感謝の気持ちとは
感謝の気持ちが「ただ在る」だけ
自分は十分感謝している
あいつは感謝が足りていない
僕が生きたいと思うのは
そういう世界ではなく
感謝の気持ちが「ただ在る」だけの世界
感謝が自然と溢れてそれさえも気づかないくらいの世界
そもそも感謝しすぎるということはないと思うほど
僕たちの周りには感謝できることに溢れているのだと思う
あたりまえのことの中にこそ
それはあるように思う
*
やまぴと僕が同じ日にそれぞれの形で
「感謝」というテーマで考えていたみたいで・・
あまりにもお互いの経験が違いすぎて
最初は何を言わんとしているのか意味不明だったけど
行き着く先は同じ場所のようだった。
でも結論と思われる場所にたどり着いても
いつも「少しの謎」が残る。
それはすべてのことに対しておそらくこうだろうと
「ある程度の」結論は出せても
「こうに違いない」
「こうであるはずだ」
と断定することはできないのではないか?
と僕は思うから。
それが「少しの謎」として存在している。
僕のコスモス街道は「少しの謎」が歩くモチベーション
になっているのかもしれない。
そして残念ながら「少しの謎」について語るわかりやすい一言を
僕はまだ見つけられなくて、このブログを続けているのだと思う。