なんで首相やるの?(1/2-孤独に貫く大儀は国民が与えてくれるものなのに)
一国のトップが、自分から退くなんて、無責任としか言いようがないわけだけど、
二年連続してこんなことが起きるとなると、
ことは、一人の政治家個人の問題ではなく、
それこそ、一国の問題として考えなければならない、という気がしてくる。
ひとつ、以前から真剣に考えなくてはと思っていることがある。
「名誉」と「誇り」という問題のこと。
いったい、首相などという、それこそどう考えても大変な仕事を、
ある個人は、
どのような動機でそれを目指し、どうやってやり遂げることができるだろうか、
そう考えたとき、
それは、一般に言う、それも個人的な、利益などでは絶対にあり得ない。
それこそ「米百俵を藩の将来のために」とか、「製鉄所建設は国家百年の大計」とか、
少なくも、いわゆる目標とする「大儀」の類が不可欠で、
その大儀を公共のコンセンサスとして国民と共有することで、政策というものは実施される
そういう構造になっているはずなのだが、
この政治家と国民の間で、ロマンのような抽象的な何かを共有するということが、
最近は成り立たなくなった。
政治と政治家に対する不信感がほとんどピークに達し、
そのまま高止まりを続けているような状態ですから。当然といえば当然すぎるのですが、
何故そうなってしまったのかについては、政治家一人を責めるだけではすまない。
国民自身が、国の将来について、自分たちの子孫に対して、極めて無責任になってしまっているのだから。
むかしは、(と言っても、わたし自身は映画や著作物を通して知ったわけですが)
「そんなことをしちゃあご先祖様に申しわけがたたねえ」という言い方で、
自身の行動を戒める姿や光景が、そこここにあった。
この場合、
「ご先祖様」は自分と、自分の子孫までをも含むことは、ちょっと考えてみればわかります。
そういうふうに、一国民のレベルで国家を論じることが、最近なくなった。
70年安保以降は、国の良心たる大学生さえもそれをやめた。
つまりは、日本国中のどこにも、国の将来が真剣に論じられている場所がほとんどなくなった。
「親の心子知らず」、「首相の心国民知らず」という、
かつてないような孤独感に、阿部首相も福田首相も襲われていたに違いない。
政治家の側からもたぶん、国民が信頼できないのだ。
「この決断はきっと誰か理解してくれる」という、
自分の判断、決断、政治的行動に対する精神的支援を、どこからも受けられない、
この国の首相というものは、そんな、割の合わない、やっかいな立場に墜ちてしまったのだ。
「名誉」が人間にとって大切なのだという国全体を覆う共通認識があれば、
首相も、恥ずかしくない、「名誉」ある行動が執れる。
わたしたちは、「名誉ある行動」というものを、
自身の生活の中に取り入れ、自らそのように生きる、そういう必要があるのではないか?
二年連続してこんなことが起きるとなると、
ことは、一人の政治家個人の問題ではなく、
それこそ、一国の問題として考えなければならない、という気がしてくる。
ひとつ、以前から真剣に考えなくてはと思っていることがある。
「名誉」と「誇り」という問題のこと。
いったい、首相などという、それこそどう考えても大変な仕事を、
ある個人は、
どのような動機でそれを目指し、どうやってやり遂げることができるだろうか、
そう考えたとき、
それは、一般に言う、それも個人的な、利益などでは絶対にあり得ない。
それこそ「米百俵を藩の将来のために」とか、「製鉄所建設は国家百年の大計」とか、
少なくも、いわゆる目標とする「大儀」の類が不可欠で、
その大儀を公共のコンセンサスとして国民と共有することで、政策というものは実施される
そういう構造になっているはずなのだが、
この政治家と国民の間で、ロマンのような抽象的な何かを共有するということが、
最近は成り立たなくなった。
政治と政治家に対する不信感がほとんどピークに達し、
そのまま高止まりを続けているような状態ですから。当然といえば当然すぎるのですが、
何故そうなってしまったのかについては、政治家一人を責めるだけではすまない。
国民自身が、国の将来について、自分たちの子孫に対して、極めて無責任になってしまっているのだから。
むかしは、(と言っても、わたし自身は映画や著作物を通して知ったわけですが)
「そんなことをしちゃあご先祖様に申しわけがたたねえ」という言い方で、
自身の行動を戒める姿や光景が、そこここにあった。
この場合、
「ご先祖様」は自分と、自分の子孫までをも含むことは、ちょっと考えてみればわかります。
そういうふうに、一国民のレベルで国家を論じることが、最近なくなった。
70年安保以降は、国の良心たる大学生さえもそれをやめた。
つまりは、日本国中のどこにも、国の将来が真剣に論じられている場所がほとんどなくなった。
「親の心子知らず」、「首相の心国民知らず」という、
かつてないような孤独感に、阿部首相も福田首相も襲われていたに違いない。
政治家の側からもたぶん、国民が信頼できないのだ。
「この決断はきっと誰か理解してくれる」という、
自分の判断、決断、政治的行動に対する精神的支援を、どこからも受けられない、
この国の首相というものは、そんな、割の合わない、やっかいな立場に墜ちてしまったのだ。
「名誉」が人間にとって大切なのだという国全体を覆う共通認識があれば、
首相も、恥ずかしくない、「名誉」ある行動が執れる。
わたしたちは、「名誉ある行動」というものを、
自身の生活の中に取り入れ、自らそのように生きる、そういう必要があるのではないか?
「3時まで」は、注文できる時間?、受注が終った時間?
サイゼリアという、イタ飯のファミレスのチェーン店がある。
3年ほど前、わが事務所から500Mほどのところに新店舗が開店した。
このチェーンは、味の方は今ひとつだが、値段が安いのが売りで、
食べ盛りの高校生が集団でたむろしていたり、
ヤンママ主婦たちが、濃厚な化粧顔に普段着姿で、子供をわめき散らかせながらよく利用している。
わたしもときどき出かける。
わたしの場合はランチが目当てで、
600円で、ハンバーグ系のメインディッシュに、ライス(パン)とドリンクバーが付くので、
昼食を手作りするのが面倒なときなど、コンビニ弁当より割安感があって、ちょっと魅力的である。
特に、アイディアが上滑りを始めて外で少し気分を変えたいときなど、
なんとなく駆け込み寺風に避難してみたり、
または、長居を決め込んでじっくり案を練るとか、読み切ってしまいたい本があるときなど、
コーヒーでもソーダ水でも飲み放題のこのランチは、ちょっと、どころか、かなり、魅力的である。
* * *
それは、8月1日(金)のことだった。
前日の7月31日、UEとの契約が成立したので、
翌日のこの日は午後2時すぎまで、資金計画やレンタルボックスの算段などをしていたのだった。
レンタルボックスのことは改めて書くが、とにかく、脱力感を与えられ、
これは例のランチを食べて気分を変えようと思った。
時計を見ると14時45分である。
ゆっくり歩いてもじゅうぶん3時には間に合う。
が、のんびりしていることはできないので、戸締まりもそこそこに事務所を出た。
店に着いたのは、たぶん14時55、6分頃だろう。
店内に入り、備え付けの掛け時計を着席時に確認したときは14時58分だった。
ランチメニューを一応確認し、
すぐに、オーダーのための呼び出し釦を押した。
この呼鈴に応じてテーブルにやって来たウエイトレスが問題だったのだ。
年の頃は20歳を越えたばかり、21~22才くらいか、
夏休みに入ったばかりの頃なので、この時期、学生アルバイトが増える。
いずれその類の臨時従業員であろうと思われる、まあしかし、それほど端っぱではない感じの女だった。
ともかく時間を気にしていたわたしは早々に
「今日のランチはどれ?」と尋ねた。
すると、このバイト女子学生従業員からは、意外や意外、全く予想もしない返答が返って来たのだ。
「あ、えっと、ランチはもう…、終わりました」
「は?」である。歯切れは悪いが、しかし、明瞭に‘ランチの終了’を宣言したのだ、この女は。
わたしは自分が時間を間違えているのかと、善良にも思ってしまった。
急いで、まず自分の携帯の時刻表示を見、それから壁の掛け時計の針を確認した。
携帯の時刻表示は「15:00」であり、掛け時計は、長針と短針できっちり美しい直角を描いていた。
わたしはくだんの女子バイト生に携帯を示し、もう一度掛け時計に目をやりながら
「ほら、いま3時じゃない。まだ大丈夫だよ。厨房行って、きいてごらん」
などと、バイト生の立場にもちょっとだけ配慮した言い方で、
‘『ランチタイム』はまだ終わっていない’ことをアピールしたのだった。
するとなんと、女子バイトは「はあ…」などとのらりくらりし、
明らかにランチのオーダーを受けたくない様子なのだ。…
もう、この先は省きます。
揉めました。
わたし厨房乗り込みました。
店長呼びました。
そして「15時ジャストはランチタイム内である」旨の確認とりました。
店長が薄汚れたネクタイをしていたので注意しました。
店長にクレームつけてる間に、料理が冷めてしまったので、店長は気を利かしてもう一度作り直しました。
パンを頼んだのにライスが来ました。
また店長が来ました。
鼻毛が出ていたので、また注意しました。…もうこれ以上「なにをか言わんや」です。
* * *
収拾付かなくなるので、一つだけ指摘して、終わりにしておきます。
わたしが不思議なのは、
「3時だからまだ大丈夫だよ」と言うわたしに対して女子バイトがとった反応です。
メニューにも店の外のノボリにも「3時まで」と大きく表示してあるし、
時刻はわたしの携帯のみならず、店の掛け時計も3時を指していた、のに、
「いま3時だよ」
に対する返事が、
何故「はあ…」なのか。こんな対応、あっていいのか。
わたしはおかしすぎると思う。
こちらの主張にいっさい頓着しない、こちらが何を言っていようが関係ない、
自分(女子バイト)としては「ランチは終わりました」と済ましている。
わたくしは、「この国は、市民の権利を踏みにじる市民を育てている」と感じたのです。
なんであんな学生が生まれてくるのだ。
学生とは、もっとも良識的な連中だったはずじゃなかったのか!?
『あんな対応は国を滅ぼす!』と、どこに訴えればいいのだろう
3年ほど前、わが事務所から500Mほどのところに新店舗が開店した。
このチェーンは、味の方は今ひとつだが、値段が安いのが売りで、
食べ盛りの高校生が集団でたむろしていたり、
ヤンママ主婦たちが、濃厚な化粧顔に普段着姿で、子供をわめき散らかせながらよく利用している。
わたしもときどき出かける。
わたしの場合はランチが目当てで、
600円で、ハンバーグ系のメインディッシュに、ライス(パン)とドリンクバーが付くので、
昼食を手作りするのが面倒なときなど、コンビニ弁当より割安感があって、ちょっと魅力的である。
特に、アイディアが上滑りを始めて外で少し気分を変えたいときなど、
なんとなく駆け込み寺風に避難してみたり、
または、長居を決め込んでじっくり案を練るとか、読み切ってしまいたい本があるときなど、
コーヒーでもソーダ水でも飲み放題のこのランチは、ちょっと、どころか、かなり、魅力的である。
* * *
それは、8月1日(金)のことだった。
前日の7月31日、UEとの契約が成立したので、
翌日のこの日は午後2時すぎまで、資金計画やレンタルボックスの算段などをしていたのだった。
レンタルボックスのことは改めて書くが、とにかく、脱力感を与えられ、
これは例のランチを食べて気分を変えようと思った。
時計を見ると14時45分である。
ゆっくり歩いてもじゅうぶん3時には間に合う。
が、のんびりしていることはできないので、戸締まりもそこそこに事務所を出た。
店に着いたのは、たぶん14時55、6分頃だろう。
店内に入り、備え付けの掛け時計を着席時に確認したときは14時58分だった。
ランチメニューを一応確認し、
すぐに、オーダーのための呼び出し釦を押した。
この呼鈴に応じてテーブルにやって来たウエイトレスが問題だったのだ。
年の頃は20歳を越えたばかり、21~22才くらいか、
夏休みに入ったばかりの頃なので、この時期、学生アルバイトが増える。
いずれその類の臨時従業員であろうと思われる、まあしかし、それほど端っぱではない感じの女だった。
ともかく時間を気にしていたわたしは早々に
「今日のランチはどれ?」と尋ねた。
すると、このバイト女子学生従業員からは、意外や意外、全く予想もしない返答が返って来たのだ。
「あ、えっと、ランチはもう…、終わりました」
「は?」である。歯切れは悪いが、しかし、明瞭に‘ランチの終了’を宣言したのだ、この女は。
わたしは自分が時間を間違えているのかと、善良にも思ってしまった。
急いで、まず自分の携帯の時刻表示を見、それから壁の掛け時計の針を確認した。
携帯の時刻表示は「15:00」であり、掛け時計は、長針と短針できっちり美しい直角を描いていた。
わたしはくだんの女子バイト生に携帯を示し、もう一度掛け時計に目をやりながら
「ほら、いま3時じゃない。まだ大丈夫だよ。厨房行って、きいてごらん」
などと、バイト生の立場にもちょっとだけ配慮した言い方で、
‘『ランチタイム』はまだ終わっていない’ことをアピールしたのだった。
するとなんと、女子バイトは「はあ…」などとのらりくらりし、
明らかにランチのオーダーを受けたくない様子なのだ。…
もう、この先は省きます。
揉めました。
わたし厨房乗り込みました。
店長呼びました。
そして「15時ジャストはランチタイム内である」旨の確認とりました。
店長が薄汚れたネクタイをしていたので注意しました。
店長にクレームつけてる間に、料理が冷めてしまったので、店長は気を利かしてもう一度作り直しました。
パンを頼んだのにライスが来ました。
また店長が来ました。
鼻毛が出ていたので、また注意しました。…もうこれ以上「なにをか言わんや」です。
* * *
収拾付かなくなるので、一つだけ指摘して、終わりにしておきます。
わたしが不思議なのは、
「3時だからまだ大丈夫だよ」と言うわたしに対して女子バイトがとった反応です。
メニューにも店の外のノボリにも「3時まで」と大きく表示してあるし、
時刻はわたしの携帯のみならず、店の掛け時計も3時を指していた、のに、
「いま3時だよ」
に対する返事が、
何故「はあ…」なのか。こんな対応、あっていいのか。
わたしはおかしすぎると思う。
こちらの主張にいっさい頓着しない、こちらが何を言っていようが関係ない、
自分(女子バイト)としては「ランチは終わりました」と済ましている。
わたくしは、「この国は、市民の権利を踏みにじる市民を育てている」と感じたのです。
なんであんな学生が生まれてくるのだ。
学生とは、もっとも良識的な連中だったはずじゃなかったのか!?
『あんな対応は国を滅ぼす!』と、どこに訴えればいいのだろう
ガスストーブは使ってもいい?
ちょっと事情があって、
わが家の年寄りを一人住まいさせることになり、アパートを借りた。
契約時、「重要事項説明」という、いわゆる注意書きのようなものを確認する、
なぜかアパートの所有者の権利ばかりを主張される所定の手続を終え、
最後に「じゃあこれで」となるまえ、
念のために確認してみた。
「‘石油ストーブ禁止’と書いてあるけど、ガスストーブはいいの?」
火災の危険上、灯油のストーブは使えませんという説明を受けていた。
「ガスストーブはは大丈夫です」と、その担当者。
「へえ。ガスならいいの。なんで?。火災の危険は同じだと思うけど」本当に不思議だった。
「石油は危険物の扱いになってしまうんですよ」
「灯油が危険物ねえ」どうも腑に落ちない。「でもさ、裸火が露出しているガスストーブが良くて、温風だけが出てくる石油ファンヒーターがいけないって言うのは、合理性に欠けるよね?」と疑問を言ってみた。
すると相手は、ちょっと首を傾げてから、
「あ、ガスストーブですかぁ?」
などとオウム返しに繰り返して、まだ首を捻っている。どうも、ガスストーブというものを知らないらしい。
「ひょっとしてガスファンヒーターと思っていたの」と言うと、
「あ?、はい。そうみたいです」などと悪びれないのだ。
ちょっと端折るが、要は、管理会社としては、ガスストーブは「可」ではありません。などと言いだすのだった。ここで、ちょいともめた。
「契約書に書いてないんだから、禁止できないでしょ?」と言うと、
「オーナーは了解していない状態で使用するということになります」などと屁理屈を言い、使わせないぞと言わんばかりの勢いだ。
「‘了解’?、‘認知’でしょう?、オーナーが知らないうちに使っていたということでしょう?」
「そうです」
「そうでしょうよ、書いてなければ禁止できないんだから」
「書いてないことは協議することになってますので、管理会社としては協議させていただきまして…」
「協議はするけど、書いてないことを禁止はできないでしょう?」
「はあ、しかし…」
もう、暗礁に乗り上げた感じだった。
つまり、「契約書に書いてないことは禁止できない」というこちらの主張を、認めることができないのだ。
「こちら(管理会社)としては、『可』ではありません」などと言い張るのだ。
「不可でもないんでしょう?」
「ええまあ、」
「不可でないことは、やっていいってことでしょう?」
「いえ、不可でないことが、やっていいということにはなりません。」
「どうしてさ!。ダメでなければいいに、決まってるじゃないか」
「やはりそれは、‘可’ではありませんから、いいとは言えません」…
もう、なにをか言わんや、である。
ガスストーブに関して契約書には何の記述もないのに、管理会社の担当者のその場の判断で、
「‘可’ではありません」になっている。
「ガスストーブを使うことができるかどうか」というこちらの権利については無視である。
『使ってはいけない、ということはこちらとしては申し上げられませんが、契約書の主旨から判断して、あまりお使いいただくありませんと、お伝えしておきます』この場合管理会社が言えるのはこの程度である。
こちらに「ガスストーブを使う権利はあるのか」と問えば良かったのだろう、たぶん。
そうしたら「権利があるかどうかを判断できません」という返事が返ってきただろう。
そうだよ。
「判断できない」って、言えばいいのだ。契約書に書いてないんだから。
それを何で「『可』ではありません」なんて言っちゃうのだろう。
「それはお客様の判断で」と言えよ。貸借契約の権利主体の一方は、借りてやっている「借り主」なのだ。
オーナーの肩ばかり持つな!、レインボー印のD不動産!
わが家の年寄りを一人住まいさせることになり、アパートを借りた。
契約時、「重要事項説明」という、いわゆる注意書きのようなものを確認する、
なぜかアパートの所有者の権利ばかりを主張される所定の手続を終え、
最後に「じゃあこれで」となるまえ、
念のために確認してみた。
「‘石油ストーブ禁止’と書いてあるけど、ガスストーブはいいの?」
火災の危険上、灯油のストーブは使えませんという説明を受けていた。
「ガスストーブはは大丈夫です」と、その担当者。
「へえ。ガスならいいの。なんで?。火災の危険は同じだと思うけど」本当に不思議だった。
「石油は危険物の扱いになってしまうんですよ」
「灯油が危険物ねえ」どうも腑に落ちない。「でもさ、裸火が露出しているガスストーブが良くて、温風だけが出てくる石油ファンヒーターがいけないって言うのは、合理性に欠けるよね?」と疑問を言ってみた。
すると相手は、ちょっと首を傾げてから、
「あ、ガスストーブですかぁ?」
などとオウム返しに繰り返して、まだ首を捻っている。どうも、ガスストーブというものを知らないらしい。
「ひょっとしてガスファンヒーターと思っていたの」と言うと、
「あ?、はい。そうみたいです」などと悪びれないのだ。
ちょっと端折るが、要は、管理会社としては、ガスストーブは「可」ではありません。などと言いだすのだった。ここで、ちょいともめた。
「契約書に書いてないんだから、禁止できないでしょ?」と言うと、
「オーナーは了解していない状態で使用するということになります」などと屁理屈を言い、使わせないぞと言わんばかりの勢いだ。
「‘了解’?、‘認知’でしょう?、オーナーが知らないうちに使っていたということでしょう?」
「そうです」
「そうでしょうよ、書いてなければ禁止できないんだから」
「書いてないことは協議することになってますので、管理会社としては協議させていただきまして…」
「協議はするけど、書いてないことを禁止はできないでしょう?」
「はあ、しかし…」
もう、暗礁に乗り上げた感じだった。
つまり、「契約書に書いてないことは禁止できない」というこちらの主張を、認めることができないのだ。
「こちら(管理会社)としては、『可』ではありません」などと言い張るのだ。
「不可でもないんでしょう?」
「ええまあ、」
「不可でないことは、やっていいってことでしょう?」
「いえ、不可でないことが、やっていいということにはなりません。」
「どうしてさ!。ダメでなければいいに、決まってるじゃないか」
「やはりそれは、‘可’ではありませんから、いいとは言えません」…
もう、なにをか言わんや、である。
ガスストーブに関して契約書には何の記述もないのに、管理会社の担当者のその場の判断で、
「‘可’ではありません」になっている。
「ガスストーブを使うことができるかどうか」というこちらの権利については無視である。
『使ってはいけない、ということはこちらとしては申し上げられませんが、契約書の主旨から判断して、あまりお使いいただくありませんと、お伝えしておきます』この場合管理会社が言えるのはこの程度である。
こちらに「ガスストーブを使う権利はあるのか」と問えば良かったのだろう、たぶん。
そうしたら「権利があるかどうかを判断できません」という返事が返ってきただろう。
そうだよ。
「判断できない」って、言えばいいのだ。契約書に書いてないんだから。
それを何で「『可』ではありません」なんて言っちゃうのだろう。
「それはお客様の判断で」と言えよ。貸借契約の権利主体の一方は、借りてやっている「借り主」なのだ。
オーナーの肩ばかり持つな!、レインボー印のD不動産!
