習わしの中にある「おかげさまで」の心。 | ゆうこ/彩り豊かな世界を生きる

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そこにある心ってなんだろう?

その心根はどこにあるんだろう?

 

 

習わしやしきたりに出会うと、

そんな風に考えることがあります。

 

 

田舎育ちだし

そういったものが身近だったから

というのもあるかもしれません。

 

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今回のお盆で

奈良へ帰省したときに

 

来年、祖父の50回忌法要があるって

いう話を母から聞いたんです。

 

 

そして50回忌法要は

通常の法事とはちがって

「お祝いごと」とのこと。

 

 

なので、日程を今から

開けておくように

ってことだったんだけど。

 

 

法要にいただくお経も

またちがって

法要自体の規模もちがうそう。

(とはいえ、もう人が少なくなってるから

 そこまで大人数の法事ではないんですけどね)

 

 

そして、法要が終わったら

村の御近所さんにお祝いを配り歩いて

お祝いするというものだそうです。


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なんでお祝いなんだろう?

その心根はなんなんだろう?
 
 
そう考えていたら、
 
故人を偲ぶってことは
もちろんあるんだと思うけど
 
残された人たちのためでも
あるんじゃないかなと思ったり。
 
 
「おかげさまで」という
「心」あっての
お祝いなんじゃないかなーと
思ったのです。
 
 
私見ですけどね。
 



 

 

没後、50年経っても

法要を忘れず行う子孫と場所がある。

 

そして、先祖を偲ぶ心、

いのちを繋いできた先人を思う

その心があること。

 

 

自分一人でここにいるわけじゃ

ないってことを無意識にでも

感じる機会を持つということ。

 
 
故人へ思いを寄せる

その心の豊かさを喜ぶ。

 

 

法要を行える関係性がある。

家族や親族のつながりや

御近所さんと関係などがある。

(ないとできないものね)

 

 

こういったことを

まるっと含めて、

 

「おかげさまで」という

心があるんだろうなって

思ったんですよね。

 

 

こういったしきたりや

習わしを見ていると

 

いのちが繋がれていくことへの

歓びと祈りが

根底に流れているなと感じます。

 

 
いのちを繋いでくれた
先人たちの大きな愛を感じる。
 
 
そんな風にも思います^^