誰かが傷付いてても

それに気付かずに、あるいは見て見ぬふりして

笑って生きれてしまうなんて、とても怖い。


全部なかったような振りをして。

誰もがこの地に足をつけている事。

卑怯だよ。残酷だよ。


誰かがナニカを我慢(損)して。

その分誰かが得をして。

だから集団は嫌いなんだ。

それなのに、

そうでもしないと生きれないのが“人間”で……。


家族だってそう。

ナニカに気付いてしまっても

気付いてないふりをしなきゃいけない。

そうでもしなきゃ、

今までそこにあった“日常”が無くなってしまうかもしれないでしょう?


誰かがナニカを我慢して生きる分、

私だってナニカを我慢して生きていかなきゃ。

そうする事で

自分の中の“日常”がやってくる。

我慢してるのは確かに皆同じ。

だけど《同じ》なんかじゃないよ。


私はワタシを演じてる。

誰もがナニカを演じてその環境にいる。

その環境を作りあげてる。


笑ってるけどさ、

本当は泣いてるあの子に気付いてる?

強がってるけどさ、

本当は怯えてるあの子に気付いてる?

そんな環境で、今日も笑って過ごせちゃうのが、

とてつもなく怖いんだ。


皆は何を知って、分かって、

私を私だと言うの?

あの子をあの子だと言うの?