やまさんの「No VW no Life」

やまさんの「No VW no Life」

説明しよう!
このブログは、空冷VW大好きなやまさんが、あるときはVW関連を、またあるときはVWとはま~ったく関係ない日常等を気が向くままに不定期に発信する、まさに「お気楽極楽」的なブログなのであ~る!!

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こんにちは!

相変わらずぼ~っと生きているやまさんです。

こんなことを書いていると某国営放送局の人気キャラに激しく怒られそうですが・・・www

 

今日は私がと空冷VWの出会いについて書いていこうかと思います。

 

私が初めて空冷VWに興味を持ったのは今から30年近く前でありまして、きっかけは地元の後輩が車を買ったというので見に行くと、そこにあったのが年式は忘れましたがマルーンとアイボリーホワイトのツートーンカラーのタイプ1でした。

高年式の車両のフェンダーやフード類を低年式の物に交換した所謂「バケロク」といわれる車両でした。

当時私はトラッキンやローライダーに興味があり、実際DATSUN720キングキャブのローライダーなんかに乗っていましたのでその時は「ふ~ん・・・古いワーゲンかぁ・・・」という程度の感想しか持ちませんでしたが、後輩のビートルを度々見ているうちに、日が経つにつれて何故かそのワーゲンが気になるようになっていました。

 

そしてそれから数ヵ月後、遂に運命の瞬間が訪れます。

 

ある日地元の国道を720で走っていると、道沿いの小さな中古車屋に黄色いビートルがあるのが目に入りお店の中へ・・・

それは1973年式(だったと思うがきおくが曖昧・・・)の1303Sでした。

内装・外装の程度も申し分なく価格も車検付きで30万円、気が付けば購入していました・・・ハイwww

 

晴れてビートルのオーナーとなった私は空冷VW関連の雑誌を手当たり次第に読みあさりました。

そして空冷VWワールドの奥深さにどんどんのめり込み、「カスタムしよう!」と当時地元の比較的近くにあった某VWショップに意気込んで駆け込み自分のやりたいカスタムについてショップのオーナーと話をし、いざ自分の車をみてもらうと・・・

私  ・・・  外装は6Vルックにしたいです!

オーナー・・・これ、1303だから、バケロクにはできないよ・・・

私  ・・・  え?できないんですか?

オーナー・・・リヤ周りはできるけど、前周りは前ガラスもエプロンも何もかもが全くちがうからねぇ・・・

私  ・・・  そ、そうなんですか・・・じゃあ、エンジンを強力な物にイジってほしいんですよ!ゼロヨンで負けないような!

オーナー・・・そりゃあ、ボアアップしたりカムやマフラーなんかでできることはできるけど・・・これ、スポルトマチックだよね?

私  ・・・  ハイ!そうです!!

オーナー・・・だとしたら、やるだけ無駄だよ。クラッチの強化パーツが無いから壊れるし、壊れても部品ないから、やめといたほうがいいよ

私  ・・・  (ガ~ン)じゃあ、打つ手なしなんですか・・・

当時はVWについて殆ど知識がなかった私・・・

悲しい現実を前に途方に暮れる私にオーナーは、「速さはともかくせっかく手に入れたVWなんだから、見た目だけでもかっこよくしようよ

と優しく声をかけてくれました。

そして店の奥にあったカメイのフロントスポイラーと当時は珍しかった1303用のタナベ強化ダウンサスをセットで売ってくれました。

(価格はなんとセットで5000円と格安!!)

そして914タイプアロイホイールとマフラー・ビタローニベビーターボミラーを取り付けカスタムしていきました。

当時はビートルをいじれば何でもキャルルックだと勘違いしていたので、今思えば笑われそうないじり方ですが、当時はうれしくてうれしくてあちこちウロウロとして走り回っていました。

 

結局そのビートルはスポルトのトルコン部が壊れてしまい手放してしまいましたが、つぎは黒い念願のバケロクを購入し乗り回していましたが、家庭の事情で泣く泣く手放しました。

 

手放しはしたものの私の頭の中から空冷VWの灯が消えることはなく、2年後に空冷VWに復活!!

しかし今度は親族の経済的事情により泣く泣く手放さなければなりませんでした。

手放しはしましたが「いつかまたVWの世界に帰ってくるぞ!」と心に決めて頑張って働く⇒復活!

復活するとそのタイミングでまた手放さなければならない事情ができ、泣く泣く手放す・・・

このような悲惨なスパイラルを何度か繰り返し生きてきましたが、私のなかで空冷の灯は燃え続けました。

 

その間結婚や子供の誕生や離婚を経験し数年間が過ぎ去り現在の嫁と出会いまだ同棲中のある日、何気なくVWのことについて話をしていると「そんなに乗りたいなら乗ればいいやん」と笑顔で言ってくれました。しかし当時は自営業で細々とくらしていたため金銭的にも余裕はありませんでした。でも当時は彼女である嫁の笑顔に後押しされ、すぐに岡山のブラストオフさんにTEL、そしてお店に伺いビッグテールのベース車を購入し整備してもらう段取りをつけその日は帰宅。

2日後登録に必要な住民票等の書類を持って再び訪れた時に、一昨日はなかった66年式ビートルが目に入り河本さんに聞くと「そうやな~66年式やから66万円でいいよ~。車検も1年半ほど残ってるし~」とウルトラスーパー格安!!(後できくと当時は完全に酔っぱらいのご機嫌さんだったのでその勢いとノリでつい言ってしまった金額だったとのことwww)

そしてビッグテールとの差額を正直かなり厳しかったが何とか工面し購入。

いや~、うれしかったですね~。

そしてすぐに自分がお気に入りのリアルEMPIパーツを探しまわりあるときはシフターやハンドルを買いに神奈川県まで自走したりと楽しいVW生活を送っていました。

 

いました・・・?

 

そう、なぜ過去形なのか・・・

66年式を乗り始めて1年ほどしたある日、元嫁から連絡が・・・(元嫁とは夫婦仲が理由で離婚したのではなく、子供もいためよく連絡はとりあっていました)

聞くと今までも助けてもらってきたのでなかなか言い出せずに黙っていたが母(私にとっては元義母)の体調が悪くその関係で経済的にかなり厳しい状況につき、できるだけ急ぎでお金を工面してもらえないか・・・とのこと。しかもかなりの金額・・・

なんとか助けてやりたいが当時自営業の方も傾きかけ、自分の生活もままならない状況・・・

仕方なく、泣く泣く66年式ビートルを手放しました。

元嫁や子供たちを路頭に迷わすことはできないため仕方なかったとはいえ、手放した後の電車での帰り道、涙がでました・・・。

 

それから5~6年、当時の彼女との結婚や子供の誕生など色々ありましたがネット等でVW関連の動画やサイト等をみながらVWに思いを馳せ生活をしていました。

そして一昨年の6月に何気なく見たヤフオクに1台の赤いボロボロのビートルが目にとまりました。

説明文を読むと1966年式の長期保管車両で完全にベース車・現状渡しとのこと。そして埃まみれの室内を撮影した画像を見ると私が愛してやまないステアリング「EMPI カスタムディープディッシュステアリング」が装着されているではありませんか!!

すぐに出品者とやり取りをし、嫁にもダメ元で現車を見に行くだけでもいいから見に行きたいと報告。嫁も同伴との条件付きで一路大阪へ。

出品者に聞くと今まで何人か購入希望の方は来たが、なぜか直前になると相手に不都合ができキャンセルになってしまっていたとのことで、今回で今らなければスクラップにする予定とのこと!

一時抹消の書類をみてビックリ!!

何と前オーナーは加東市の方(私は加東市在住!!)

これは私が来るのをこいつは待っていたんだ!と直感し、「買ってもいいか・・・」と玉砕覚悟で嫁に告げると「どうせそう言うことは、初めからわかっとったよ」と笑顔で答えてくれました。

そして不動車とはいえ久々のVWを手に入れた私は以前からお世話になっている三木市のガレージBUGの松原社長の元へ走りました。

事情を説明すると松原さんはVWへの復活を心から喜んでくれ、移送手段の積車等を手配してくれ修理に必要な予算等の段取りが決まるまでの置き場所まで提供してくれました。

そして一昨年の12月、ようやく最低限ではありますが路上復帰への整備費用の工面がつき松原社長に現状のボディーの状態等を細かくチェックしてもらうとフロアーや足回りにかなりのダメージがあり、かなり酷い状態だということが判明・・・

どうしたものかと凹んでいるとお店にある1968年式のスポルトのアイロンテールをマニュアル4Fに載せ換えるけど、66年式をベース車として売って、このアイロンテールに乗らないか?との提案が。一応価格を聞くと、到底かえるような金額ではなかったので一度は断念しましたが、あまりに凹んでいたためか社長がかなりの値引きを提案してくれました。あまりの安さに「大丈夫なんですか?赤字では?」とききましたが、社長は「赤字も赤字、大赤字や。そやけどな、やまさんがどれだけ空冷VWを愛しているかよう知ってる。俺は一時の好き嫌いで乗る客には値引きはせん。そやけどホンマに好きで乗りたい人間には儲けや赤字なんか気にはせんのや。こいつらは商品やけど一生懸命愛情注いで整備してきた、俺にとっては子供と同じ存在。そやからこいつらをホンマに愛して乗り続けてくれると判断した人間にたいしては、赤字云々は関係ない!」との暖かいお言葉。

そして一昨年の12月・・・

嫁や松原社長等多くの人たちのおかげで念願の空冷VWの世界に帰ってくることができました。

そして現在に至ります。

 

長い長いブログとなりましたが、これが私があゆんできた道でございます。