子どもがふと見せる成長の瞬間に、胸が熱くなる。けれどその一方で、父親である自分は、“やりたいこと”からどんどん遠ざかっているように感じていた——。育児と夢、家族と自分。格闘技という目標を抱えた父親の視点から、揺れる心と小さな前進を描きます。

「成長したな」と思った、ある朝の風景

その日は忙しい平日の朝。

バタバタと保育園の準備をしていたとき、娘がふいに言ったんです。

「パパ、今日は自分で靴はくね」

何気ないひと言でした。けれど、僕の中でなにかがふっと止まった。

半年前まで、靴下ひとつで癇癪を起こしていた娘が、今では自分から動いて、

しかもちゃんと左右を間違えずに靴を履いている。


「すごいね」

と声をかけると、

「だって、もうお姉さんだから」と照れくさそうに笑う娘。


この小さな“自立の一歩”が、僕の胸にじんわり沁みました。


子どもの成長は、静かに、でも確かに進んでいる

子育てをしていると、毎日が“バタバタ”の連続。

それでも、ふとした瞬間に気づくんです。


・スプーンを使う手が、少しだけ上手になっていたり

・「ありがとう」が自然に出るようになっていたり

・自分の名前をはっきり言えるようになっていたり


“昨日できなかったこと”が“今日できている”。

子どもの成長は、日常の中にさりげなく埋まっていて、気づいたときにハッとさせられる。


そんな時間を、そばで見届けられることは本当に幸せだと思います。

でも、自分の“成長”は止まっている気がしていた

…ただ、正直に言います。


娘の成長を喜びながらも、心のどこかで、自分自身が“止まっている”ように感じていたんです。


僕には、ずっと続けてきた格闘技があります。

練習の日々、試合の緊張、勝ったときのあの達成感。


だけど今は、家事と育児に追われ、練習に通う時間も、集中する余裕もない。

体はなまっていくし、感覚も鈍っていく。

「もう戻れないんじゃないか」と思ってしまう日もある。


娘が“できるようになっていく”のを見ながら、

自分は“できなくなっていく”焦りに、密かに飲まれていました。

「やりたい」は、しまい込むものじゃない

ある夜、娘が寝静まったあと、昔の試合動画をこっそり見ていました。

打撃、組み、声援、あの汗と痛み。懐かしくて、泣きそうになった。


でも同時に、「まだ終わっていない」とも思えたんです。


完全に諦めたわけじゃない。

ただ、今はそばにいる家族を守ることが、自分の第一優先になっているだけ。


“やりたいこと”は、封印するんじゃなく、“育てていくもの”なのかもしれない。

少しの筋トレ、短時間のシャドー。たとえ小さな一歩でも、つなげていけば道になる。

父親だって、“夢を持った存在”でいたい

親になったからって、夢を手放す必要はない。

むしろ、子どもに“本気で生きている背中”を見せることが、

僕にとっては最大の教育だと思う。


格闘技にまた戻りたい。

その気持ちをごまかさず、今の生活の中でできる形にしていきたい。


焦らず、腐らず、諦めず。

娘の“ゆっくり確実な成長”から、僕も学び直しているところです。

おわりに:止まっているように見えて、ちゃんと進んでる

「今日は自分で靴を履くね」

そんな娘のひと言に、成長の希望と、父としての焦りが重なった。


でも今は、心から思える。


父親としての今も、格闘家としての夢も、どちらも本物。


どちらも“自分”で、どちらも“育てるべきもの”。

いつか娘に、「パパは諦めなかった」と胸を張って言えるように、今日も自分なりの一歩を重ねていきます。

次回予告(第13話)

「“怒る”と“叱る”の違いに悩んだ日」

→ 子どもにどう伝える?感情ではなく、信頼を育てるための“叱る力”とは。