皆様、大変ご無沙汰しております…
今年も年始早々に仕事が忙しく、あっという間の5月、春の盛りを感じているところなのですが…
まさかこれが今年初めての投稿になるとは!!!
もっと書いていこうと思っていたのになんということかと自分に呆れております…
こんな辺境のブログにも訪ねてきてくださるお優しい方がいらっしゃって、本当にありがたいことと感謝しております。
実はこの記事、なんと1年あたためてしまったものでして・・・
去年はソチ堕ちの私にとって10周年記念の年でした。
まずはその頃の思い出から。
11年前のソチオリンピック
フィギュアスケート男子シングル 金メダル授与🥇
フラワーセレモニーで表彰台まで行く時に氷に感謝を伝える結弦さん
初めてゆづ友さんと呼べる仲間が出来た頃に、その仲間からリクエストしてもらったシーンです。
当時はこのような感じで↑水彩でサラッと描いていて、その絵にはもう描き込みたくない気持ちでした。
でもデジタルの時代になった今、雰囲気を変えて別物としての加筆ならしてみても良いかなと思いました。
只今練習中なのはクリップスタジオ(クリスタ)と呼ばれる描画ソフトを使ったお絵描き。
息子と共用で購入したiPadとApplePencilを使うことで、指描き生活から解放されました!
指描きは文字通り、画面を直に指でなぞって描くこと
絵の具を指先につけて描くような感覚が面白いのですが、指が触れている部分が正確にはわからず、描きたい所に描けないことがあるという問題がありまして…
より細かい所まで描き込む練習もしたいので、最近は指描きを減らしています。
↓こんな感じもありかなと加工を加えてみました
ここからは折に触れ、お話ししている内容なのでつまらなかったらごめんなさい。
でも、興味がもてなかったらスッと離れられるのがブログの良いところですよね!(笑)
ゆづ友さんと言えば、ゆづ絵を描くきっかけになったのはゆづ友さんのバースデーカードに結弦さんかどうか全くわからないような稚拙なイラストを描いたことでした。
そのお友達がめちゃくちゃ褒めちぎってくれたので、「え、これからも描いてもいいの?!」みたいな発見というか、新鮮な気持ちになって描き始めたのでした。
私は小さい頃から絵が好きではありましたが、高校時代に絵を生業とすることに挫折しました。
当時は今のようにインターネットもスマホもない時代。
ネットサイトやゲームなどのイラストの需要はありませんでしたから、絵で生計を立てていく職業はかなり限られていました。
それでも、絵が上手ければ何とかなるかも、という甘い考えのもと、私は放課後に造形学校へ通うことにしました。
実は父がとんでもない男尊女卑思想の持ち主だったので、女は大学に行かせないと言われていました。
子どもの時から全てにおいてそんな教育を施されていると、それをおかしいことだと思うこともありません。完全に洗脳状態。
なので、美大ではなく年数が短いぶん安くあがって就職率の良い専門学校に行けという教えに疑問を抱いていませんでした。
幼いころからお年玉を使うことは一度も許されておらす、その半分は貯金にさせられていました。その貯金を使って習い事感覚で入校。
(もう半分は、お年玉をくれた人に御礼をするための代金として親に没収されていました)
友達もたまたま行きたかったとのことで、当時最先端の造形学校へ一緒に通うことになりました。
そこは今年こそ合格せねばと決死の覚悟を持った浪人生も一緒の教室。
絵にかける情熱が半端ない生徒たちと、ニコリともしない指導者。
気難しい先生が大勢の学生の作品を講評する時は、ダメだしの言葉と△マークをつけてもらえればマシなほう。
ほとんどはスルーされて終わり。
そんな中、○をもらった生徒がいました。
1人は2年くらい浪人している人。
もう1人は、私の友達。
友達の絵が上手いのはわかっていたつもりでした。
でも、学校の緩やか部活の中では目立たなかった彼女が、この厳しい基本を叩き込まれる現場では輝いていました。
しょっぱなから○をもらう高校1年生、
しかも初授業。
これは凄い才能だ…
私はこの瞬間から、彼女の横で絵を描くことが苦痛になっていきます。
後から落ち着いて考えてみると、私はそんなに悪い講評をもらっていたわけではありませんでした。
しかし、その時の私はそんなことは頭に入らず、圧倒的に彼女より下手な自分が恥ずかしくて情けなくて、造形学校は拷問の時間になりました。
絵というものは面白いもので、その評価は自分そのものを評価されたように感じられます。
ちょっとした指摘が突き刺さり、自分自身を全否定されたように打ちのめされます。
そして、ささやかな褒め言葉に癒され、お世辞でも好きな画風だ、良い絵だと言われれば、寿命が延びる気がするのです。
まだ高校1年生、彼女をお手本に素直に課題に取り組んでゆけば、まともに画力も上がっていったことでしょう。
今なら、それがわかります。
でも当時の私は、彼女といつも比較されているような気持ちにとらわれて、隣にいることが耐えられませんでした。
やがて、私は逃げ出します。
初めは「用事が出来た」と言って一緒に行かなくなり、欠席が増えていきました。
彼女のような人が 絵を生業とするものなんだ
自分が居て良い世界ではない
そんな考えを疑いもしませんでした。
その後、私はデザイナーの登竜門的な専門学校に進み、服飾デザイナーになりました。
一方、彼女は美大に進みました。
そして私がデザイナーの職場に疲れ果てて辞めたころ、その友達が絵とは無縁の仕事をしていることを知りました。
え?どうして?
絵の道は?
ショックでした。
色々な思いがぐちゃぐちゃになって押し寄せました。
そこから15年ほど、私は絵を描くのをやめます。
デザイナーの仕事の辛さが思い出されて描けなかったというのもありました。
そして転機が訪れたのが、羽生結弦選手というスターに出会い、ゆづ友さんができたことでした。
前述の、下手なイラストを喜んでくれる優しい友達が数人できたおかげで、絵を描くことが楽しくなっていきました。
苦手な人物画だけれど、挑戦していこうと思えました。
そうして11年、たいした枚数も描いていませんが、私の生き甲斐のひとつになってくれていることは確かです。
これからも少しずつ歩みを進めたいなぁと思っております。
最後に、2024年以降のイラストから少し抜粋します。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございましたm(_ _)m
今度こそ、間を空けずにアップできるようにしたいと思っております・・・がどうなるかな?!







