生きるとは、自分を探す旅である」と言う友人の色紙をもらったのは3年前。
 この友人はすごい。習い始めたことはやめないで自分のものにし、指導ができるまで続ける。今もtづけているものを数えたら(私が知ってるだけで)5本の指に納まらない。スポーツ万能選手の彼女は中学生時代から有能な選手だった。今やってるのは(おそらく…忙しいのでどうかな)卓球、それからお弟子さんがいる日本画、南画のような絵も描いている。京都の高名な先生についている陶芸、三味線、二胡、書道。
 彼の女宅に泊まって語り明かし、もらったのがその色紙。(これ欲しいといったのは私だが・・・)
 それから2年間は毎年、年賀状に、今年の抱負として書いてきた。
 今年は書かなかった。自分探しの旅が終わったわけではないが、今後どう生きるかを見つけたからだ。
 少しボケかけてきた自分、「あれがない、これがない」と探しているうちに、読みかけの本、今度やろうと思ってそのままのお琴、編み物や、パッチワークのやりかけのものがあちこちから出てくる。これらをあと10年の間に「老い」とバランスを取りながら、人生を過ごそうと思ったから。要するにやりたいことが見つかった?ことになるのだろう。もの探しが自分探しになったみたいだ。
 開けてはいけない箱は、私のパンドラの箱だった。編みかけのものを片づけた。それからやりかけの糸紡ぎ、10年以上も前から頼まれていたのを完成し、今度はそれをベスト編むという仕事を片付けた。年末から12日まで5分あれば編んでいた。またそれが楽しかった。
 
35歳の時、人生しっかり生きれるのは70歳までと考えてこれからあと半分の人生どう過ごそうと考えた。子供はかわいくて仕方がない。離れたくないというほどかわいかった。「でも将来、空の巣症候軍の母親にはならない」と思い趣味を見つけることにした。
それからの趣味遍歴は、織、糸紡ぎ、編み物、洋裁、パッチワーク、お習字(書道ではなく)ビーズ織、お琴、タップダンス、エアロ、英会話、ビーズ、タティング。
 これから(折り返し点の35歳から35年たった今から)は、織、糸紡ぎ、編み物、洋裁、パッチワークのやりかけの後始末をしつつ、お琴を時たま弾いて楽しむ。英会話、エアロは、習慣にして(身に着かないので…)老化防止を心がけ。継続して習うのはタティングと方針が決まった。
それでも、習いたいもの(始めたいもの)が一つある。トルコの手芸、イーネオヤだ。指導者はこの近辺にはいないので独習。本と首っ引きでやろうと思っている。いずれにせよ残された時間は10年くらいだ。体力も必要だから健康に留意して、「いざ、始めよ!」