標高1300メートルの真冬。


気温がマイナス10度になると、葉を落とした落葉松や広葉樹に、つまり森全体に樹氷がキラキラ輝く。


朝の陽光で溶けるまでのわずかの時を、命を惜しむかのようにきらめく。


毎冬見る景色なのに、見飽きることがない。


又、マイナス17度を下回ると、ダイヤモンドダストが踊る。


ジャンパーを羽織ってその中へ踏み込む。


「ダイヤモンドダストのど真ん中にいるんだなぁ。」等と言って、夫に「あんた何才なんだ?」と夫に皮肉を言われるが、これも地球の小さな命なんだと愛しく思う。




しかしこの寒さの中にいると、春が待ち遠しいのも事実である。


雪が溶け始め、小さな雑草の青い姿を見ると気持ちが和む。


しかしそれ以上にフキノトウを見つけた時は“胸がときめくとはこのことか”と、見つけた一個を大事に持ち帰り、味噌汁の浮かしにする。


ほろ苦い春の香りである。




我が家はこのフキノトウに目がなく、京都にいた時も時期になると、鞍馬山のまだ奥の北山の集落までフキノトウを採りに毎年出向いた。


お弁当を持ってのドライブであり、マロを遊ばせる目的である。


一度こんな出来事があった。


マロがまだ仔犬の頃、フキノトウに夢中になっている私に、夫が「母さん空を見て」と叫んだ。


空にはトンビが輪をかいている。


獲物を狙う体制である。


標的はマロ。


夫よりマロに近かった私は袋を投げ出し、嬉々として走り回るマロを捕まえに走る。


遊びと勘違いしたマロは喜んで逃げ回る。


トンビの急降下の直前に、マロを捕まえた。




春を告げるあの薄黄緑色のフキノトウがあちこちに芽を出し始める頃、落葉松の丸い芽がふくらんでくる。


まもなく何もかも芽吹きの季節。


人の話によれば、落葉松の丸い芽がはじける時、小さな ポン という音がすると言う。


一度聞きたいと思いながら、まだ聞いたことはない。


そのポンの後の薄緑色が向かいの森に数限りなく芽を出し、青いベールに包まれるのである。


その言葉では言い尽くせない自然の色を眺めながら、フキノトウの佃煮や、味噌和えや天麩羅に余念のない春先を過ごすのは無常の喜びである。






やはり山の中。


車で10分走れば初級者用、20分走れば中級・上級と、ゲレンデがいくつもある。




京都市内で過ごしたわれわれの青春時代には、スキーとは何と大げさなものであったろう。


スキー板と靴を借り、大きなリュックを背負い、列車の網棚にスキーとぶら下げ…


交通の便も悪く、最低でも一泊は覚悟。


お小遣いにも不自由していた当時、兵庫県の北部へ二度行っただけ。


“若いうちに身体で覚えたことは忘れない” 身体で覚える間もなかった。




ところが今、やりたかったことが目の前にある。


我慢は腹ふくるる重い。


夫を誘ってみると「俺は興味ないから、一人で行っといで」


それではと、初心者コースへ。


とりあえずレンタルのスキー、靴、手袋を借りて、スキー講習の受付へ。


申込書に必要事項を書き込み、ゼッケンをもらう。


受付の人がインストラクターの待つ裏へ。


「初級、年齢ン十七、女性」と連絡。


待つことしばし。


若い男性が走ってきて、私の横を素通りし、キョロキョロ辺りを眺めている。


ピンと来た。


“ハハーン。ン十七才を、ただの十七才に聞き間違えたな”


しようがない。「こんにちは、よろしく」と声をかける。


彼は一瞬とまどい、苦笑と共に帽子の上から頭をかいた。


ありがたいことに、マンツーマンの指導。


スキーの各部の名称や、注意事項、リフトの乗り降りまで親切な言動。


すっかり気分をなおし、まずはボーゲンから。


楽しい半日を過ごし、さて、と考えた。


いつまで続けられるかわからないけど、スキーの板と靴を買おう!


それからは週に二回のペースでゲレンデに通う。


何とか直滑降とクリスチャニアをマスターしたところで、シーズンが終わった。




しかしこの頃の気候が曲者。


昼間の暖かさで溶けた雪が夜中に凍り、明け方その上に3~4cmの雪が積もると、長靴のスパイクがきかない。


少し注意を怠るとスッテンコロリン。


四輪駆動であるはずのダックスのマロまで、つるつる滑っている。


ある日、昼過ぎに外出先から帰ってくると、京都から遊びに来ていた娘が飛び出してきて「お父さんがおかしい!」


夫がマロを散歩に連れ出し、家の前で二度も転び、二度目は頭まで打ってしばらく立てなかったとのこと。


夫も、自分では何が起こったかわからない様子。


すぐに病院へ走り、問診、CT撮影、諸検査の結果、特に異常はなしと診断された。


が、当の本人はCTも何も覚えておらず、徐々に記憶が戻ってきたのが夜の9時過ぎ。


念のために用句実脳外科の医師の診察をうけ、「軽い脳震盪ですね」の言葉にほっとした。


夫はあれから何事もなく過ごしているが、あの時のあの8時間余りの記憶は今でも無いそうである。





「隠居とは…世を捨てて山野などに隠れ住むこと」(広辞苑)


もちろん隠れるつもりは毛頭ない。


友人知人に転居届けを出し、末尾には例のごとく“お近くにお越しのせつは……”と書き入れた。

反応は様々。


「よくやった!偉い!快挙だ!」


「5人で行くから、宿の手配をお願い」


「俺も田舎暮らしをしたい」


「きのこ汁を食べたいからふたりで行くよ」等々千差万別。




その中で最も驚いたのが、夫の中学からの親友で大阪に住むS氏から電話があった。


実は我が家より200メートル程高い所に土地を買ってあり、山小屋を建てて山歩きの拠点にしたいと思っているとか。


まなしに、その友人のS氏がご夫婦で訪れた。


一泊した後、我々の生活を見て「小屋ではもったいない。自分たちも永住しよう」と言い、数年後、定年になって本当に家を建ててしまった。




田舎暮らしをしたいと言った私の同級生も見にくると言う。


我々二人と一匹は、


不動産の所有権(自分の名義にする)と


借地権(借地の権利だけを買い地代は払うが、出る時はその借地権利を売れるシステム)


に建つ、中古物件や土地を見てまわった。


「ある意味怠け者の不動産屋さんより、詳しくなったかもしれないね」と笑いあった。


そのご夫婦も、やがて近所にやってきた。




また、家族ぐるみで付き合っている娘の同級生のお母さんが、ペットロス症候群で
しょんぼりの毎日。


たまたま京都に帰って出会った時、山の中の一年分の写真をお見せしたら、すっかり気に入ってしまった。


その場で「お父さんの退職金いくらぐらいかしら?私のは大体これくらいなんだけど」と気の早いこと。


その後、この一家も本当に、わが家の近所に家を建ててしまった。




お互い適当な距離を保ち、もしもの為に鍵を預けあい、信頼できる知り合いがご近所にいてくれる。


なんと心強く安心なことだろう。




ただ、困ったことに年賀状が行ったり来たりしていただけの人から「近頃山登りにこっているので、泊めてもらえないだろうか」などの連絡が何通も入る。


少し悪いけど、この人にだけは隠居をきめこんでいる。