ご訪問ありがとうございます
今日も暑かったですね~
水分補給を忘れずにね♪
先日脳出血後遺症左下肢麻痺で変形した足の治療のために手術をした次男。
下の写真は先月誕生日(7月15日)に7年間お世話になった柏崎の病院へ遊びに行ったときのものです。
ちょうど旧病棟の跡地に作った庭のオープニングセレモニーが終わったばかりでした。
夜からは友人家族も交えての、誕生日会
左足の手術をしたら、しばらく自宅に戻ってこれないので(4月から新潟県リハビリテーションセンターに入所)ちょうど連休も重なるので、連泊で帰ってきました。
それから約二週間後の8月4日に脳出血左片麻痺、左内反尖足変形、アキレス腱延長術、前脛骨筋腱移行術を受けました。
ギブスが取れる3週間後から本格的なリハビリが始まります。
11歳の秋突然倒れてから、ず~っと「歩けるようになりたい!」と切望しリハビリも頑張ってきました。
しかし、麻痺した身体は成長に伴い、その形が変形し車いすを離すことができず、補装具を作りなおしたり、いろいろしてみました。
歩行器を使い歩く練習も頑張り、結構歩くことができるようになっものの、外を自由に歩くことも、長時間の歩行にも支障が沢山。
当時(新潟病院)、担当の理学療法士から「手術って方法もあるけどね」の一言で、どうしても手術をして、元のように自分の足で歩けるようになりたい!
電車やバスに乗って自由に外出したい!
その思いは日に日に膨らむばかり。
そして、念願のこの日をやっとこ(次男にとってね)迎える事が出来たのです。
麻痺前の状態には戻らないまでも、かなりの改善は見込める・・・
中途障害であるため、元のように戻ることをどうしても夢見てしまう。
それは家族も同じこと・・・・
でも、今自力歩行が難しい状態では本当にお互い大変なことばかり。
自宅では車いすで移動できる場所は限られ、不自由な生活。
外出もしかり・・・
それが、杖歩行までもっていければどれだけ世界が広がる事か!
次男の場合、脳出血の後遺症で視力障害(右失明、左視野狭窄弱視)もあるので、外出には訓練が必要だが、好奇心と希望を胸に頑張るだろう。
歩けるようになったら、新潟市亀田からJRとタクシーを乗り継ぎ柏崎の新潟病院まで自分の足で行くんだ!!と今から張り切っている。
未来に向け、自分の自由と人生を取り戻すために、次男は大きな第一歩を踏み出した。
それは私たち家族にとっても、大きな大きな希望となる第一歩だ。
歩行だけではなく、そのほかの障害もあるので、一般就労は難しいかもしれないが、お互いに希望と自由度はかなり広がるだろう。
今日行ってみたら、ギブスの足でベットに横になってばかりいなければならず、
「暇だ~~」の連発だったけどね(^▽^;)
勝手に治療期間名を付けていた・・・
手術からしばらくは「過保護治療期間」
この期間は、ともかく看護師さんにあれこれしてもらう期間だそう・・・
(看護師さん大迷惑??)
それが過ぎたら「自立治療期間」
この期間がきたら、できることはできるだけ自分でやっていく期間だそうだ・・・
ちゃんと自分なりに段階をつけているから、今から「自立、自立」と言う看護師さんにいろいろ言っているようだ・・・
そのつぎが「リハビリ治療期間」
そしてそれがすぎたら「就職」と言っていた。
面白い表現をするので、ゲラゲラ笑ってしまったが、本人いたって真面目!
笑うな!!と怒られた
今は動きも制限され、ちょっとイライラしてはいるが、本人元気に前向きに過ごしてはいる。
明日から少しずつリハビリも始まるようだ
手術の傷も、日数でよくなっていくし、今後の回復が楽しみだ。
今日も暑かったですね~
水分補給を忘れずにね♪
先日脳出血後遺症左下肢麻痺で変形した足の治療のために手術をした次男。
下の写真は先月誕生日(7月15日)に7年間お世話になった柏崎の病院へ遊びに行ったときのものです。
ちょうど旧病棟の跡地に作った庭のオープニングセレモニーが終わったばかりでした。
夜からは友人家族も交えての、誕生日会
左足の手術をしたら、しばらく自宅に戻ってこれないので(4月から新潟県リハビリテーションセンターに入所)ちょうど連休も重なるので、連泊で帰ってきました。
それから約二週間後の8月4日に脳出血左片麻痺、左内反尖足変形、アキレス腱延長術、前脛骨筋腱移行術を受けました。
ギブスが取れる3週間後から本格的なリハビリが始まります。
11歳の秋突然倒れてから、ず~っと「歩けるようになりたい!」と切望しリハビリも頑張ってきました。
しかし、麻痺した身体は成長に伴い、その形が変形し車いすを離すことができず、補装具を作りなおしたり、いろいろしてみました。
歩行器を使い歩く練習も頑張り、結構歩くことができるようになっものの、外を自由に歩くことも、長時間の歩行にも支障が沢山。
当時(新潟病院)、担当の理学療法士から「手術って方法もあるけどね」の一言で、どうしても手術をして、元のように自分の足で歩けるようになりたい!
電車やバスに乗って自由に外出したい!
その思いは日に日に膨らむばかり。
そして、念願のこの日をやっとこ(次男にとってね)迎える事が出来たのです。
麻痺前の状態には戻らないまでも、かなりの改善は見込める・・・
中途障害であるため、元のように戻ることをどうしても夢見てしまう。
それは家族も同じこと・・・・
でも、今自力歩行が難しい状態では本当にお互い大変なことばかり。
自宅では車いすで移動できる場所は限られ、不自由な生活。
外出もしかり・・・
それが、杖歩行までもっていければどれだけ世界が広がる事か!
次男の場合、脳出血の後遺症で視力障害(右失明、左視野狭窄弱視)もあるので、外出には訓練が必要だが、好奇心と希望を胸に頑張るだろう。
歩けるようになったら、新潟市亀田からJRとタクシーを乗り継ぎ柏崎の新潟病院まで自分の足で行くんだ!!と今から張り切っている。
未来に向け、自分の自由と人生を取り戻すために、次男は大きな第一歩を踏み出した。
それは私たち家族にとっても、大きな大きな希望となる第一歩だ。
歩行だけではなく、そのほかの障害もあるので、一般就労は難しいかもしれないが、お互いに希望と自由度はかなり広がるだろう。
今日行ってみたら、ギブスの足でベットに横になってばかりいなければならず、
「暇だ~~」の連発だったけどね(^▽^;)
勝手に治療期間名を付けていた・・・
手術からしばらくは「過保護治療期間」
この期間は、ともかく看護師さんにあれこれしてもらう期間だそう・・・
(看護師さん大迷惑??)
それが過ぎたら「自立治療期間」
この期間がきたら、できることはできるだけ自分でやっていく期間だそうだ・・・
ちゃんと自分なりに段階をつけているから、今から「自立、自立」と言う看護師さんにいろいろ言っているようだ・・・
そのつぎが「リハビリ治療期間」
そしてそれがすぎたら「就職」と言っていた。
面白い表現をするので、ゲラゲラ笑ってしまったが、本人いたって真面目!
笑うな!!と怒られた
今は動きも制限され、ちょっとイライラしてはいるが、本人元気に前向きに過ごしてはいる。
明日から少しずつリハビリも始まるようだ
手術の傷も、日数でよくなっていくし、今後の回復が楽しみだ。