今年、綿を作った。
 穫り入れて、綿と種を分離した。あまりの作業量に驚いて綿繰り機を買った。
夫が興味を持って、全部の綿を打って、ふかふかにした。「これは大変だ、綿繰りも、綿うちも、昔のひとはようやったね」と驚いていた。
 
 あとは糸にして、織るという作業がのこっている。小さな織機を買った。テーブルの上でも作業ができる。引っ越しの時に解体した織機は、畳半畳分はゆうに占領するから、我が家では無理と判断したからだ。(吹田ではもっと狭い家で織っていたのに・・・・だ)
 
 大阪から引っ越してきて半年ほど住んだ実家のタンスの上に段ボール箱を見つけた。何が入っているか書いていない。
「何だろう?」
脚立を持って行って箱を開けると、出てきた。10年前に、引っ越しのために解体した織機の一部だ。えー、こんな所に在ったんだ。すっかり忘れていた。
 
 2,3日後、我が家の物置で、冬支度のためいろいろ片づけをした。灯油缶を出して、庭仕事の道具など片づけていて、ふと上の棚を何気なく見たら、やはり織機の一部が見えた。今までは「見えども見えず」の状態だったのか。えー、こんな所に在ったのだ。その横の段ボールを開けると,以前(10年以上も前)織った布が出てきた。えー、こんな所に在ったのだ。その横の箱からは単糸の糸巻が10個も出てきた。
 
 これはどうしたことだろう。今まで10年も放っておいたものが続々と「私ここにいるよ」と訴えている。
織機を組み立てるには、まだ本体の一部を探さねばならないが、「早く綿を糸にして、布を織ってくれ」と言ってるような気がする。
 
 開けてはいけないダンボール箱を開けて、編みかけの毛糸が出てきた。 マフラー2つを仕上げて、2つはほどいた(すっかり編み方を忘れていたので)。残っているのは2つ。ベストとスカーフ。これを仕上げる目処はついた。
 そのあと出てきた織機だ。人生の締めくくりで「やりかけたことはちゃんとやれ」という神様のご託宣だろうか。