アーティストウェイ(ずっとやりたかったことを、やりなさい)第9週のタイトルは
思いやりの心を取り戻す
とあります。

これって、9週目で自分のことばかりではなく、他人に気を使いなさいとか、他人の気持ちを考えなさいとか、そういうことを言われてるのか?とめっちゃ抵抗しました。

私自身、周りの人の顔色伺ったり、機嫌をとったりしながらずっと生きてきたし、そういうことが自分のクリエイティビティを破壊してきました。

でもその割には第9週の内容は自分の心にあるブロックなどむしろ他人より自分と向き合う内容ばかり...?

原本読んでみたら「思いやりの心」は
sense of compassion
となってました。

compassion は確かに英和辞典には「思いやり」とあります。

でも日本語の一般的な思いやりではなさそうです。

接頭語と接尾語に分解したら本質的な意味が見えてきました。

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passion (理性に対して)感情

つまりsense of compassion とは、自分の心の声とか置いてきぼりにされてきた自分の感情と共に居る感覚のことだったのです。他人じゃなくて。

もっと自分の心の叫びを聞いてあげるのが第9週なんだなって気付いたら納得。だからこそモニペ読み返して、心の声が叫んでることを掴んでいくんだなと。

だから第9週は「思いやりの心を取り戻す」ではなく、「感情の奥深くの声と共に居る感覚を取り戻す」がより相応しいニュアンスだと考えました。

調べてみるとself compassionという用語もありました。第9週の思いやりとは、むしろこれに近いように思います。
アーティストウェイ(ずっとやりたかったことを、やりなさい)
第10週目のタイトルは
守られているという感覚を取り戻す
です。

では誰が私を守ってくれてるんだろう?

創造の神様がサポートしてくれてると感じることかなと思って原本開いたら、やっぱり違いました。

原本は
Recovering a Sense of Self-Protection
つまり「自分で自分を守る」とか「自己防衛」とかの感覚を取り戻すと言ってるのでしょうか?

けど、心理学で言う防衛本能とか自己防衛って、困難を突っぱる強さみたいなポジティブなニュアンスだけでなく、出来ない理由を正当化するみたいなネガティヴな概念もあるんですよね。

そう考えると、この章の目玉のワーカホリックも合点が行きます。

ワーカホリックとは例えば、絵を描きたいと言ってるのに全然手をつけてなくて、そういう時に会社が忙しくなれば絵を描かない正当な理由が得られる、ような事を言ってるのでと考えます。

それによって、絵を描いても上手く描けなかった時の悔しさとか、周囲からバカにされるのではという心配から解放される→自分を守れているわけです。

冒頭にあります「創造性の流れをせきとめる、私たちの有害な行動パターン」も、いわば自分を守るためにしているわけですから。

そう考えると、守られている感覚っていう日本語訳は随分ニュアンスが変わってきちゃったなあ、って思いました。

「ワーカホリックという逃げ道」という項目がありますが、逃げ道って心理学的に考えると、まさに自己防衛なんですよね。

第10週の本当のテーマは、創造したいこと実現したいことから背を向けるためにしてしてること、行動嗜癖とか依存とかに気付くってことだと思います。

即ち
間違った守り方に気付いてやめて正しい守り方をする
です。

だからこそ第10週の課題の締めくくりが
自分を大切にする
となるわけです。
朝一番。自宅の廊下を箒(ほうき)で掃除。掃除機の方が早くて綺麗になるの分かってるんだけど、なぜか箒の方がピシッと綺麗になるんですよ。床だけでなく空気も綺麗になったように感じます。

箒で掃除するのは確かに時間かかります。しかも早く済ませようと強く掃けば埃が舞い上がって余計に汚れます。心の在り方を試されているようでした。

汚いなあと悪態をつくのは、自分で自分に悪口言ってるのに等しいって気付きました。なぜなら住居の汚れは自分の生活の結果だから。

悪態つくのをやめたら、とたんに埃が大人しく掃き出されるようになりました。不思議ですね、箒は私の心を見透かしてるように思います。