「第59回中川金魚まつり」(名古屋市中川区 尾頭橋一帯 26/07/26) | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

「第59回中川金魚まつり」

名古屋市中川区 尾頭橋一帯 26/07/26



第59回中川金魚まつり
http://www.kingyo-matsuri.com/

(以下、転載)
私たち実行委員会は「中川金魚まつり」を「地域の祭り」「中川の祭り」として開催していくことを「街を造り、人を創る」ことと考えております。
「中川金魚まつり」を地域のコミュニティの機会と捉え、地域の子ども達の健全な活動の普及、発展に寄与していくことも一つの目的とし、各団体と連携をとり、お互いの連帯を深めていくことにより、祭りを通じて地域が一体となる様な、参加する誰もが主役になれる「みんなの祭り」にしていきたいと思います。
今年は7月26日(土曜日)・27日(日曜日)に開催いたします。
感動!熱気!興奮!」あふれる「中川金魚まつり」に ぜひ、ご来場下さい。
皆様のお越しを心からお待ちしております。
平成26年4月吉日


第59回中川金魚まつり実行委員会
実行委員長 住田吉隆


(転載ここまで)












愛知戦国甲冑隊





平成26年7月26日、第59回中川金魚まつりが行われた。

同・中川金魚まつりの位置づけは「地域の祭り」「中川の祭り」、そのコンセプトは「街を造り、人を創る」と示す同祭り実行委員長の住田吉隆さん。

そして、「感動!熱気!興奮!」あふれる「中川金魚まつり」と、その論旨を締めくくる。

「中川金魚まつりの歴史」を掲載した文章から、同祭りのルーツを紐解くと「郭(くるわ)まつり」として昭和初期に遡り、昭和28年、地域の活性化・連帯感を強めようと祭りを立ち上げたのが始まりとある。昭和28年(1953年)は、先の大東亜聖戦終戦(昭和20年8月15日)より8年後、サンフランシスコ講和条約発効(昭和27年4月28日)により我が国日本が独立を回復した1年後である。また、その頃の時代として、昭和31年(1956年)「もはや戦後ではない」との流行語はよく知られるところである。

(以下、転載) 経済白書(ウィキ)(一部編集)
1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、大東亜聖戦後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語にもなった(経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助が白書作成の指揮を執った。言葉の初出は中野好夫が『文藝春秋』1956年2月号に発表した「もはや『戦後』ではない」である)。
因みに、この「もはや」という言葉は、日本が復興期から脱して、高度成長という明るい未来を目の前にした状況を表現したものと誤解されることが多く、当時の経済企画庁の執筆者の意図とはまるで反対の意味として通用してしまっている。当時の「もはや」に込められた認識は今日的解釈とはむしろ正反対で、「今までは戦後復興ということで、成長の伸び代が多大にあったが、戦前の生産水準にまで回帰してしまった以上、この先、この成長をどうやって続けたらよいものだろうか」という、いささか困惑気味のものであった。(転載ここまで)

本年同日、尾頭橋公園の様子を見るとものすごく人がいる。この三年間で最大規模の人がいたと感じた。

多感で、記憶力旺盛で、何でも学習する小さな子は、その祭りの様子が断片的に一生涯脳裏に焼き付く記憶として残るだろう。

日本の原風景ともいえる祭り。

中川金魚まつりが、これからも我が国日本と共に千代に八千代に続いて行かれ、地域と共に更に時と歴史と人々の思いを刻んで行かれることを心よりお祈り申し上げます。






「名古屋市消防音楽隊」 第59回中川金魚まつり・パレード(於)名古屋市中川区 尾頭橋一帯 26/07/26



名古屋学生チーム『鯱』第59回中川金魚まつり(於)名古屋市中川区 尾頭橋一帯
"Shachi"Otobashi,Nagoya,Japan 26/07/26



「名古屋ナモ締め」 第59回中川金魚まつり (於)名古屋市中川区 尾頭橋公園 26/07/26








名古屋市消防音楽隊




第59回ミス中川金魚まつり 住田沙耶果さん


左:中川消防署署長  右:第59回ミス中川金魚まつり 金丸璃奈さん


愛知戦国甲冑隊


愛知戦国甲冑隊


名古屋学生チーム『鯱』


名古屋学生チーム『鯱』


笑゛



(付記:参考) 金魚
大日本國・弥富金魚in名古屋某所 Japan , Yatomi goldfish in Nagoya 23/07/15

弥富金魚は、宇宙空間にも行ったという、ビッグバーン、ダークマター、ブラックホール­を彷彿、意識させるような輝かしい実績がある。
また、その宇宙空間へ行った弥富金魚は、日の丸模様であり、自ずと愛国心、憂国の情を­駆り立てられるのは私だけではないだろう。
日の丸を背負った弥富金魚が、宇宙空間に行ったのである。
日の丸を背負った弥富金魚が、宇宙空間に行ったのである。
まさに、大日本國、日本民族の誉である。
近所の金魚は弥富のきんちゃん~弥富金魚イメージソング~
(付記:参考)ここまで




おおす新聞 2674(26)-08-02 07:35  配信





第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持

古事記1300年 大須観音展



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