「回~転~ダ~イブ!」
子供の頃、毎年夏休みの何日かを母の実家で過ごした。
父の運転で向かう母の実家への道は、もう本当に「田舎道」で
国道でありながら砂利道で穴ぼこだらけのスリリングな旅だった。
ある年なぞ、前を走るトラックが巻き上げる真っ白い砂ぼこりをあびながら
あまり効かないクーラーを最強にして走っていると
突然フロントガラスが木っ端微塵にくだけ、雨のように車内に降ってきた。
どうやら前を走るトラックが石を跳ね上げ、フロントガラスに直撃したらしい。
トラックは何も知らずに砂ぼこりを上げて走り去り、
我々はフロントガラスだけが無いという逆オープンカー状態で
町の修理屋まで走ったりした。
母方の祖母はいつも我々を歓迎してくれ、到着すると必ず私の大好物の
うな重をとってくれた。
母の兄の子供が姉弟で二人おり、いつも四人で遊んでいた。
昼間は近くの田んぼの脇の小川でいろんな生き物を捕ったり
崖から貝や変な形の化石などを掘り出したりした。
近所に大きな池があった。
その池をぐるりと回り、奥の森の中を進んでいくと墓地があった。
墓地は道路からいくらか上ったところにあり、大きな木に囲まれて薄暗く、
古い墓石は苔むしたものが多く、まるでゲゲゲの鬼太郎に出てくる
墓地のようで、子供心に少々怖かった。
池にはザリガニを釣りにいった。
糸の先におつまみのイカを結び、濁った水から突き出ている杭のヘリなどに
そっと垂らすと、しばらくしてグッと引っ張られる感触がある。
ゆっくり引くと相手も引いているのがわかる。
何度か引っ張り合いをしてザリガニが意地になって離さないと見れば
あくまでもそっとグイッっと引き上げると大きなハサミでイカをつかんだ
真っ赤なアメリカザリガニが糸の先にぶら下がっている。
池の土手の草むらには蛙が、たまに鯉と思われる大きな魚影なども見えた。
ある年、池の草むらの足元から一匹の大きなヘビが池に泳ぎ出し
我々は飛び上がって驚いた。
体長1メートルほどの青大将だったと思う。
見事な泳ぎっぷりで離れた岸に消えていった。
従兄弟に聞くと、池の土手にあいている穴はヘビの穴で
その中にトグロを巻いて住んでいると言った。
夜になると蛍を見ることができた。
花火もよくやった。
祖母からお小遣いをもらい、遠くの駄菓子屋まで行って買ってきた。
小学校の高学年になってた私は4人の従兄弟の中では男では一番年長で
ちょっとした兄貴風を吹かせていた。
その晩は花火を池でやろうという話になり、母や叔母と一緒に
ワイワイと花火を始めた。
花火が黒い水面に映り、それが綺麗で花火を早くゆっくり動かして遊んでいた。
花火をグルグル回すと花火の閃光が繋がって、丸く円になって見えたり
波のように繋がって見え、弟達も面白がって見ていた。
花火を持って腕を振り回していた私は、花火を両手に持って回転してみた。
花火から落ちる火花が遠心力で回りに飛んでいき、これもまた綺麗だった。
グイーンンとかビューンンとか奇声を発しながら回っていると
母に危ないから離れてやるようにと言われ、
皆からちょっと離れたところで両手回転花火を披露した。
弟達年少者は感心して見ていた。
回転小僧は興奮し、ますます図に乗って得意げに回転していった。
何回目かの回転花火中にバランスが崩れた。
よく解らないうちに回転の軸が傾き、それを止めることも出来ないまま
コマのように回転しながら体がゆっくりと倒れていった。
ヤバイと思いつつも私の体は回転を続け、行ってはいけないと解っている
池の方に近づき、両手に花火を持ったまま回転小僧は美しく土手を落ちていった。
気がつくと池の中でもがいていた。
目が回って天地がどっちだか解らない。
回転小僧は綺麗とは言えない池の水を飲みながら
水面と水中を行ったり来たりしつつ必死に岸に向かおうともがいた。
岸の上からは皆の早く上がって来いという声が聞こえるのだが
暗いせいもあって岸がどっちだか解らない。
やっと背が立つことが解り、よろよろと立ち上がってみると
膝ぐらいまでの浅さであった。
回転小僧は目が回っていたせいで、子供の膝ぐらいの浅さのところで
泥の中をのたうち回っていたのである。
我に返り、慌てて土手を登ろうと草むらに這いつくばった瞬間、
昼間に見たヘビの穴のことが蘇り、恐怖に叫びながら這い上がった。
池から這い上がった私は母に叱られ、従兄弟や弟に大笑いされながら
捕まった河童のように悲しい気持ちで池を後にした。
さっきまでエキサイトし、奇声を発しながら得意げに回転していたのに
今は弟に笑われている自分が恥ずかしかった。
歩くたびに靴の中の水がグッチョングッチョンと変な音を出した。
その音が皆を一層おかしくさせ、自分が立てている音でまた自分が
笑われていることに心底悲しくなった。
実家の風呂は外の釜で炊く方式で、花火に行く前にも入ったのだが
もう一度沸かしてもらい、体に付いた池の汚れを落とした。
沈んだ気持ちで風呂から上がろうとした瞬間、茶の間の方から
どっと大きな笑い声が聞こえた。
その瞬間、目から涙があふれ出し泣き出してしまった。
なかなか出てこないので心配した叔母が風呂場で泣いている私を発見し、
慰められながら茶の間に行っても恥ずかしく、
しばらくは下を向いて過ごしていた。
今から数年前に見たその池は半分埋められてしまっていた。
今はどうなっているのだろうか。
甥っ子でも連れて花火持って行ってみようかなあ。
「未知との遭遇」
わが町ではお盆のある決まった日に、夜中の12時ごろに提灯に蝋燭を灯し、
自分の家の先祖が眠っているお墓までお参りに行く習慣がある。
夜の夜中に幾家族もの集団が提灯を持って、お墓に向かって
ゾロゾロと歩いていく光景は当事者からみても異様で、
子供の頃に見た「妖怪人間ベム」とか「ウルトラQ」なんかを
つい思い出してしまう。
なんだかわからない未知の力に町全体の人々が操られ
町外れの墓場までおびき寄せられているようで、
お墓があるお寺までの道で知っている家族などに会い、
まじめな顔で挨拶などをしていると、
「操られてるとも知らないで・・・」などと考えてしまい
つい笑ってしまう。
私が小学生のじぶんのある年のお盆のこと
夜中に我が家からは祖父、母、私と弟、そして祖父のいとこにあたる
おじいさんとその家族が連れ添ってお参りに行った。
私のヒイ爺さん(曽祖父)は次男にあたり、
この家族とは本家と分家の関係になる。
近所に住んでいるので何かの行事などがあると一緒に行うことが多い。
このお盆の夜中の墓参りも昔からの習慣になっており、
いつものように本家、分家、親戚のお墓とお参りをした。
お寺の境内には大勢の檀家が集結しており、お線香の煙が
墓場全体からモウモウとたち昇っている。
こんだけ煙があると、普段だったらすぐに寄ってくる蚊も
どこかに自主避難しているらしく、だれも痒いと言わない。
無縁仏にもお線香を供え、またゾロゾロと二家族が連れ添って
家の爺様と本家の爺様を先頭に、なぜかその二人を追い抜かないように
ゆっくりゆっくりと家までの道を歩いていた。
私は弟と、弟と同級生の本家の男の子と無駄話をしながら
ほとんど足踏み状態でゆっくりと歩いていた。
ふと見ると先頭を歩いていた爺様二人が立ち止まり、
シャッターが閉まった店の前にある機械を見上げている。
見上げているというのは、家の爺様は腰が約90度に曲がり
本家の爺様は約60度に曲がっているためで、
普通の人ならばその機械は目の高さの位置にくるはずである。
立ち止まってしまった爺様二人に追いついた2家族の大人達は
そこに爺様たちなどいないかのようなそぶりで爺様二人を無視し
そのまま追い抜いて歩いていった。
普段だったら一緒に立ち止まり、なんだどうしたと声を掛けるものである。
その機械は一本足で立っていて何かの自動販売機であるらしい、
それは大人が使うものが売っているらしいと子供心に感じ黙っていた。
振り向くと爺様二人はその一本足自販機からの照明を顔に受け、
指を指しながらなにやら熱心にうなずき、たまに笑い声を上げて
討論をしている。
同じようにお参りに来た大勢の他所の家族がジジイ二人が熱心に見上げている
ものはなんだろうと同じように機械を眺めながら黙って通りすぎていく。
我々は爺様二人をおいたまま歩き続け、何事も無かったかのように
挨拶をして解散した。
今ではあれは何の自動販売機だったか知っている。
そういえばあの自販機がある場所は薬局の前だった。
今ではコンビニや雑貨屋さんで売っているが、
あの当時は薬局で買うしかなかった。
薬局が閉まってしまうと大変困る人がいたのだろう、
当時はまだ少なかった自動販売機で売るという手段を取ったと。
そんな最新鋭の機械に爺様二人が気がついて感心するのはいいんだけど
人が大勢歩いているお盆のそんな日に照明まっぴかりの機械の前で
熱心に討論しなくても・・・。
きっと回りを歩いていたその機械事情を知っている方の中には、
まさかこの腰の曲がったジジイらが買うのか?!と驚いた人もいただろう。
今思うと
「さすが明治生まれ。回りの目なんぞ気にせず ヤルナ!」と感心してしまう。
一体どんな話をして、どんな風に納得したのかあの二人・・・。
「猫と我が家の事情」
捨てネコを拾ってきた。
学校の脇に捨てられていた。
何匹か捨てられていたそうで、その中の尻尾の丸まった白い子猫を
引き受けることになってしまった。
嫌だというのに、友人はダンボールに入れて手渡してくれた。
我が家は昔から犬を飼ってきていて、ネコを飼うの初めてであった。
拾ってきたその日は家族にも言えず、祖父が建てた庭の離れに閉じ込めていた。
まだ子猫なのでダンボールに入れ、皿に牛乳と煮干を入れておいた。
ウンコはきっとダンボールの中にするんだろうなと思った。
学校から帰り離れの戸を開けると異様な臭いがした。
ダンボールを覗くと中には何もいない。
フタもないダンボールなので、外に飛び出るのは解っていた。
「シロ、シロ」と名前を呼んでみた。
ちょっと薄汚れたグレーのシロは部屋の隅においてある
荷物の隙間からそっと顔を覗かせ、ゆっくりと足元に擦り寄ってきた。
それにしても部屋の異様な臭いはなんだろうか。
臭いの元を探すと、なんと!
床の間に祖父が飾っていた上向きに大きな口を開けた貝の中に
茶色い半液体が綺麗に溜まっていた。
ウンコ?・・・いや、下痢をしているのでウンチ?
茶色の半液体は牛乳と煮干で腹を壊してしまったシロが
止むにやまれず畳を汚してはいけないと思ったのだろう、
一番被害が少ないと思われる大きな貝をトイレに選び、
見事、その中に出し切っていたのである。
偉い!
偉いが臭い!
祖父に気づかれないように茶色の半液体を庭に埋め、
貝は水で洗って元に戻しておいた。
何時までも隠してはおけないと悟り、茶の間に連れていったところ
案の定、家族からの猛反対。
その当時我が家は食料品店をやっていて母屋から店まで繋がっていた。
「犬は庭に繋いでおけるが、猫は繋いでおけないだろう、
勝手に店に行って置いてある商品を食べたりするからだめだ。」
というもっともなご意見。
「まあね、そんなことが起こるかもね、猫だから・・・ダメ?」
「では寝るときは外に出す」
という祖父の助け舟で、とりあえず飼い始めることになった。
普通の猫は夜になると家に帰って来て炬燵の中などで寝るのだろうが
ウチのシロは夜になると炬燵から出されて外に寝ることになる。
餌を外に置かれ、食べている間に戸を閉めてしまうという
ちょっとかわいそうな飼い方になってしまった。
まあ、温かく寝るところはいくらでもありそうなので心配はないが、
シロにとって、あー飼われているんだな、ありがたいなぁという意識は
芽生えないんじゃないだろうか、下手をするとそのうちシロに
仕返しでもされるんじゃないかなどという変な心配はあった。
ある朝、祖父が孫の手を持って怒っていた。
どうしたのか聞くと、店に並べて売っていたスルメの足を
シロに全て食べられちまったという。
当時スルメはビニール袋なんかには入れられておらず、
むき出しのまま並べられていた。
ああ見えても案外高い「おつまみ」であった。
前の晩、外で餌をあげた後に隙を見て忍び込んだらしい。
朝起きたら炬燵の中で気持ちよさそうに寝ていたという。
嫌な予感がして店を見にいったら見事、スルメがやられていた。
頭に来たので孫の手で叩いてやったと言う。
祖父はかなり怒っており、私はなにも言い返せなくなっていた。
そんなことがもう一度あり、祖父の怒りは頂点に達した。
捨てて来ると言い出したのだ。
祖父を止める勇気のある者は誰もいなかった。
「ったくこのバカ猫ぉ」
「まぁもう大人の猫だからどこに行っても一人でやっていけるべ」
などとと言いながらシロをダンボール箱に入れ、
麻縄で自転車の荷台にくくりつけた。
私と弟は
「しかたがない・・・シロご免・・・たくましく生きてくれ」
と心の中で祈った。
自転車が走り出すと荷台のダンボール箱からカシャカシャと
シロが驚いて動き回る音が聞こえてきて悲しかった。
どこまで捨てに行くんだろうと曲がった腰でゆっくりと進む
祖父の戦車のような鉄の自転車を見送った。
しばらくして祖父が戻ってきた。
荷台からカラのダンボール箱をおろしている。
あー本当に捨てられてしまったんだなーと思って見ていると
「捨てようと思ってよぅ、自転車を停めてダンボールを見たら、
はぁ、いなかった」
「どこかで箱から飛び出したんだべ、ふぁふぁふぁ」
と笑いながら祖父が言った。
なんとシロは走ってる自転車から決死のダイビングで逃走していた!
このままでは知らない土地に捨てられてしまうと悟ったのだろうか。
しかし飛び出したところもきっと知らない土地なのだ。
大丈夫かシロ!
車なんかに惹かれていないかシロ~!
などという心配も一週間程してすっかり薄れたころ、
シロはひょっこり帰ってきた。
何事も無かったかのような様子で、いつの間にか炬燵の中にいた。
あら?っという感じである。
シロは一段と薄汚れ、最初はどこかの猫が忍び込んだと思った。
その日からシロの態度は気のせいか何かよそよそしく感じられるようになった。
特に祖父と祖父の孫の手とは距離を置いて行動していたように思える。
最後に、猫がイカを食べると中毒を起こすというのはガセだと思う。
「求む!検便代行」
検便ができない。
大腸検査のお知らせはちゃんと届く。
行きつけの病院に行く度に
「大腸検査の通知は届いてますか」と聞かれる。
「検便の容器を出しときますから、いつでも持ってきてくださいね」
と親切に言われると
「はいっ!」っと元気よく答えて容器をもらってくる。
その容器が使わずにもう2個もある。
最後に検便をした記憶はたしか小学校の時だったと思う。
その当時の容器は安物のコンタクトレンズ入れのような
プラスチックの白いやつで、自分のものを割り箸などで
小指の先くらいの量を採取して、入れていくという方式だった。
手元に2個あるヤツは透明な100円ライターほどの容器で、
除光液のようにフタに爪楊枝のような採集棒が付いていて、
それで自分のものをつついてまた容器に戻すという方式。
容器の中には水にような液体が入っている。
最初に見たときは医学は知らないうちに進歩しているなと感心した。
割り箸で解体しなくていいのだ。
小学生当時の我が家のトイレは和式の汲み取りから水洗に変わり、
しゃがんですれば目の前に対象物が残っていて
それを一生懸命に頑張って採取すればよかった。
今は洋式になり、便座に座ってすると自分のものは
水の中に浸かってしまう。
カミさんに相談すると、トイレの中にまず新聞紙を敷き、
その上にトイレットペーパーを敷き、その上にしろと。
採取したあとはトイレットペーパーをトイレに流し、
新聞紙は可燃ごみの袋に捨てれば?と・・・。
なるほど・・・と思いながら検便採集セットを開けてみると
丁寧に取り方の説明書が入っていた。
トレールペーパーというものを使えば簡単に採取できると書いてある。
しかも写真付きで・・・。
しかし、検便が出来ない本当の原因は違うところにある。
自分は最終的にウンコをつつく事ができないようだ・・・。
普段から飼い犬のフンもなかなか拾えない。
出来立てのホヤホヤはなおさらで、悪いけどカミさんに拾ってもらう。
匂いに敏感なのだろうか。
胸に込み上がってくるものがある。
ジーンと込みあがってくるのではなく、オエッと。
ドッグフードを食べている犬の、ほとんど匂わないフンでさえ
涙目になっている自分がかわいい。
これが人間のフンだったらと思うと・・・。
子供のオムツを取り替えていた時期も、ミルクから離乳食に変わった頃から
オムツの取替え前線から離脱した覚えがある。
世が世なら敵前逃亡で銃殺の刑である。
そして検便の容器を前に悩んだ末、カミさんに頼んでみる。
1個目の時はさすがに恥ずかしかったので
「ちょっとさー、検便手伝ってくれない?」などと言ってみた。
カミさんも不思議だったのだろう
「手伝うって? ・・・なにを?」
「だから、するから、それをこの容器に移してくれればいいのさ」
「ばっかじゃないの?自分でしなさいよ!」
「だめ?」
「当たり前でしょ!まったく!!」
と相手にされず、そのまま容器は使われず終いになった。
検便の容器は使用期限があって、それが過ぎると新しい容器を
使わなくてはならない。
2個目のときは開き直って、
「ちょっとこれ持ってて」
「どうすんのよ・・・」
「してくるから、あとヨロシク!」
「また始まった・・・ 自分でやんなさいって言ってるでしょ!」
「それが出来ないから頼んでるんだろっ!」
「出来ないってどういう事よっ、自分のウンコでしょうが!」
「人には向き不向きってのがあって、俺には難しいんだよ」
「なに言ってんの!じゃアンタはなにしてくれんのよ!」
「蛍光灯の取替えなんかは俺がやってるだろ」
「じゃもうやんなくていいわよ」
「なんで犬のウンコが拾えて、俺のウンコが拾えないわけ?!」
「○○のウンコは臭くないもん。アンタのは臭いのよ!」
「あったまきた!」
「アンタが寝たきりになったら誰が面倒を見ると思ってんのよ」
「なにおー? お前やれんのかよ!?」
「やるわよ!」
「ウンコできんのかよ!」
「出来るわよ!」
「じゃあ、今やって証明してみせろよ!」
「寝たきりになったらって言ってるでしょ!」
「信用できないね!」
「私が寝たきりになったらアンタできないでしょ!!」
「あーできないよっ!」
「じゃあ偉そうなこと言わないでよっ!」
「知らねーぞっ! トイレにしとくからな!!」
「誰も取らないからね、するなら外にすればぁー?」
「外にしたら取るのかよ!」
「取るはず無いでしょ!」
「なんで犬のは取って、ダンナのは取れないんだ?えっ?!」
「うっさいなーもー」
「チックショー・・・ ったく・・・なんて女だ・・・」
「え?なんか言った?!」
「なんでもねーよ・・・犬と差別しやがって・・・・・・」
とまあこんな具合でいじめを受けている。
ここまで書きながらフト思い出したことがある。
小学生の頃、よくバクチクで遊んでいたが、
庭で飼っていた犬のフンにバクチクを突き立てて火をつけた。
フンは見事に破裂し、破片はそこらじゅうに飛び散った。
悪友達は死に物狂いで物陰に隠れ、フンから身を守っていた。
フト見るとその破片の一片が自分の右足のすねにくっついていた。
もうその日は「エンガチョ」コールを一身に浴び、辛い思いをした。
もう二度とそういうものにバクチクは突き刺さないぞと心に誓った。
まさかあのときのウンコ恐怖体験がトラウマとなって
私をウンコから遠ざけていたのか・・・。
「鼻からご馳走さま」
父親が倒れた。
なんとか持ち直し、今では病院のベットの上で
備え付けの液晶テレビで高校野球を観ている。
2週間ほど前のこと、
下の階に住んでいる母親から呼ばれて降りていくと
父親がパジャマ姿でゴミ箱を覗き込んでいた。
聞くと、2日前から気持ちが悪いと言って、
自分で食べたものを吐いているという。
父曰く、2日前に食べた蕎麦が悪かったと見ている。
吐けば治ると思って自分で指を突っ込んで吐いているがなかなか治らない。
とうとう全身の力が抜けて立ち上がれなくなった。
救急車を呼べ。
アホか・・・。
気持ちが悪くなった時点で何故すぐに病院へ行かなかったのかを聞くと
実は病院へは胃カメラの検査を予約していて行くはずだった。
しかし具合が悪くなったので予約はキャンセルした。
そしてさらに具合が悪くなってきて、待合室で待つのも辛いなあと思っていた。
という、なんだかよく解らない説明であった。
犬じゃないんだから、吐けば治るっていう発想はかなり乱暴である。
よく今まで無事に生きてこられたと思う。
父は過去に脳梗塞で2度ほど救急車で運ばれているので
一同冷静の内に救急車を呼び、近所の方々に見守られながら病院へ。
様々な検査の結果、薬が効かなければここ1~2週間が
ヤマになるでしょうとの説明。
特殊な薬を5日間点滴で投与し続けた結果、生き返る。
ロレツが回らないのと入れ歯を外しているのとで
なかなか会話が成り立たなかったが、いくらか聞き取れるようになってきた。
生きるか死ぬかが掛かっている特殊な薬の点滴瓶を見ながら
「ヒョレハ フュ へフカ」
何回かヒアリングのち、
「それは酢ですか?」と聞いている事がわかり、一同ため息・・・。
看護婦さん
「これはぁー 酢じゃありませんよぉーー」
当たり前である。
黒酢が身体に良いとはいえ、直接点滴するはずがない。
峠を越し、なんとか一命を取り留めたあたりからわがままを言い出した。
腹が減ったという。飯を食わせろと言い出した。
まだものを飲み込めない程の麻痺があるので
流動食を鼻から入れることになる。
食事時間になると鼻から伸びた管の先に付いている容器に
カロリーメイトを水で溶いたような白い液体を入れられる。
見ていると飲み込んでいる様子もないのに少しずつ液体が減っていく。
鼻から入った管は胃まで達しており、その管の先から流動食が
流れ込んでいるんだなーと感心する。
最後まで見ていると、容器がカラになっても管の中に残っており、
減っては行かなくなった。
家族が止めなさいというのを無視し、
「もったいないでしょ」と言いながら管を手に取り
そっと上に持ち上げてみた。
管の白い液体は勢いよく鼻の中に吸い込まれていく。
こ!これは!
透明なチューブの中を白い液体がスーっと移動していく様子は
まさにドリフの長いストローではないかっ!!
不謹慎にもそう思ってしまい、半笑で振り向くと家族の冷たい視線。
自分だけでそのおかしさをかみ締めていた。
仕方が無いので管を元に戻しながら、
こういう場合も「ごちそうさま」は言うべきなのだろうか等と考えていた。
流動食が何日間か続いていたところ
看護婦さんから「2度ほど鼻のチューブを勝手に引き抜いてしまった」
と言う報告があった。
なんでも寝ているうちに、知らずに抜いてしまうらしい。
「ほっしゃん」に対抗しているつもりか。
自分では内緒にしていたらしいのだが家族にはすっかりバレている
パソコン、プリンター、デジカメのセットの事を聞いてみた。
これは自分で育てた庭の農作物の成長過程を記録していくという
目論見で内緒で購入したのだが、使い方が全く解らず、
週に一度インストラクターに教えに来てもらっている代物。
ヤバイ、バレタという顔をしている父親に
「あれは返却していいのか」と聞いた。
「ファメラ」→「だめだ」
まだ全く使っていない、私でさえ持っていない複合プリンターも
「ファメラ」→「だめだ」
じゃデジカメはいいだろうと聞くと、それも
「ファメ」→「ダメ」
今まで散々家族に迷惑をかけてきて、今は体中チューブだらけの状態で
まだそんな欲張りなことを言うのかと頭にきた。
「じゃ、庭に放ってある「枝葉粉砕機」に全部ぶち込むから」
と言うと、ちょっとふて腐れた感じで
「フェヒハメハ ヒュハッヘ ヒイ」→「デジカメは使っていい」
という言葉を発した。
まったくどこまで自分勝手なのか。
今は病院食のメニューにヒュハヒュハ文句を言っているらしい。
「空の飛行機が気になる」
たまにカミさんが変なことを言う。
友人がやっているお店の屋上で夕方、友人夫婦と夕涼みをしていた。
とりとめの無いバカ話をしていると、カミさんがジッと空を見つめている。
空は夕暮れて、西の空はきれいな夕陽。
斜め45度ぐらいを見上げていたカミさんが言った。
「なんで飛行機が出てくるところを見れないんだろう」
一同?
丁度そこらへんが飛行機の航路になっているらしく
さっきから同じ方向に旅客機が何機も飛んでいたのは知っていた。
「ナニ?どういうこと?」と私が聞くと
「さっきから飛んでくる飛行機を見てるんだけど
気がついた時にはもう大きく見えているんだよねー」
「ふんふん、それで?」
「飛んで来る飛行機が出現するぅその瞬間を見てみたいのね」
「・・・? ・・・見えた時がその瞬間じゃないの?」
「そうじゃなくて、何も無いところを見ていて、そこから現れるところ」
一同、さらに激しく????
と思いきや、
「私も思ってた~」と友人の奥さん(以下、ママさん)
このママさんも遠い惑星から来た人ではないかと疑うほどのお方で
姿は地球人ソックリだけど、日頃の言動、行動を見ていると
どうも怪しいぞ、宇宙と通信しているらしいとの噂がある。
ドッグカフェをやっているこのお店に行ってなごんでいると
たまにママさんが遠くを見つめたまま止まってしまう事がある。
どこかから受信中なのか、はたまた送信中なのかはわからないが、
メモリーの増設が必要ではないだろうかと思うほど
フリーズ状態の時がある。
そんなときは通信の処理が終わるまで待つことにしている。
ママさん曰く
「私は飛行機が消えていく最後の瞬間も気になる」
私と友人は更に目をしばたき、しばらく顔を見合わせていた。
この二人の女の人が言っている事がしばらく飲み込めなかった。
友人
「えーっと、飛行機が出てくる瞬間って言うけど、
このただっぴろい空のどこか一点に検討をつけて見続けていて、
飛行機かなんだか解らない小さな点になった瞬間を見つけたいと?」
カミさん&ママさん「そうそう」
「だってこの広い空のどこを見ていればいいのさ?」と私
「だからなかなか見つけられないって言ってんのよ!」
「飛行機が消えて行く最後のところも見れないのよね~~」
私と友人、
「おまえらアホか!」
お互い、怖いものや理解できないものを見たときの表情であった。
そして
「ウチの奥さんは、空の飛行機の行く末と、
散歩中の犬の肛門しか気にしていないのだ。
犬の肛門が膨らんで来て、いよいよウンチをするという
その瞬間は実に的確に把握しているよ・・・」
と、ちょっと寂しい目をして友人は言った。
この4人が犬の散歩などで外でバッタリ会うと
この2人のヒューマノイドはそれぞれチラッと空を見上げ
「あー、また出てくる瞬間が見られなかった」などと
空の高いところを音も無く飛んでいる飛行機を見て言うのである。
やはり女性というのは「理科」的な思考が苦手なのだろうか。
先日もスペースシャトルの野口さんの船外活動のニュースで
「宇宙空間では宇宙服がパンパンに膨らんでしまい、
細かい作業がしにくくなる」という解説者の話で、
私と息子は一生懸命、図解入りでその理由をカミさんに解説した。
何とか解ってくれたようだが解ったふりをしているのかも知れない。
今度同じ問題をママさんに聞いてみようと思う。
「昆虫セットの逆襲」
今でも売っているのだろうか
「昆虫セット」
いろんな昆虫が沢山詰まってセットになっているというわけではなく、
捕まえた昆虫を観察したり標本にしたりするための
虫眼鏡やピンセット、さらには赤や青の変な液体が小瓶に入っていて
なんと!注射器まで入っていた。
正しくは「昆虫採集セット」か。
小瓶に入った青い液体は麻酔薬で
赤い液体は防腐剤入りの殺虫剤だったと思う。
毎年夏になると駄菓子屋の店頭に並んだ。
安いセットから全てが揃っている高いセットまでいろいろあった。
普段は小遣いをもらうとロケット花火やバクチクに消えてしまうが
この「昆虫セット」は必ず購入していた。
紙の箱にキッチリ収まった小瓶や注射器を見ると
なんだか自分が昆虫博士にでもなったかのような気分なった。
早速昆虫を採集する。
庭の石をそっとめくる。
ハサミムシ発見!
挟まれないようにお尻のハサミをつかんで透明な採集瓶へ入れる。
昆虫セットの箱から注射器を取り出し、まずはこのハサミムシを眠らせるべく
注射器で小瓶から青い液体を吸い上げる。
このぐらいの事ができなければファーブルにはなれないぞと
自分に言い聞かせ、ハサミムシに注射!
するとハサミムシの節が伸びて一回り大きくなった。
かなりビビッている自分に気付く。
「やっぱ怖ぇーーー!」
ハサミムシは採集瓶に入れられて観察となる。
なんか違うなー。
ピンセットも使ってないし、素手だしなー。
麻酔薬ったって、小さいムシにこんなに大量に打ったら死ぬだろうなー。
それじゃ赤い方の殺虫剤と変わんないよなー。
やっぱりおもちゃだからかなー。
などと悩みながらいつか飽きてしまい、机の引き出しの奥にしまわれる。
夏休みが終わってしばらくしたある日、
引き出しの奥にしまったまま忘れていた昆虫セットを発見した。
中を確認すると注射器もちゃんと揃っている。
カラの注射器を箱から取り出そうと引っ張ったら
手から落ちてコロコロと机の向こう側から落ちてしまった。
椅子から降りて机の下を覗くと暗がりに落ちている。
拾おうと手を伸ばしたらチクッとした!
「イッテーーーーーーー!!」
なんと手の平に注射器の針が刺さったらしく血が出ている!
そんなに深く刺さったわけではないが、
最後に注射器を使ったのは赤色だったか青色だったかが思い出せなかった。
青だったら麻酔が効いてしまうのか、はたまた赤だったら死んでしまう?
「まさかね」「まさかね」と自分に言い聞かせながら
とりあえず落ち着こうとした。
まったくオレはなんてドジなんだ!
針がこっちを向いているのに手を伸ばすからだ!と自分を叱りつつ
これはまさか虫達の仕返し?
もしかしてバチが当たった?
僅かではあるが針に付いていたであろう液体の成分が
今、傷口から入って徐々に身体を蝕んでいくという恐怖と
虫の怨念とが一緒になって、泣きそうになった。
その日は布団の中でいろんな念仏を唱えながら、
無事に明日を迎えられますようにと祈りながら寝た。
幸い眠ったままにはならずにちゃんと目が覚め、
虫に変身することも無く、無事に次の日を迎えることができた。
その後も何事も無く今に至っているが、あの日から昆虫採取は止めたと思う。
本物の昆虫の標本箱などに昆虫がたっくさんピンに刺さって並んでいるが
なにが凄いってあれだけの数の虫を標本にしてしまった人が凄い。
チョウチョなんかは同じ種類のチョウを一箱にギッシリ並べてあったりする。
あれはナゼ?ナンデなの?と作った人に聞きたい。
今は甥っ子がやはり「ムシキング」世代で
本物ソックリの外国のカブトムシのおもちゃを持っていた。
巷では外国から本物を輸入して子供達が何千円も出して買っているらしい。
あれは死んじゃったら標本にするのだろうか
それともお墓を作って埋めるのだろうか。
「資源を大切に」
ティッシュっていつごろから使い始めたのだろうか。
ロールのトイレットペーパーよりも先か。
今でこそ水洗トイレだが当時は汲み取り式のトイレであった。
記憶の片隅にあるトイレットペーパーは、お菓子の入れ物だったと思われる
四角い缶の中に薄いグレーの「ちり紙」がむき出しのコピー用紙のように
置かれている光景。
それを何枚か取って拭いていた。
ポケットティッシュも当時は「ちり紙」であった。
持ち歩き用には白くてキレイな「ちり紙」が売っていて
正しい小学生は右のポッケに「ハンケチ」
左のポッケには「ちり紙」を何枚か畳んで入れていた。
我が家のオールシーズン炬燵の上にティッシュが出現したときは
祖父はどうやって使ったらよいのか戸惑っていた様子だった。
明治生まれの人は、汚れた物を拭くのは雑巾か布巾で
汚れたら濯いで使う、というのが当たり前に育ってきたので
いきなり「拭いたら捨てる」というアメリカ的な行為と
「ティッシュ」という名前に恐れを感じたのだろう
すぐには捨てなかった。
庭仕事から戻ってくると祖父はママレモンで洗った手を雑巾で拭き、
カサカサの皮膚に油分を補給すべく「桃の花」を擦り込む。
その時、桃の花を大量に手に取ってしまい、物が持てないくらいに
ヌルヌルになってしまった手で、今度は顔をこする。
顔が桃の花でテカテカになってしまい、いよいよ気持ち悪くなると
一瞬躊躇してからティッシュを一枚引き抜く。
ベトベトの手でそっとティッシュを畳み、顔の余分な油分を拭うと
その拭った面を内側に折り返し、またそっと炬燵の自分の席の左側に置く。
食事が済んで炬燵に座り、テレビを観ているといきなり入れ歯を外す。
古い新聞紙を広げ、爪楊枝でメンテナンスをする。
その時、爪楊枝に着いたカスを拭い取るのがさっきの桃の花ティッシュ。
入れ歯掃除が終わると、入れ歯は口へ。
桃の花ティッシュはなぜか今度はさっきの爪楊枝置きになって、
またもとの場所に畳まれて置いてある。
次の日、どこに行ってしまったのか探し続けた眼鏡を
自分の頭の上で発見した祖父は、その眼鏡を磨くべく
そっとティッシュを一枚引き抜く。
息を吹きかけて、眼鏡のツルまで丁寧に拭くと、そのティッシュは
畳まれて炬燵の左端にそっと置かれる。
置かれたティッシュのとなりには昨日の爪楊枝置きティッシュ先輩がいる。
お茶を飲む湯飲みのワッカが新聞紙のテレビ欄から外れて
炬燵に濡れたワッカを作ってしまう。
そんな時、手元にある雑巾があまりにも汚く、
これで拭いたら余計に汚れてしまうといった場合に、
いよいよ炬燵左側の畳まれたティッシュの出番となる。
祖父は考える。
爪楊枝置きティッシュで拭くと、なんだか今まで拭いてきたものが
混ざって出てきていよいよ使えなくなるどろう。
眼鏡ティッシュで拭けば、乾けばまた使える。
はたして祖父は眼鏡ティッシュを手に取り、湯飲みワッカを拭くのである。
そんな畳まれた「年長」「年中」「年少」さんといった風に
出生していく並んだティッシュを、いろんな意味で誰も触ることが出来なかった。
確か最後は
「カーーーーーーッ ぺッ!」
っと痰を吐くときに使われて卒業となったと思う。
なのでティッシュ一箱使うのに半年ぐらいかかった。
資源を大切に。
「足を拭く雑巾を使うときの注意」
子供の頃、犬を何頭も飼っていた。
いろいろな種類の犬がいて結構にぎやかだった。
その中で一番かわいがっていたのがケアンテリアという種類で
名前は思い出せない。
全ての犬を庭に放して一斉にかけっこをするのが楽しみだった。
ある日、いつものように興奮気味の犬を背中に従えながら
追いつかれないように庭をグルグルと走り回っていた。
その時、一番かわいがっていた名前が思い出せないその
ケアンテリアが私を追い抜き、足元を横切った。
思わず踏んづけてしまいそうになった私は
「アブナイッ!」とその一歩をよけた。
その途端、体が中に浮き見事なヘッドスライディングで転倒。
そこはちょうどコンクリート敷きになっている場所で
叩きつけられた体は痛さでしばらく起き上がれなかった。
顔をかばって伸ばした手が倉庫の下の隙間に入っていた。
自分の犬をかばった勇気を褒め称えながら
「ハアハアハアハア」と回りで心配している息とヨダレに耐えながら
「イテテテテ」とゆっくり起き上がった。
ふと痺れている手を見ると、
なんと右手の小指の付け根から大量出血!
小指の付け根から肘を伝ってポタポタと地面に血が垂れている~~!
今まで鼻血ぐらいでしか出血体験が無い私は慌てふためきました。
左手で出血している右手を持ち
「おじいちゃ~~んっ!」
「血がでたよ~~~~!」
「おぢいぢゃーーーーーーん!!」
と泣き喚きながら縁側へと走っていった。
縁側のサッシが開き、お茶の間でテレビを観ていたであろう
祖父が何事かと顔を出した。
私は慌てて出血を続けている手を見せ
「血がーーーーっ!」
「痛いよォーーーー!」
と泣き叫んだ。
その当時、私や弟、祖父などは靴下などというものは普段から履いておらず、
いつも素足で万年草履(今のビーチサンダル)や下駄、雪駄などを履いて
暮らしていた。
当時の仲間達も靴は履いているが靴下は履いていない、とかが当たり前で
今でこそ石田純一がカッコつけてやっているが、
当時は外で遊ぶ子供に靴下を履かせる事なんぞ
ウンコに直接ファブリーズするようなもので、
全く無駄な事と考えられていた。
私なんぞ小学校に上がる時に気持ち悪くて靴下が履けず、
「靴下を履いている練習」をさせられた。
今では「直接素足で靴を履く」という、この湿度の高い日本では
靴の中がムレて水虫になるだけの行為はやっていない。
綿の靴下をこよなく愛す者です。
当然、靴下を履かずに外を歩き回った足は汚れるので
我が家の縁側には「足拭き雑巾」なるものが常備されていた。
お祝いなどでもらった名入りのタオルが汚くなると
畳んでバッテンに縫われ雑巾になる。
その雑巾がいよいよ汚くなると「足拭き雑巾」へとなり
固く絞って縁側の上がり口に置かれる。
縁側から上がった人は、いちいち手なんかで拭かず、
足を雑巾にこすりつけて足の裏をキレイにする。・・・もとい、
足の裏の汚れをいくらか落とす。
その足拭き雑巾がお役ご免となる頃にはその姿はもの凄く、
もう、もと布でしたと言っても誰も信じてくれないような
ドリフの爆発コントのカトちゃんのズボンくらい
ボロッボロの、もうごめんなさい状態であった。
私の血だらけの手を見るなり祖父は
縁側のそのごめんなさい足拭き雑巾を手に取り
私の手の小指の付け根の傷口をおさえた。
いくら出血しているとはいえ、この足拭き雑巾を
孫の傷口にあてると思っていなかった私はショックを受けた。
怪我をしたことより、みんなの足の裏についていたいろいろな
ばい菌を培養中であったろうキッタナイ雑巾を傷口にあてた事で
そこからばい菌が入り、オソロシイ病気にかかってしまうという
恐怖が襲ってきた。
「おじいちゃん!それ足を拭くぞうきんだようーーーー!!」
さらに泣き声を上げる私の訴えも聞かず、
祖父は何度もその培養雑巾で傷口を拭き、
「あ~、肉が見えてるな~」
「おじいちゃん!それ汚いよぉーーー!!」
「大丈夫だよっ! ほれっ見せろ!」
「だいじょぶじゃないよぉーーやだよぉーうえーー!」
「ほれっ、ちゃんと見せろ!筋が切れたかもなー」
「痛いよぉーー、怖いよぉーー、いやだよぉーーうえーー!」
泣きわめきながら恐る恐る傷口を見てみると肉っぽいものが見えた。
汚い雑巾で傷口を拭くたびに、きっと足を拭いた時の砂であろう
ザラザラが手に付いてくるのがわかった。
「痛いよぉーーーーやだよぉーーー!!!」
痛さと、出血多量で死んでしまう恐怖と、ばい菌が身体を蝕んでいく恐怖で
泣き叫び続けていると
「んじゃ病院行くべぇ」と言ってやっと祖父は父親を呼びに行ってくれた。
祖父が父親を呼びに行っている間に、縁側の端に積まれてある
「洗濯をしてあるキレイなタオル」を必死で取り、
血だらけの雑巾は地面に捨て、傷口にあてた。
「キレイなタオルがあるのにぃーーーうえぇーーーん!」
傷は小指と薬指の間の水かき部分を2針を縫うもので、
看護婦さんに押さえつけられながら縫われた。
しばらくの間、包帯を巻かれた手はジンジンと痛んで
恐ろしいばい菌が体内に入り込んでいない事を祈っていた。
その時の担任は女の先生で、掃除の時間、包帯のしていない左手で
雑巾を絞って皆と一緒に拭き掃除をするように言われた。
友人の一人が代わりに雑巾を絞ってくれた。
片手では雑巾が絞れない事と、社会の厳しさと優しさを学んだ。
「肝試しをするときの注意」
二つ年下の弟はいつでもどこにでもくっついて来た。
小学校から帰って来て、友達に誘われて外に遊びに行くときは
幼稚園に通っている弟が必ず
「いっしょにいくー!」
と泣きながらくっついて来た。
優しい友人達はいつまでも泣かしているわけにもいかないので
「しょうがねえなー、じゃいっしょにきな」と誘ってくれた。
兄達の遊びについてこれない弟はいつもオミソとして
絶対に鬼にならない鬼ごっこに参加していた。
兄の持っているものはとにかく欲しいという習性を持つ弟は、
私が小学校に上がるときの親戚の伯父さんから
クラリーノのランドセルをもらって背負っている姿を見て
「ぼくもーー!」と駄々をこね
なんと伯父さんから皮のランドセルをもらってしまった。
小学校に上がるとき使ってね、と言われていたが
結局、入学時にまた新しいランドセルを買ってもらっていた。
喧嘩はしょっちゅう。
弟が泣くと必ず私が泣かしたと思われていた。
喧嘩で泣かしたなら祖父などに怒られても納得がいくが
濡れ衣を着せられり事もしばしば。
庭で買ってもらったばかりのバットで素振りをしていると
後ろで「ゴンッ」と鈍い感触が。
振り向いた瞬間、「ウワーーン」とほっぺたを押さえて
泣き叫ぶ弟がいたり、
押入れから飛び降りて遊んでいる時、交代で飛び降りながら
だんだんエキサイトしてきて、もっと遠くへ飛ぼうと
思いっきりジャンプして押入れの上の枠に思いっきり頭をぶつけ、
着地したときは笑いながらおでこをさすっているくせに
だんだん痛みが込み上げて来てとうとう大泣き。
お茶の間からやってきた祖父の拳骨が私の頭に落ちる。
弁解しながら悔しさで私も泣く。
驚いたのは、乾電池とモーターで歩くという鉄腕アトムのプラモデルを
弟が自分でねだって買ってもらった時。
その身分不相応のプラモデルを一生懸命に設計図を見ながら作る
弟の姿を私は黙って見ていた。
半日程かかっていよいよ完成となり、満足げな顔をしながら
乾電池を入れスイッチをONに。
しかし鉄腕アトムはウンともスンとも言わず、
何度もスイッチや乾電池を入れ直していた弟はとうとう
悔しかったのだろう泣き出してしまった。
そこを丁度目撃した母は、私の必死の弁明を聞き入れたのだが、
なぜか私がその鉄腕アトムを動くようにすることになってしまった。
こんな難しいプラモデルを買い与えた自分の責任はどうなるんだ!
と言い返せる知恵がまだ無かった私はしぶしぶと修理した。
悲しいお茶ノ水博士である。
ある年の夏、私の仲間で肝試しをしようという事になった。
夜の7時に地元のお寺の本堂の前に集合。
出掛けようという時、弟が一緒に行きたいと言い出した。
危ないからダメだと言っても聞かない。
大きなサンダルを履いてついてくる。
仕方がないのですぶしぶ連れて行くことにした。
境内に着くともう仲間が10人程集まっていた。
弟が勝手について来てしまった事を言うと
「ま、いつもだからしょうがねえべ」と言ってくれた。
お寺の奥には墓地があり、薄暗い中に墓石が並んでいた。
まずは墓場の奥に取って来るものを置きに行こうという事で
みんな怖がりながら固まって進んでいった。
仲間の一人が
「墓場で転ぶと早死にするんだって、だから絶対に転んではいけない」
という事をボソッと言った。
またまた一段と怖くなってきた我々はそろそろと墓石の間を縫って
奥へと進んで行った。
と、そのとき誰かが「うあー」と叫んだ。
見ると薄暗い地面に白い布で包まれた箱のようなものが
ボーっと浮かび上がっていた。
みんな一斉にそれぞれ恐怖の叫び声を上げながら逃げた。
前を逃げる仲間の背中を追いながらどこをどうやって逃げたのか
いつの間にかお寺の本堂の前でハアハアと息を切らしていた。
あれは一体なんだったのか?
あれにはオコツが入っているのだ。
なんで地面にオコツが?
などどみな興奮気味に話していると、ふと気がついた。
弟は?
暗がりの仲間の中にはいなかった。
どこへ行ったんだと騒ぎ始めていると泣き声が聞こえてきた。
声の方を見ると墓場から仲間の一人に連れられた弟が
泥で汚れた服でわんわん泣きながらやってきた。
転んでいた・・・。
サンダルが大きかったためにけつまづいたのだろう。
膝も擦りむいていた。
ちゃんとクツを履いて来いよ!
私は「弟を放って逃げた悪い兄」とみんなから責められ
弟は「あの話は嘘だから」
という慰めも耳に入らない様子で泣き続けた。
結局、その日の肝試しはそこでお開きとなり、
「じゃあ、また~」と皆と別れ、夜の道を
「はやじにしちゃう~う~、はやじにしちゃうよ~お~」
と泣き止まない弟と
「これでまた親におこられる・・・。」と泣きそうになりながら
トボトボと家路に着いた。
年に何回かお寺にお参りに来る弟に、その時の話をした事がある。
「あん時は本当に早死にすると思って怖かったよ」と言う弟に
「まだわかんないでしょう」と言ってみた。
