けない。転居さきでネットの利用ができるかどうか?


とにかく、明日から、荷造りである。




* 実は、先に書いたのを消されてしまった。思い出しながら、書き直しである。<* この頃も妨害があった>

   

   

 宇摩説の「大人の古事記講座」73 国生みマトメ2

   

 前回のマトメ1は、宇摩説の古代と現状について書いた。次のやさしい古事記講座42は、冒頭から国生みまでの宇摩説の概要と史学とに違いを書いている。

   

 宇摩説は、古事記を歴史的・現実的に見直した、まったく新しい説であり、考古学・言語学・地名額・民俗学などの整合で生まれた。

   

 例えば考古学では、古事記神話g、矛・鏡・剣を使った物語。したがって、この話は弥生時代以前には遡らない。と言った合理的解明である。

   

 宇摩説の冒頭は建国だと解いたし、高天原・天の御中主の語義から、その場所を宇摩郡と特定した。そこには、豊受山が聳え、銅鉱山地域と、冒頭に固有名詞に一致する地名が多く残る。

   

 宇摩郡の地名を持つ、4番目の神、宇摩志阿斯可備比古遅の神は確定的であろう。

   

  

  やさしい古事記講座42 国生み マトメ2

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/406673/

   

   

 戦後史学は、「古事記は創作」と歴史から抹殺した。そして、東大教授江波(?)は「騎馬民族征服王朝説」と言う、売国の話題小説(創作)を書いた。

   

 古事記の創作否定で、何のことはない。自分が数点の一致を上げて創作をしたのであり、この説の根拠はほとんど日本に見当たらない。今では学者に反対意見が多いが、まだ、信者の左翼学者が地方大学にいる。

  

 この仮説を信ずる一人が小沢である。小沢幹事長は韓国訪問で大学生に、日本卑下、韓国ヨイショの聞くに堪えない講演をした。これは、動画に残っている。ここに汚染の実態がある。

  

 動画はまだあると思うので、日本人は小沢を知る材料として、ぜひ、一見の価値がある。小沢の本質が良くわかるし、歴史が創作され悪用される例でもある。

   

 この韓国訪問の前に、小沢は民主議員・財界人を引き連れて中国参り、ここで、小沢は「中国軍野戦総司令官」と自己申告する。ここでも売国発言であり、中国の工作資金を思わせるに充分である。

   

<2012,2,21、大人の古事記講座73 国生みマトメ2>

   



やさしい古事記講座42 コピー

  

   新しい古事記解釈の宇摩説

 昨日の現在社会と古事記に続いて、「やさしい古事記講座」で解説して来た、古事記の冒頭から、イザナギ・イザナミの国生みまでを、駆け足で纏め様と思う。詳細を見たい人は、戻って見直してください。

 まず、古事記本文の冒頭は、「天地初発の時、高天原に成る神の名、天之御中主神・・・」とあった。史学者はこの場面を天地創造(宇宙・地球誕生)とする。つまり、想像の話で解釈する。

 宇摩説は、日本国家の誕生だと解釈する。この方が、総てにおいて、整合するのである。しかも、高天原、後の神名など固有名詞を解いてみると、全て燧灘(燧灘)周辺の一箇所に集中し、しかも、現実に地名が存在する。

 空想や想像で語られたものが地名に有ったりしない。しかも、一つでなく幾つも重なることは、読み直せば明確であろう。特に、4番目に、「タダヨヘル国」を固めて即位した、「宇摩志阿斯可備比古遅神」は、圧巻である。だから、この新説を「宇摩説」とした。

 その後も、史学者の解釈は地球の状況(想像)などから離れない。宇摩志(略)神も通説では、どろどろの海に、葦が生えたなどと解釈するが、まったく、前後に続かない解釈である。だから、神名は、「名義未詳」が多い。

 宇摩志(略)神の時の「ただよう(漂)」とは、高天原の支配を離れて居る国の表現であり、「葦とは稲」であり、稲作を主導的に広げることで、稲作の国として固めた神であった。これで陛下の稲作祭事等も理由が判る。このように、現実的に解釈をしている。

 宇摩説では、「最初に国が幼く、タダヨヘル時に、稲の神、宇摩志阿斯可備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)が、漂う国を稲作中心で纏めた」のである。この神の前は、神名だけなのに、宇摩志神だけ、説明があるのは特異であったためだ。

 この後も、「天之常立神」、「国之常立神」なども名だけだが、宇摩郡に、「津根(常)」や、豊受山が在り、またも、地名で実存した。これは、神が空想や、創作ではない事を示しているし、宇摩説の解き方が正解で有る事を重ねて示している。

 この後、イザナギ・イザナミの登場も、「タダヨヘル国を、修理固生」する様に、天神に命じられて始まった。しかし、現在解釈では、国土を生むという、トンでもない古代に飛躍した想像、創作話として、解説をするのである。

 冒頭の「天地初発の時、高天原に・・・」を、宇摩説では「最初に高天原ができた時(支配階級ができた時)、国家が成立」として、「日本神話は建国から始まる」と、解いている。国土の生成どころか、人が居て、国家が生まれる所から始っているのだ。

 なお、古事記は、建国の後に、過去の伝承の神、縄文時代の神などを混ぜて、迷彩した話になる。また、最初の神は、神名ばかりが並んでいる。これを、名義未詳としているが、宇摩説では神の名から事績を解いている。

 これらの神の伝承にあった事績を名前から解釈すると、時代などが判明するから、神の名だけ残したものである。そして、名前を検討すれば、これらの神は、縄文の神や、弥生の神と判る。

 この最後に生まれたイザナギ・イザナミが、宇摩志神に続いて、再び、「タダヨウ国の修理、固生」に赴くのである。最初に、「オノコロ島」の話がある。何度か通って、この島は、自然に高天原の島(シマ、支配地)となった。

 以上で、マトメの2回とする。
次回は、イザナギ・ミの国生みを纏める。この後、古事記に戻って、「イザナギ・ミの神生み」に進む事にしよう。ここでも、縄文の神が残っている。

 なお、この後のマトメ3の後も、「イザナギ・イザナミ」を省いて、「国生み」から、「神生み」にする。

<以上>