天涯の花   宮尾登美子作
 友人に勧められて読んだ。宮尾さんの作品は割かし読んだつもりになっていたけれど、手からこぼれていた作品だった。
 剣山へ登った後だけに印象が深く、地名も「あの辺だ」とよくわかりイメージもわきやすい。登山リフトが出来上がる前の時代設定だけど、見の越しから頂上まで歩いて往復する登場人物…測候所の人、山小屋の人、主人公達の時間的経過もさもあろうと想像できる。貞光から七曲りと言われる見の越しまでの道も、バスで、徒歩でと当時の人の苦労がしのばれる。
 来島サービスエリアで、道案内していた時、「徳島のかずら橋まで行きたいのだけど・・・・」という姉妹がいた。道順を説明した後「お泊りですか?」と聞くと「日帰りです」という返事に、公団のAさんも私も驚いた。午後2時ごろだったので当然どこかに宿泊すると思ったからだ。でもまー確かに日没までにととはかずら橋には着くだろうと思い直して「いってらっしゃい」と送り出した。それくらい車社会の今日からは遠い時代、でも昭和35~40年ころの話だ。
剣山の宮司の養女になった球子さんが主人公。その神社の氏子さんは、祖谷のかずら橋の近くの人たちなのだ。
 
もう少し若いときに読んでいたら読後感は違うと思う。でもこの年になって読んだのだからしょうがない。
一つは登場する山の花達・・・・若いときだったらこれほど山の花を想像できなかっただろう。今は、かなり知ってるから珠子さんが花を探して山歩きをする場面などは「うん、うん」と読み進められた。
でも反対に、孤児院のようなところで育った珠子さんが、園長先生の養子の話や山小屋の人との結婚に対してゆらぐ場面には「うん?」と思うことが多かった。
最後の場面は「それでよし」これからの彼女の人生が想像できて…しっかり生きていくだろうと思えておわりかたとしてはすっきりした。
 
 読後感を書いたら、剣山へ行ってきたような気がしてならない。リフトの下の方を、徒歩で登る人が通る道を見た。主人公の珠子や養父の宮司さんが何度となく通ったであろう道だ。その光景が目に浮かぶ。剣山の山頂の木道、山小屋、次郎笈への道などが思い出されて、つい昨日行ったのではないかと錯覚する。
知っている道、地名、花など、登場するものが身近であればあるほど、物語にのめりこんだ、その結果が錯覚を生んだんだろう。