台風19号の惨劇
あとの脱力感と、虚無感。
が、やっと解消しつつある。


東京を19号が襲った10月12日、
の、
次の日にイベントを企画していた。


12日、は、ずっと、それを開催するかどうかの判断に迫られていた。

何を最も大切にするのか、

医療のメンバー、学校法人の職員含めて、何度もミーティングをした。
そのテレビ電話の最中に、ひとりのメンバーの、目の前で電線が切れ、辺り一体が停電したりした。
メンバーの近くの河川が氾濫ギリギリになったりした。

言うまでもなく、生命の安全が最上位なのだけど、
その安全を守る努力をしながら、精神の癒しを求めて開催した。

不安な想いと孤独は、一つでなくていい。
不安だった想いを語れる場所であろう、と、
あわよくば、その不安が癒やされるように、と、開催した。

今でも正解だったかどうかはわからない。

けれど、たくさんの参加者が訪れた。


自分自身は別の仕事があり、参加叶わなかったが、参加者の喜びの声を人づてに聞くと、開催して良かった面があったのだと思う。

きっとその良かった光景が見れなかったからか、
一晩避難アラームの中で考え尽くしたからか、
その後2週間に渡って、脱力感と虚無感が消えなかった。


精神の安全は必要ないものなのか?

その不安から、というのが一番大きいのだと思う。

だが今このときであれば、自信をもって、NOを言える。

もしかすると、生命の安全以上に、精神の安全が必要な場面も現れるかもしれない。

そんな気さえする。

限りあるいのちの中で、
多くのいのちの上で、
わたしは何を生み、何を遺すのか。

社会的な動物である人間は、きっと、生命のバトンだけではない伝承が必要なのだと思う。


いま、わたしの中に歌が溢れ出している。
次々とメロディが生まれる。

幼い頃から失われつつあるこの感覚が、
脱力感と虚無感を埋める。
地より天へ向かい、歌が流れる。
それをつむぎ、立体化せんと、メロディを伴った言葉が身体へと変わる。

いま、静かに、
生きる力が湧いてくる。

どんなことにも喜びをもっていきれたらどれだけ素晴らしいだろう。

とっても単純な考え。
難しいことばは、なにもいらない。

最高に生きる。
どんな生き方だろう。

快に溺れず流されず、
強く、深く、自由に、具体的に
世界に歓びを調和を活性を創造を生む。

今と過去がつながり、今と未来がつながる。

ただ、そう生きたい。


そのためのコアが、自らの内に、誰の内にもすでにあること。
誰もがそう生きられること。


どうすれば、世界の重力を逆転させられるか。



最高を生みたいのだ。


先月、人生の最終到達目標が更新された。
おそらく。
いや、たしかに。

もっと遠くへ行かなければならなくなった。
いきたいと思った。

その心の内と呼応して、外側の世界も動き始めた。
1日の24時間全てを使い始めてきた気がする。

毎週動画を一本つくり、月にいくつかの企画運営をし、3か月、半年、1年後に向けたいくつかの準備が同時に進んでいる。

今日から3日間は舞台の本番だし、二ヶ月後に本番を迎える稽古の下ごしらえをしている。


身体はなんとか動いてくれるようになってきた。
が、しっかりと自分の弱さがみえる。
ゆっくりとしたい、ほっとしたい生ぬるい自分が全部を壊していく。

死ぬほど失敗もしている。
嫌みも怒鳴り声もとぶ。
わりとしっかり傷ついている。

でもその原因はいつも同じ自分。

これから、新しい自分になろうと思う。
一つ一つ行為を変えて具体的に新しい自分になろうと思う。


思えば、去年の自分と今の自分は全く違う自分だと言える。
大きく飛躍した1年だった。

人を憧れることができるようになった。

打てば響く仲間をつくることができた。
その関わり方を知った。
自分にしかできないことを知った。
自分がこの世界に対してするべきことを知った。

もっと強く生きたいし、新しいものを生み出したい。
それ以上に人を生み出したい。
本当の意味で一人一人を愛せるようになりたい。

きっとその欠片を体験できた1年だったからこそ、強く願っている。


これからも一つ一つ変わっていける自信がある。
その方法ははっきりと見せてもらっている。

今はとても悲惨だけど、1日1日を、短時間で準備し、アップデートし続ける。


潮流を生もう。
トレンドをつくろう。
こんなにも世界が遠い日本の若者に、
消費ばかりで見え方だけが変わり、虚無感が蔓延した日本に。

自分の人生の歴史において、迷ったり思い描く時代は終えたと思う。
ここからは、生きること。
世界に対してどうアプローチしていくか。

運命の重力を逆転するエネルギーを引き出すのだ。
相転移をおこせ。