彼が10歳の時からの付き合い。知り合いが(K君と呼ぼう)大阪からやってきた。今はやりのグルメツアーか?讃岐のうどん、宇和島の鯛飯の間の我が家に宿泊。
 これも大阪からやってきた妹(大阪在住)の友人3人(ゴルフ組)と若い組の家族連れ6人は、私の実家に泊まり、もう一人の妹(今治在住)家族と合流して、お魚パーティ。総勢16人。
 お魚は来島の潮流にもまれた鯛、と鯖。(妹とゴルフ組が釣ってきた)
 献立は刺身(タイと鯖、アコウ)、お吸い物(タイのあらで出汁をとり)、塩焼き(捌くのがしんどくなったので丸ごと焼きものに)牛蒡と一緒に煮込んだアラ炊き、小エビのから揚げ(実はタイ釣りの餌)サラダ(カルパッチョもできるように)そしてきゅうりとわかめの酢のもの
 鯛やサバの捌きは大阪から来た妹、そのほかのこまごまとした料理は私。味付けは二人で・・・
今まで顔を合わせたことのある者が多かったので、そしてごちそうを前にしているので会は和やかに進む。「おいしい」の連発。
子供二人いたので、最後は「ウノ」のゲームで閉める。あとは残って泊まる者達が酒盛り。おいしい焼酎・・村尾と魔王とか、黒霧島とか飲んでいた。夫とK君は心残りみたいだが、我が家に帰る。
 翌日はK君を連れて小島に渡る。日露戦争時代の芸予要塞の一部が残っている島だ。イメージ 1
明治時代の建物が残っている。ロシアの船を迎え撃つために、砲台を作り、電力を賄うために発電所を作った。砲台は3か所ある。北砲台、中央砲台、南砲台。発電所は2か所。中央砲台の近くには兵舎跡もきれいに残っている(建物だけ)
何回も行って説明を受けているのだが、人を案内するのは初めてで、うまく説明できなかった。
 
 
 
 
イメージ 2他にもお島の砲台跡を見に来た人が2組いた。歴史フォーラムのレポートを出すのだという高校生と先生。そしてご夫婦組。
2時間くらいで回れるので、いい歴史探訪だ。新居浜の別子村と合わせて「東洋のマチュピチュツアー」客も多い。去年4千人くらい来たそうだ。ボランティアガイドをしている友人の話。
 
 
 
 
 
 
10時10分の船で小島に渡り、12時5分の船に乗って帰る。(それを逃すともう2時間くらい待たねばならない)
 
K君はそれから、宇和島に行き、鯛飯にありつけたそうだ。「グッド」と言うメールが来た。台風に注意と返信しておいた。無事に帰っただろう。