あれが好きだから、これが嫌いだから。
それが理由になるなんて思わない。
物事を始めるにはまず「理由」が必須事項だと思っていた。

私がこのアメーバブログを始めたきっかけは、
「私がこの世界で生きていたという証を残したかった」
からだ。
これが必須事項の理由である。

私が死んでもこのブログはネットという消えないものの中で生き続けてくれる。
生きている実感が未だに分からない私だが、これが私が生きていた証になる。
父や母より先に死んでしまっても、もしかしたら匿名の私を見つけてくれるかもしれない。そんなことを願っている。

〇〇になりたいから、△△になりたいから、~だから、
そんな理由たちがいつも私を縛り付けた。
~だから私は〇〇をする。しなければならない。

例えば怒られたくない、だから私は宿題も予習もやる。
能動態のように思えるこれは、いつだって私にとって受動態だった。

しなければならない。
しなければならない。
しなければならない…。
いつだってそれが私にまとわりついて離れなかった。

泣くことにも、笑うことにも、怒ることにも、悲しむことにも、いつだって「理由」が存在するべきだと思ってた。

でも…………。
でも、違うんだ。
好きだから、嫌いだからを理由にしてもいいんだ。
好きな物を「好き」と言いたい。
嫌いなものには「嫌い」と言いたい。
「理由」なんて必要ないんだ。
自分の中で目まぐるしく動く思考回路。
もう、巡らせることなんてしなくていいんだ。

好き、だからやりたい。
それでいいんだ。

皆さんは素直な気持ち、伝えられますか。