感謝の気持ちとは

 

 

感謝の気持ちが「ただ在る」だけ

 

 

自分は十分感謝している

あいつは感謝が足りていない

 

 

僕が生きたいと思うのは

そういう世界ではなく

 

 

感謝の気持ちが「ただ在る」だけの世界

感謝が自然と溢れてそれさえも気づかないくらいの世界

 

 

そもそも感謝しすぎるということはないと思うほど

僕たちの周りには感謝できることに溢れているのだと思う

 

 

あたりまえのことの中にこそ

それはあるように思う

 

 

 

 

やまぴと僕が同じ日にそれぞれの形で

 

「感謝」というテーマで考えていたみたいで・・

 

あまりにもお互いの経験が違いすぎて

 

最初は何を言わんとしているのか意味不明だったけど

 

行き着く先は同じ場所のようだった。

 

 

 

でも結論と思われる場所にたどり着いても

 

いつも「少しの謎」が残る。

 

 

それはすべてのことに対しておそらくこうだろうと

 

「ある程度の」結論は出せても

 

 

「こうに違いない」

「こうであるはずだ」

 

 

と断定することはできないのではないか?

 

と僕は思うから。

 

 

それが「少しの謎」として存在している。

 

 

僕のコスモス街道は「少しの謎」が歩くモチベーション

 

になっているのかもしれない。

 

そして残念ながら「少しの謎」について語るわかりやすい一言を

 

僕はまだ見つけられなくて、このブログを続けているのだと思う。