もらい乳
先日、三男の24歳の誕生日だった。
24年前、亡き妻が千葉大附属病院で帝王切開して三男を出産した。
妻が背中の26センチに肥大したメラノーマの摘出手術を2週間後に控え、ポタポタと垂れる乳を自分で搾って捨てている姿がなんとも可哀想。
三男は千葉市立海浜病院へ救急搬送された。
車で追いかけると、佐久間医師から「初乳は市販のミルクでなくて、もらい乳がいい。ただ、エイズの危険もあるが承諾すると一筆書いてほしい。それからあかちゃんは肺の準備がないまま2カ月早産になったので100%酸素吸入しています。もしこのまま1週間続けたら失明の可能性があります」と言われた。
三男は4日目に自力呼吸ができて失明を免れた。
初めて保育器に入った三男を見せてもらったとき未熟児で本当に小さくて、酸素吸入を終えても両方の鼻へ管を通されているのが痛々しかった。
わたしは上司から「きみは会社の功労者だ。いまのポジションは保証する。FAXを置いてやるから何カ月でも自宅勤務したらいい」という言葉に甘えて1カ月間、妻と三男の病院へ通った。
リモートワーク、テレワークの先駆けだ。
1カ月すると、佐久間医師から「10カ月になります。われわれだと四六時中面倒を見られない。そろそろ自宅で育ててほしい」と言われた。
田舎から手伝いに来てくれている母に相談したら「わたしが面倒を見るから大丈夫」と言ってくれた。
わたしは早朝のミルクを作って三男に与えてから徐々に出勤した。
そのうち妻も背中の皮膚移植が整うと、退院して自宅へ戻ってきた。
しばらくして母は田舎へ帰っていった。
三男はもらい乳のせいか周りを和ませる人間に成長した。
6歳…「彼は障碍がある同級生からほっぺをつねられても叩かれても笑って耐えている優しい子です」(当時幼稚園副担任談)
11歳…妻が亡くなって、三男の同級生の母親が競うようにして預かってくれた。
12歳…「すぐ上のおにいさんの、高校を中退した同級生がバイクで中学校へやってきて息子さんに声をかけ、それに平然と受け答えをしている姿を見た中学3年生たちが息子さんのことを『山ノ堀さん』とさん付けで呼んでいます。息子さんはおにいさんよりもさらに人望があるので担ぎ上げられたらもっと悪くなるでしょう。ただ、おにいさんの影響が及ばないところへ転居されればよそ道に外れることはないと思います」(千葉の中学校1年生の学年主任談)
三男に「東京へ転居しよう」と言ったら「僕は絶対に嫌だ」と泣いて訴えたので、「そうか、でもな、父は働かないといけないし、片道2時間の通勤で子育てをするのは難しい。東京へ転居して、どうしてもダメだったらまた千葉へ戻ろう。そのためにこの家は売らないし貸さないから」と約束。
「(転校初日)どうだった?」と問うと、三男は「お父さん、ぼく、友だち7人できたよ。みんなが『ブクロ(池袋)へ連れていってやろう』と言ってくれたのでチャリで行ってきたよ」
14歳…全国トップクラスのリトルシニアで半年間キャッチャーのレギュラーだったが、たった1度の暴投でブルペンキャッチャーに降格。イップスを疑われたのだろう。
わたしに「おとうさん、新しいキャッチャーミットを買って」と言ってきたので「レギュラーを外されたのに新しいミットはいらんだろう?」と返すと「おとうさんは団体スポーツをしたことがないのでわからないだろうけど、野球は9人だけのスポーツではないんだ。ぼくのミットが新しければ『バン!』という音がしてピッチャーに『ナイスボール! よし、マウンドで三振とれるぞ!』って声をかけてやれる。でもミットがボロボロならいい音がしないからピッチャーを勇気づけてやることができないんだ。新しい服とか何もいらないからミットを買ってください」。「お前、いいやつだなあ」。わたしは5万円のミットを買ってやった。
18歳…「おとうさん食べて」。「どうしたんだ?」。「これまでおとうさんには中1から6年間、ご飯をつくってもらった。今度はぼくがつくって恩返しする番だと思って、居酒屋の厨房のバイトで腕を磨いたんだ」。「……(言葉がつまる)」。「どう、おいしい?」。「ああ、おいしいよ(涙)」
19歳…「おとうさん、この大学だとぼくは就職もできないし結婚もできないし子どももつくれないのでカナダへ留学させてほしい」。「高校時代に日本人の英語の先生の授業についていけなくて、試験の日に頭痛と腹痛で学校を休んで3科目0点になったのに、ネイティブの英語についていけるのか?」。「わからないけどがんばってみる」。「わかった。1年間、金はだすが口はださないからがんばってこい」
20歳…「お父さん、ぼくTOEICで875点とれたよ」。「本当か?」。「田舎の学校から街の学校へ転校したのがよかった。街の学校は同い年ぐらいの人間ばかりだから積極的に話しかけていったんだ。そうしたら耳が良くなった。リスニングは満点だよ。リーディングは高校のとき勉強していないから満点は難しい。ぼく、日本の20年間で友だち100人だけど、カナダの1年間で友だち100人できたよ」
21歳…「おとうさん、ぼく、英語が使える会社へ就職しようかな?」
22歳…三男は東証一部上場企業2社から内定を得た。カナダで初めて勉強して自信がついたからだろう。熟慮した結果、IT系企業へ就職し、社長室へ配属されIRや人事の補助、会長のカバンもちをになっている。
23歳…三男と再び同居することになった。「おい、パソコンのこれ教えてくれないか?」。「おとうさん、安易にひとから聞いちゃダメだよ。自分でググったらでてくるんだから」
中野のマンションのコンシェルジュからは「立派な息子さんですね」、なじみの寿司屋の大将からは「充分、おとうさんを凌いでいる」と言われる。
新妻は拙者よりも三男とよく話をする。
複雑だ。
三男がみんなから好かれるのは、もらい乳のせいが多分にあると思う。
三男には「おまえもがんばったが、おまえに乳を与えてくれた多くのおかあさんたちと、あの佐久間医師の不眠不休のおかげもあるのだから、いつか社会に恩返ししろよな!」と言いたい。