このブログの過去の記録は、通常とは違う並べ方をしています。
 介護の記録を、古い日付から読めるよう並べているのです。

  3ページから6ページ 【大地くんとの最後の30日間】
  6ページから9ページ 【その後の半年間】

   「1ページに10記事」が表示されます。

 ですから、「老犬介護の始まりの日」から読みはじめたい方は、
『大地くんとの最後の30日間~初めての老犬介護」というタイトルをクリックしてトップページを表示させ、
「次ページ」をクリックして、「3ページ目 8番目の記事」から下へ読み進んでください。

 犬は飼い主に似ると言いますが、「年齢を重ねるごとに増えていく障害」を大地くんが淡々と受け入れていく様は、たしかにわたしと似ていました。

 ひとも犬も、その在り方は様々です。
 ひとは、他者との関わりによって自分の在り方を選んでいくのかもしれません。

 わたしは自分の身体障害に関する記録の整理を始めました。「大切なものとの関わり方」を選んでいく参考になるかもしれませんので、リンクを貼っておきます。

 

 

 なにかを失うことができるのは、それと共に在ったひとだけです。

 愛しいものと過ごした幸福な日々は、時の中に在り続けます。

 わたしは幸せでした。
 わたしは幸せです。

 


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 介護が始まるまでに用意しておいたほうがよかった物として、
「シリンジ」だけを挙げていましたが、
「水飲み台」も手作りしてやればよかったとおもいます。

 市販の「老犬用水飲み台」を買って、
「いつまで使えるかな」と言っていたのですが………

 身体障害を持つ自分自身が市販の補助具を使っていないと、いま気づきました。

 車椅子も杖も、調整できる部分をすべて自分に合わせています。
 日常生活に必要な補助具は「市販の物」に「手作りの物」を足して微調整しています。
 
 数ミリの違いで痛みや不具合は軽減できるため。
 そして、「1円預金」のように体力を使えるから。

 介護している間に残した後悔は、
「足の裏の毛を切ってやればよかった」ということ。

 身体障害を持つ自分自身が、
「座るときも、服で滑って数ミリの違いが生じないよう工夫している」と、いま気づきました。

 散歩好きな大地くんは足の毛が擦り切れていたため、切ってやる習慣がありませんでした。

 でも、最後に前脚をつっぱって起きようとしていた姿を思い出すたび、
「伸びてきた毛を切ってやれば滑らずに起きられるか」と感じたとき切ってやればよかった、とおもうのです。
 
 こちらは限界で、たったそれだけの動きができなかったのだけれど。


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 生きていく中で、たいていのことは取り返しがつきます。
 取り返せないのは、命だけかもしれません。

「たったひとつの行い」が生死を決めるとしたら、不注意は罪です。
 でも、罪悪感は誰も幸せにしません。

 愛してくれたひとに苦しんでもらいたくないとおもいます、自分なら。

 大地くんは、家族4人の手で介護しました。
 それでも手が足りなくて、24時間は無理でした。

 眠らずに介護する、というのは、言葉でしか成り立ちません。
 眠らなければ介護は続けられないのです。

 できるかぎり注意を払っていたのに不注意になったとしたら、そこが限界だったのでしょう。

「もっとできたはず」というのも、言葉でしか成り立たないのかもしれません。

 もっとしていたら、限界はもっと早く来ていたかも。

「あと1日だけ介護をしたかった」と感じる日に飛び去ったのは大地くんのおもいやりなのかもしれません。

 あるいは、もう、大地くんのほうが苦しかったのかも。

 終わりの日がいつになるか判らないのなら、双方の限界の手前で終わりになるのが双方にとって幸せなのかもしれません。

 後悔がまったく無いわけではないけれど、罪悪感を持たずにいられたのは初めてです。

「大地くんは、いっしょに暮らせる最後の子」とおもっていたためでしょうか。

 


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『テンミニッツ』という文房具で、時間管理をしています。

 正しい使い方はインターネットで検索すれば出てきますが、わたしは「卓上タイプ」を自分に合った方法で使っています。

 正しくは下部を折り曲げて自立させるのですが、わたしはそのまま「まな板ホルダー」に立てかけています。
(下部に付いている数種類の付箋は全て剥がしました。)

 3区画に分かれたボードの左端には「時間シール」を貼るようになっていますが、わたしは、手持ちの小さいシールを貼って、「朝 昼 夜 夜明け前」と大まかに時間を区切っています。

 また、付属の付箋は「時間の幅」に合わせた大きさなのですが、わたしが使っているのは、別の小さい付箋です。

 25ミリ×7.5ミリの小さい付箋に用事を書き、「朝 昼 夜 夜明け前」の区画に貼ります。
 
 桜色は「外出・来客」
 薄緑は「動かせない用事」
(この色の用事だけはかならず済ませます。)

 黄色は「動かせる用事」 
 水色は「掃除・洗濯」です。
(この色の用事は、その日にできなければ隣の「To Do List」欄に移します。)
(いつになってもいい用事は、さらに隣の欄へ。)

 済ませた用事は下の方の欄に貼っておき、翌日以降の予定を立てるときスケジュール表の該当の日に貼り直します。
 繰り返す用事は、粘着力が弱くなるまで付箋を使い続けるのです。

 大地くんの介護をしていた期間、ふらふらの頭と身体でも、『テンミニッツ』のおかげで家事も仕事もこなせました。

 介護が終わったときには、時間の使い方が格段に上達していました。

 それも大地くんの置き土産です。

 



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 大地くんは、老化に伴う障害が増えても淡々と受け入れているように見えました。

 それで、主人は大地くんを人生の師と仰ぎ、しばしば、
「今を生きる大地くん……」と呟くのでした。

 初めて会ったのは京都で、大地くんが生後3ヶ月のとき。
 岡山で生まれて、京都には3日前に来たと聞きましたが、たくさんの狆のなかで元から居たような様子でした。

 最初は、「耳の短い成犬がいる」とおもったのです。
 とても身体が大きかったため。

 すると、「ごはんをすぐ食べ終わって、他の子たちが残した分をぜんぶ食べてしまうのよ」と教えられました。

 3ヶ月も暮らした環境を離れて、すぐ新しい環境になじむとは………

 そこから、さらに他県へ移っても、大地くんは元気でした。
 3日の間に環境が変わり続けたというのに。


 わたしも、人生のある時点で境遇が180度変わる、という経験を繰り返してきました。

 新興住宅地で育ち、酪農家と結婚するまでは都市銀行に勤めていました。

 車椅子ユーザーになる数年前は、地域の体育祭で年齢別対抗リレーの40代枠にいました。

 ダンスコンテストで個人賞をもらった翌年に、肢体不自由という障害名で身体障害者手帳をもらっています。


 大地くんからも学んだのでしょうか。
 過去に執着せず「いつか」という時は当てにしない在り方を。

 


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「5分刻みの生活時間表」を初めて作ったのは30年以上前。
 
 農家の嫁には自由になる時間が1日のうち15分しかなかったため、
「押し流されないで生きたい」とおもったのでした。
 
「1円単位の家計簿」は、独身の頃から記帳していました。
(こづかい帳を含めると小学生のときから。)
 
 時間の使い方も、お金の使い方と同じです。
 少なかったとしても、工夫をすれば多いときより豊かに暮らせます。
 
 使い方を考える時間が多いほど、実際に動く時間は少なくなり、余裕ができるそうです。
 
 介護は、「終わりの日」が見えません。
(わたしは、父が危篤と診断されたとき17歳で、臨終に立ち会ったとき23歳でした。)
 
 ですから、大地くんに合わせた生活時間表も作りました。
 それを使えるほど日が残っていたのは幸せでした。
 
「あと1日だけ大地くんの世話をしたかった」というところが最後になったので、無意識のうちに体力や気力を配分して、まるで予知していたように「終わりの日」を迎えられたのでしょう。
 
 あるいは、大地くんのほうで、わたしの限界を見極めてくれたのかもしれません。
 
「生きている大地くんに触れられる最後の機会」にどうしても立ち上がれなくて、
「おかあしゃん これが ながのわかれになるかも」
と、話せない大地くんの代わりに口走ったのですから。
 


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 狆の年齢に換算すると、7歳から9歳の間になりますが……
 
 両脚に先天性で進行性の障害があると判ったのは46歳。
 車椅子を使いはじめたのは47歳。

 初めてソロで踊ったのは54歳。
『手足に障害を持って生まれた少年が悲劇的な運命を乗り越え、国で最高の武官になる』
というドラマのサントラが使用曲だったので、主人公についても少し調べました。
 
「捻じれた手足で、どうやって剣士になれたのか」とおもったら、竹製のギプスを胴体につけている映像がありました。成長が終わるまでに矯正したのですね。
 
 わたしがふとおもいついて両脚に8メートル分のゴムチューブを巻きつけてみたのは48歳。
 50代になると、障害が進行する前の状態に戻りはじめました。
 
 そこで、「補装具にしてみたゴムチューブは『竹製のギプス』のような役割もしてくれたのだ」と気づきました。
 
 狆の年齢に換算すると8歳から矯正できたわけです。
 
「60歳までに両脚機能全廃」と告げられていたけれど、衣装の下に12個の補装具を着けて、60歳になろうとしている現在も踊っています。
 
 先天性で進行性の障害でも、なにもしないことが自然であるとは、わたしは考えません。
 
 でも、自分の身体だから対話するように少しずつ様々なことを試せたのです。失敗もたくさんしましたが、取り返しがつかないことはありませんでした。
 
 保護者として子どもや愛犬の身体と対話をするとしたら、無理や無駄の判断はとても難しいとおもいます。
 


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 散りゆく桜ともに大地くんが飛び去ってから、友人知人の愛犬たちも、17歳前後で虹の橋のたもとへ向かいました。
 
 次の子を迎えていないのは、身体障害を持つわたしだけです。
 
 先々月、出先で入った店に看板犬がいて、可愛い丸い目で見上げられました。
「目で話す犬」と言われているヨーキーでした。
 
 手を伸ばしかけて戻しました。
 まだ、大地くんの手触りを覚えていたいと………
 
   額の丸み
   銀色の毛の滑らかさ
   背中から少し浮いた背骨
   柔らかな耳
   愛情深い眼差し
 
 大地くんが自分にとって最後の子なら憶えていたい、とおもったのです。
 
   手のひらで撫でた、お腹の温かさと柔らかさ
   人差し指でつついた、白玉だんごのような口もと
   親指でかき分けた、足の裏や爪の間
 
 わたしはずっと憶えていけるのでしょうか。
 
 いつか、何気なく他所の子を触るのでしょうか。
 触ろうとしても涙がにじまなくなった時に。
 


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「良くなることはありません」という宣告は聞き飽きています。
 
 すべて覆してきたから告げられた言葉を気にしないでいると、
「たいへんなことなのですよ。解っているのですか」と何回も訊かれます。
 
 にっこり笑って、「なにを言われても驚かなくなっているので」と答えると、
「いや! 驚いてくださいよ……っ」と何回も言われます。
 
 過去の経験から、「いま言葉に縛られてしまうとそのとおりになる」と分かるのです。
 
 お医者さんは最悪の場合を告げるとおもっていれば楽。
 
 顔見知りのお医者さんは、「これは治らないのですが、なぜか治ってしまう人もいるのです。あなたはそういう人であるようにおもいます」と教えてくださいます(実際、治りました)。
 
「治るのは自分」と、わたしは考えています。だから、
「治すのは自分」と考えているお医者さんの所には行きません。
 
 最悪の場合を告げるのは、言ったことに責任を持たなくてはならないためでしょうか。
 
 それなら未来は、告げられた内容より良いはず。
 
 相手が誰であっても、絶望にとらわれるとかえって、
「達し得ない未来」を設定してしまいそう………
 
 そう感じていたので、大地くんに対しても、たがいを楽にする「諦観」を得られたのでした。
 


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 犬とともにずっと暮らしていくのだとおもっていたので、
「こんなに早く終わってしまうとは……」と少し驚いています。
 
「わたしの親世代はまだ犬とともに暮らしているのに………」
 そう考えて不思議なきもちになるときもあります。
 
 でも、犬の行く末を考えると「着地点」は必要で、
「運んでいけない命を抱き上げてはいけない」とおもうのです。
 
 知人が高齢者施設に入所したと聞くと、まず、「犬はどうなりました?」と訊きます。
 それを知っている人はいません。
 
 数ヶ月後、「引き取れないと言っていたお子さんが引き取った」という話を聞き、ほんの少し楽になれます。
「引き取れない環境」で暮らしていることを考えなければ。
 
 わたしは、健常者として生きた期間の最後に大地くんを育てることができました。
 いまの体力では、子犬を育てられません。
 
 17歳まで生きた大地くんの最後の30日間は、
「自分の身体がこの先どうなってもいい」とおもいながら介護をしました。
 
 不自由な脚の代わりに使っている腕がふさがっているときには、全身を使って自分の身を運びました。
 
 それができるのも最後だと分かっていたので、後悔のないよう心を尽くして、
「もう犬とは暮らせない」ということも受容できたのです。
 
 いまは微々たる額ですが大地くんの2ヶ月分のごはん代を寄付して、地域猫活動に協力をさせていただいています。
 猫については知らないからこそ、学べたことが役に立ちます。
 


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