山川上総守のブログ

山川上総守のブログ

クソ大学生がお贈りする徒然日記

Amebaでブログを始めよう!

人間には大脳新皮質という素晴らしい機能が備わっており、ホモサピエンスが賢い人たるゆえんである。

小生も機能過剰な大脳新皮質を使用して森羅万象の物事に対して妄想をする楽しみを享受しているが、その脳が絹豆腐で出来ているのではないだろうかと疑ってしまうような女はとても同じDNA構造をもった存在とは信じ難い。

男性は解決策や理由追求に長け、女性は共感や思いやりに長けているというのは実にマクロ的な視点に基づく総括であり、小生も大いに納得している理論であるが、それにしても理由なく行動を行うサルのような女が世の中には五万といる。

その代表格とも言うべきダークサイドの女が、彼氏をディスるクソ女である。

交際関係というものは、双方、もしくは片方の愛情の表面を経て同意された配偶の準備段階の状態のことである。そこには、当然ながら相互尊重関係が存在している筈である。

もちろん、互いを愛し合っているからといってセンターオブジアースでスタンバイしている時に濃厚な接吻をしたり、海底2万マイルでネモ船長に託された地底世界の調査を怠って濃厚な接吻をしたり、シンドバッドの冒険を回想している最中に文脈のない濃厚な接吻をするのはお門違いである。

このような公然猥褻が嫌われる理由には交尾に際して無防備になる人間の弱点を克服するために公然でのいちゃつきに対して激しい嫌悪を覚えるよう遺伝子的にプログラミングされているからであろう。

しかし、この公然交尾連想行為の社会的弾劾への恐怖からなのか、自分の彼氏の悪口を平気で行う女が割拠する今日この頃である。

女が共感を得たいという衝動に常日頃かられていると仮定すれば、彼氏をディスった女に対して、「確かに貴様の彼氏はクソである。故に関係を解消するのが最適と推察したがこれ如何」と正直に申し伝えるのが筋である。しかし、大抵このような上奏をするとナポレオンフィッシュのような顔で怪訝な顔をされる。

何故か。

それは女という生き物が「そんなことないよ~」という言葉が鼓膜を振動させることにエクスタシーを感じるからである。

自ら発信した彼氏なのにディスるこのワタシ!という反自然現象を他者によって否定してほしいという二重否定即ち強い肯定欲求の現れなのであり、あくまでこの世の中はワタシ中心に展開されており、他者はワタシの世界観を完成させる背景画に過ぎぬのである。

更にこの謙虚を履き違えて自嘲する人間の弾劾すべき点は、裏には承認欲求と自信が渦巻いていながら、自らの欲望をひた隠すために自分が親しい存在の彼氏を一度槍玉に上げて処刑する点にある。これは背信行為ともいえよう。

別の要因として考えられるのが、責任の転嫁である。

マクロ的な視点から見れば、自らにも非があることは明白であるのにも関わらず、一方的な被害者の面を被って可哀想で悲劇的なワタシに共感を要請しているのである。

マイナス思考でかつ他責に余念の無い者と関わると、自分には何の得も無いばかりか、会話は決まりきっており、無味乾燥している。

「では別れて仕舞えばいいではないか。それでもお付き合いしている意味は何か」と問えば、

「だって可哀想なんだもん」という定型文が企業のLINE公式アカウントように返ってくるだけである。これならばケンタッキーのLINEに投稿してカーネルサンダースにひたすらフォッフォッフォッフォッ云われる方がマシである。

ゆえに、プラス発想で自責で物事を考える女性が、付き合うべき存在なのである。それらを吟味せず、顔とおっぱいと色白具合だけで無作為に異性交遊をしてしまう男は、自己犠牲、奉仕、諦念の精神を持つ強靭な心身が存在するか、大脳新皮質が腐敗して思考が停止している。