- 春の七草 (ものと人間の文化史)/有岡 利幸
- ¥2,730
- Amazon.co.jp
正月は大変でした。
前述のニューイヤーコンサートと3日の日のアメリカンフットボールのライスボウル以外はずっと書類の表書きの入力してました。
1200以上あって大変・・今もみると目がちかちかします。
と、正月疲れのこの時期の風習の春の七草のお話の本です。
春の七草に関する歴史的経緯からどのように生活に取り入れられていったのか、和歌の世界など文学作品での取り上げられ方から、栄養価・栽培の分布や類似の毒草などにいたるまで丁寧に解説していう本です。
まず一章で、春の七草全体の話になるんですが、、、
もともとは、6世紀ごろの中国の梁という国の宗りんという人が、楚という洞庭湖の湖北・湖南地方の年中行事を紹介した本に書かれており、奈良時代にわが国に伝来し、平安初期のころ上流階級にひろがり、年中行事として取り入れられたらしい。
日本の公式の記録では、第60代天皇の醍醐天皇の時代の911年の正月7日に御所にはじめて奉じられたらしい。(普通には889~98ねんごろから食べられていたらしいが行事としてはこの年とのこと。)
当初は七草ではなく十二種類の若菜がそえられ、若菜(詳細不明)、くさびら(きのこ)、おおばこ、せり、わらび、なずな、あふひ(あおいすみれ?)芝(よろいぐさ)よもぎ、たで、あざみ、タカナだったらしい。
実際の七草の記載がされたのが、四辻左大臣が、室町時代に源氏物語の注釈として描かれたのが初めてとのこと。
このときの七草は、せり・なずな・御形・たびらく(田平子)・仏の座・あしな(みやまはこべ)・みみなしということだったらしい。その後の文献でもかなりバラつきがある。
理由はあって、地方によって当然揃わないケースがあるからで、地方によって入れる若菜が違うらしい。たとえば長野県佐久市では、せり・なずな・だいこん・ごぼう・にんじん・干菜をつかう。熊本の阿蘇町では、さといも・にんじん・かぶ・ねぎごぼう・なずな・せりを使うとのこと。
で、オフィシャルソングというか和歌として有名にしたのは、蔵玉和歌集(1388年ごろ)に
せりごぎょう なずなたびらこほとけのざ すずなすずしろこれぞ七草
という歌がのり、これを「年中故事要書」(1697年)にまとめ広がったとされる。
また七草をうつときの囃子言葉と作法というものが、旅宿問答という本にあり、
七草うちは、6日の酉の刻(午後五時)にせりを打ち、戌の刻(午後7時)になずなを、いのし亥の刻(午後9時)に御形を、子の刻(午後十一時)にたびらこをうち、7日の丑の刻(午前一時)に仏の座を寅の刻(午前3時)にすずなを、卯の刻(午前五時)にすずしろをうち、辰の刻にうっておいたななくさをまとめるということらしく、正式にやるとたいそうてまのかかる話らしい。
若菜を食べる効用としては、冬の間に力仕事をしないことや保存食のために血液中にナトリウム(塩分)がたまりむくんだり血圧が上がりやすい状況があり、若菜のようなカリウムが豊富なものをたべて排泄を促進することで体調を戻すということらしい。
各々では
せりはビタミンA・B2が多く含まれる。なずなは、タンパク質が多く、ビタミンA・B1・B2・C カルシウム・鉄分が含まれ、御形はたんきりの成分・はこべは、タンパク質・ビタミンC・鉄が含まれ、仏の座は胃腸によく、すずなは、ビタミンC・B2・カルシウム・亜鉛が豊富、すずしろは、かろちん・ビタミンC・カリウム・ビタミンAが多く含まれる。
栄養学的にもりに叶う習慣といえそう。
2章以降は各論にはいるのですが、その辺りは実際に買って読んでみましょう。
人々の七草の生活感や思いがきっと伝わる本だと思います。