九州豚骨ラーメンは基本的に 細麺 です。

 

この方が表面積が増えるので スープと よく絡む。

 

 

 

 

 

太い麺よりも細い方が表面積が増えるのは、

 

例えば、コーヒー豆 10 g にそのまま湯を注いでみても、

 

薄いコーヒしかできないのに、

 

同じ量の豆 10 g を細かく砕いて湯を入れると

 

香り高いコーヒーが出来上がるのは、

 

細かく砕くと表面積が増すから です。

 

 

 

 

表面積が体重の割に大きいのは痩せている人。

 

太っている人の表面積は体重の割に小さい。

 

表面積が大きいほど発散する熱は多いので、

 

痩せている人は寒がりで、太っている人は暑がりです。

 

ですから、寒いところに住む動物は大型、

 

暑いところに住む動物は、体が小さい。

 

ゾウやキリンのことではありません。

 

例えばクマを比べてみた時の話で、北のクマは大型、

 

南のクマは小型、こういう話です。

 

 

 

 

 

生物と同じ理屈で、麺は細い方が表面積が大きい。

 

その結果、細い面の方がスープと絡みやすく、

 

より美味いということになる。

 

 

 

 

ところで、麺の堅さですが、「硬麺」はもちろんのこと、

 

もっと硬い「バリ硬」、その上の「針金」、

 

さらに上の「粉落とし」などという、

 

ほとんど茹でていない麺も注文する人がいるんですね。

 

それくらい 九州の人は硬い麺が好き みたいです。

 

 

 

 

 

したがって、麺がのびるなんてことは、許せない わけです。

 

ところが、自分は大食いだから、大盛りを頼んでしまう。

 

しかし、途中で麺がのびてしまう。

 

 

 

 

 

ここで考えだされたのが、「替え玉」というやり方。

 

これだと、大盛りの量でも、常に自分好みの硬さの麺で、

 

最後まで食べられる。

 

 

 

 

 

多分、替え玉という文化には、

 

そういう 必然性があったんではないか。

 

ちょっと理屈をこねてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前、電車の中で化粧する女性を見ました。

 

脇目も降らず、こちらの視線も全く気にせず、

 

長時間かけて一生懸命化粧してました。

 

 

 

 

 

スッピンが恥ずかしいので、他人に見せたくない。

 

そういうことで化粧するわけですから、

 

恥ずかしく思う気持ちは持っている わけです。

 

 

 

 

 

しかし、スッピンから化粧した顔までの

 

その プロセスを他人に見せる わけですから、

 

それが恥ずかしくないという感覚が理解できない。

 

もし、彼氏も一緒に電車に乗っていたら、

 

化粧するでしょうか? 

 

多分しないはず。

 

 

 

 

 

ここで、電車の中で化粧する彼女に、

 

いかにそれが恥ずかしいことか をわかってもらうために、

 

どういう手段に出るといいかを考えてみます。

 

 

 

 

 

ワシの提案は、電車に乗って座り、

 

おもむろに鏡とカツラを取り出して、それを着ける。

 

 

 

 

化粧をするということは、

 

電車の中でカツラを着けることと同じ、

 

そういうロジックで攻めてみる。

 

 

 

 

インパクトはあると思いますが、

 

馬鹿な女に真意が伝わるかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでに、257人の同姓同名の

 

「タナカヒロカズ」の会が出来上がっているらしく、

 

漢字は違っても読みが同じならOKということで、

 

現在も募集しているということ。

 

2 度目のギネス記録を目指しているらしい。

 

 

 

 

漢字は違っても読みが同じなら OK、ということですが、

 

「田中宏和」という、漢字も全く同じという人も

 

多数いるはずです。

 

 

 

 

そういう人たちに聞いてみたい。

 

その人達の人生で、同じ共通した傾向があったのかどうか。

 

「田中宏和」は幸せか不幸か、金持ちか貧乏か、

 

どういう性格をしているのか、家族に恵まれているのか、

 

そういったいろんな項目で、ぜひ比較してほしい。

 

 

 

 

もし、姓名判断というものが信ぴょう性のあるものなら、

 

なんか一定の傾向が出てくるはずです。