山口じろうプロデュース『リアル合格体験記~医学部・難関大ブログ”一期一会”~』

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大学受験の予備校講師として英語を教えています。日常気づいたこと。英語入試情報。医歯薬獣医受験情報など書いていきます。18年の講師経験を生かした楽しい内容にしていきます。
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みなさん こんにちは。一会塾 英語科の山口です。センター試験、お疲れさまでした。

 

雪も降り寒い中、大変でしたね。思うように点が取れなかった人も多かったと思います。

本番で力を出し切ることの難しさは、誰しも経験する試練です。気持ちを切り替えて行きましょう。

成功した人ももっと点が取れた問題があったはず、気持ちを引き締めて次へ進んでください。

 

毎年取りこぼしが大きい英文法分野のポイントを解説します。

英文法は見直しておかないと、センター後すぐに始まる入試で同じ問題が出たら大変です。

今回は代名詞とイディオムの出題が目立ちましたね。

 

第2問 A

問1 イディオム 

「完璧とはほど遠い」で解答は ③far 

A is far from B 『AはBとはかけ離れている、程遠い』 Aは名詞でBは名詞でも形容詞でもOK

 perfectは形容詞なので be far fromが正解

A is different from B  『AはBとは異なる』 この場合AもBも名詞

 

問2  代名詞

「この廊下の両端」 both endsで解答は①both

both+複数名詞 でbothが正解、一方でeach, either, neitherは後ろに単数名詞が続く

 

問3 疑問詞

depend on whether 「~かどうか次第である」で解答は③whether

前置詞の後ろにくることができる節は疑問詞節(wh-)だけ。thatは前置詞の後ろには置けない。

そのうえで、whetherの後ろは完全文、what/whichの後ろは不完全文が続く

I can get a scholarship はSVOで完全文、よってwhetherが正解。

 

問4 助動詞    

「ノリコはスワヒリ語を話すことができる、マルコも話すことができる」で解答は③so

肯定文のあとにSo V S で「Sもまたそうである」

否定文のあとにNor[Neither V S] で「Sもまたそうでない」

このときcanがVの位置に使われている理由は、直前の肯定文(または否定文)を疑問文にするときに何が前に出るかによって決まる。canが含まれている文の疑問文はcanを前に出すことになる。

 

問5 代名詞 

「ジョギングを毎日やると宣言することと、それを実行することは全く別のことだ。」で解答は①another

A is one thing, but B is another.「Aは一つのこと、しかしBはまた別のこと」

同種類だが、別のことを示すのは an + other から成るanother である。

②one anotherはお互いという代名詞、③the otherは2つあるうちの、もう一つのものを示す表現だから間違い。

 

問6  不定詞 イディオム  

S is difficult[hard] to V 「Vすることは難しい」で解答は①along with

この場合、Vの動詞句は、その後ろにあるべき目的語(名詞)を書かない。なぜならSと一致しているからである。この構文を正式にはtough構文と呼ぶ。

例 The problem is difficult to solve.「その問題は解くのが難しい。」のように使う。

 get along with 人「人と仲良くやっていく」

 

問7 不定詞  イディオム   

it happens that ~ = happen to V 「たまたま~する」で①itが正解

私はこのイディオムを不定詞の表現として教えているので文法分野は不定詞としました。

 

問8 接続詞  イディオム

「道路がすいていれば」で④が正解

As far as S V 「~する範囲内で(範囲)」 as long as S V「~する限りでは(条件)」

 

問9 動詞の文型 イディオム  

give it a second thought 「それを考え直してみる(考え直してやめる)」で解答は②

takeは4文型をとるときは、「人に時間をかけさせる」の意味になるので不適切。

「考え直す」という意味ではほかに、think better of A も覚えておきたい。

 

問10 代名詞 イディオム   難問です

「後ろの列に座っている2人以外のゲストは誰も分からなかった。」正解は① 

I didn't recognize any of the guests except for the two sitting in the back row.

except(for) A 「A以外の」 rather than A 「Aというよりはむしろ」

not ~ any of X 「Xのうち何も(誰も)~しない」

not ~ either of 「Xのうち2人とも~しない」

eitherやneitherやbothなどの代名詞は2つ(2人)のうちいずれか、いずれも、2つ(2人)とも、といったように必ず2という意味がからむ。しかし、今回の場合は、「2人を除いては誰も分からなかった」と言っているので、わからなかったのは2人ではない。

問題はこちらです☟

 

 

第2問 B  整序英作文  

 

問1 仮定法過去完了

 

(Without your help, the preparations) would not have been completed by the time (all the guests arrive this afternoon.)

「あなたの助けがなかったら、すべてのゲストが今日の午後、到着するときまでに、この準備は終わらなかったでしょう。」

 

問2 関係代名詞の非制限用法

 

(Actually, he has three, the) youngest of whom is studying music in (London.

「実は彼には3人いて、そのうち一番末っ子は、ロンドンで音楽を勉強してるのよ。」

 

部分を示す名詞 of 全体を示す名詞

例えばone of the three 「その3人のうち1人」 がone of themとなり、最終的にone of whom となる。

 

問3 他動詞+代名詞+副詞 の語順

Yeah, we have to decide now whether to hold it) as planned or put it off (until some day next week.

「はい、我々はそれを予定どおりに開催するか、来週のどこかまで延期すべきかどうかもう、決めなければならない。」

 

as planned 予定されているように

例 as pointed out above 上述されているように

など as (it is) planned とit is が省略されていると考える

put A off / put off A 「Aを延期する」

put off the meetingやput off the meetingなど Aが冠詞+名詞など2語以上のときは、語順が2通りになるが、put it offのように代名詞で1語になるとput とoffの真ん中に置かねばならない。

類例

call it off 「それを中止する」 他動詞+代名詞+副詞

cut it out 「それをやめる」   他動詞+代名詞+副詞

ただし、jump off it 「そこから飛び降りる」はoffが前置詞で名詞は後ろに置く

この系統の問題では、put / cut / callは原則他動詞で他動詞の場合は後ろに目的語がくるが、jumpは自動詞なので自動詞 + 前置詞 + 目的語がくる と考えると良い。

※いずれのポイントも年間講義で再三指摘したポイントであったと思います。しっかり復習しておいてください!

 

続いて国語の解説&講評です。担当は一会塾 国語科 原田友弘 先生です。

 

【全体概観】

昨年度よりも分量が減ったので、余裕をもって解答できたと思う。

平均点は昨年よりも上がると思われる。

 

【第1問:評論】

★昨年より文章が短くなっているので、余裕をもって読めたと思う。

本文の内容自体は決して易しくない。具体例を使いながら論旨をとれたかどうか。

 

問1(標準)

ア 促進:結束・目測・補足・自足・催促

イ 健康:小康・候補・更迭・甲乙・技巧

ウ 権限:棄権・堅固・嫌疑・検証・勢力圏

エ 偏って:編集・遍歴・返却・偏差値・変調

オ 頑健:対岸・主眼・岩盤・祈願・頑強

 

問2(やや難)

5・6段落。「均衡」のキーワードで245に絞る。

4は「生態系の中で」が6段落の内容と不一致。

5はレジリエンス側の記述のほうで→「状態」ではなく「過程」なので不可。

 

問3(やや易)

「適応力を活かせるように」=9段落と一致

「環境の変化に~働く」=10段落と一致

「非常時に~果たす」=10段落と一致

 

問4(標準)

「ニーズを満たす」で234に絞る。(「要求を充足」も同義なので注意!)

本文「適応力」と選択肢「環境に応じて」が一致。

 

問5(やや難)

抽象具体型の問題。生徒の発言も(生徒B以外)参考になる。

 

問6(やや易)

表現の特徴の問題。例年通りの出題。

【第2問:小説】

★戦時中の背景であるため、読みにくさがあったかもしれない。

ただ、設問が全体的に素直なため、解きやすかったと思われる。

 

問1(標準)

アは1行後の「陽気に騒ぎ合っている」もヒント。

4では「合っている」のニュアンスがないため不可。

 

問2(標準)

傍線部に当てはめて不適切なものを消去。

5は、妻ならともかく、「妻の交友関係」ではない。

 

問3(やや易)

ここも不適切なものを選べば正解を出すことは容易。

感情のベクトルは魚芳(の将来や技術)ではない。

 

問4(やや難)

89行目の「遠慮」も視野に入れて解きたい。

顧客の歯医者にはちゃんと入っているのだから

「連絡しなかった」ことが理由ではない。よって1は消去。

 

問5(標準)

本文全体の内容をまとめる問題。行数も記載してあるので

面倒がらずにきちんと照合すれば正解するのは困難ではない。

 

問6(標準)

表現の特徴の問題。その技法が本当にその効果を表すことが

できるのか、という視点を忘れないように。

 

 

【第3問:古文】

★「鎌倉時代物語集成」所収の擬古物語からの出題。

和歌がなかったぶん、読みやすかったと思われる。

 

問1(やや易)

ア 「ゆかし」(A-094)で3か5。謙譲語がないので5の訳は不可。

イ 「やをら」(A-093)で2即答。

ウ 直後「染め出し」「常の色」など色合いに関する記述とわかれば容易。

 

問2(やや易)

敬意の対象問題。人物関係も比較的とりやすいため、解答は困難ではない。

 

 

問3(やや易)

直前「この世にてもつれづれならず、後の世はまたいと頼もしきぞかし」と

あり、現世も来世もプラスであるということをつかむ。

 

問4(標準)

28ページ最終行の「かかるめでたき御恵み」の「かかる」とは

「かたじけなく尋ね入らせ給へる」のことを指している。

 

問5(標準)

直前の「姫君に並べまほしく」に着目。姫君とセットで見たいという気持ち。

また、期待があるからこそ、去る際に人々(=女房たち)が「名残惜しく」思う。

 

問6(標準)

内容一致問題。本文全体の内容一致なので、時間はかかるかもしれないが

丁寧に選択肢を見ていけば解答は困難ではない。

 

【第4問:漢文】

★漢詩の出題にとまどったかもしれない。

漢詩の問題に触れていないと解きにくかったものと思われる。設問自体は素直である。

 

問1(標準)

アは送り仮名「モ」(逆接)に着目。二句目「理由は同じではない」との関係で出す。

イは直後の「即事罕人功」も視野に入れて解く。

 

問2(標準)

後半で判別。「非」は「~にあらず」で2か3に絞る。

一つではなくたくさんある、だから直後の「亦」につながる。

 

問3(標準)

「南江に面す」から2か3。「川の水を井戸の代わりにする」から2で確定。

容易な問題だが、新傾向で混乱しなかったかがポイント。

 

問4(やや易)

韻では窓(sou)か虹(kou)だが、「戸」との対比に気付けば「窓」で確定可能。

 

問5(やや難)

適当でないものを選ぶことに注意。その技法が本当にその効果を表すことが

できるのか、という視点を忘れないように。

 

問6(標準)

傍線部の解釈で解答可能な問題。素直に考えれば難しくない。

 

センター試験 英語【解答速報】英文法は何が出たでしょうか?

 

2020年 大学入試センター試験 英語 解答速報です。

みなさん こんにちは。センター試験の初日、お疲れさまでした。

首都圏は最後に雪が降ってしまいましたね。

 

毎年取りこぼしが大きい英文法分野のポイントを解説しますが、見るのは翌日以降にしてください!

センター試験は当日、答え合わせは禁止です。

しかし、英文法は見直しておかないと、センター後すぐに始まる入試で同じ問題が出たら大変です。

今回は代名詞とイディオムの出題が目立ちましたね。

 

第2問 A

問1 イディオム 

「完璧とはほど遠い」で解答は ③far 

A is far from B 『AはBとはかけ離れている、程遠い』 Aは名詞でBは名詞でも形容詞でもOK

 perfectは形容詞なので be far fromが正解

A is different from B  『AはBとは異なる』 この場合AもBも名詞

 

問2  代名詞

「この廊下の両端」 both endsで解答は①both

both+複数名詞 でbothが正解、一方でeach, either, neitherは後ろに単数名詞が続く

 

問3 疑問詞

depend on whether 「~かどうか次第である」で解答は③whether

前置詞の後ろにくることができる節は疑問詞節(wh-)だけ。thatは前置詞の後ろには置けない。

そのうえで、whetherの後ろは完全文、what/whichの後ろは不完全文が続く

I can get a scholarship はSVOで完全文、よってwhetherが正解。

 

問4 助動詞    

「ノリコはスワヒリ語を話すことができる、マルコも話すことができる」で解答は③so

肯定文のあとにSo V S で「Sもまたそうである」

否定文のあとにNor[Neither V S] で「Sもまたそうでない」

このときcanがVの位置に使われている理由は、直前の肯定文(または否定文)を疑問文にするときに何が前に出るかによって決まる。canが含まれている文の疑問文はcanを前に出すことになる。

 

問5 代名詞 

「ジョギングを毎日やると宣言することと、それを実行することは全く別のことだ。」で解答は①another

A is one thing, but B is another.「Aは一つのこと、しかしBはまた別のこと」

同種類だが、別のことを示すのは an + other から成るanother である。

②one anotherはお互いという代名詞、③the otherは2つあるうちの、もう一つのものを示す表現だから間違い。

 

問6  不定詞 イディオム  

S is difficult[hard] to V 「Vすることは難しい」で解答は①along with

この場合、Vの動詞句は、その後ろにあるべき目的語(名詞)を書かない。なぜならSと一致しているからである。この構文を正式にはtough構文と呼ぶ。

例 The problem is difficult to solve.「その問題は解くのが難しい。」のように使う。

 get along with 人「人と仲良くやっていく」

 

問7 不定詞  イディオム   

it happens that ~ = happen to V 「たまたま~する」で①itが正解

私はこのイディオムを不定詞の表現として教えているので文法分野は不定詞としました。

 

問8 接続詞  イディオム

「道路がすいていれば」で④が正解

As far as S V 「~する範囲内で(範囲)」 as long as S V「~する限りでは(条件)」

 

問9 動詞の文型 イディオム  

give it a second thought 「それを考え直してみる(考え直してやめる)」で解答は②

takeは4文型をとるときは、人に時間をかけさせるの意味になるので不適切。

「考え直す」という意味ではほかに、think better of A も覚えておきたい。

 

問10 代名詞 イディオム   難問です

「後ろの列に座っている2人以外のゲストは誰も分からなかった。」で解答は①

I didn't recognize any of the guests except for the two sitting in the back row.

except(for) A 「A以外の」 rather than A 「Aというよりはむしろ」

not ~ any of X 「Xのうち何も(誰も)~しない」

not ~ either of 「Xのうち2人とも~しない」

eitherやneitherやbothなどの代名詞は2つ(2人)のうちいずれか、いずれも、2つ(2人)とも、といったように必ず2という意味がからむ。しかし、今回の場合は、「2人を除いては誰も分からなかった」と言っているので、わからなかったのは2人ではない。

問題はこちらです

 

 

第2問 B  整序英作文  

 

問1 仮定法過去完了

 

(Without your help, the preparations) would not have been completed by the time (all the guests arrive this afternoon.)

「あなたの助けがなかったら、すべてのゲストが今日の午後、到着するときまでに、この準備は終わらなかったでしょう。」

 

問2 関係代名詞の非制限用法

 

(Actually, he has three, the) youngest of whom is studying music in (London.

「実は彼には3人いて、そのうち一番末っ子は、ロンドンで音楽を勉強してるのよ。」

 

部分を示す名詞 of 全体を示す名詞

例えばone of the three 「その3人のうち1人」 がone of themとなり、最終的にone of whom となる。

 

問3 他動詞+代名詞+副詞 の語順

Yeah, we have to decide now whether to hold it) as planned or put it off (until some day next week.

「はい、我々はそれを予定どおりに開催するか、来週のどこかまで延期すべきかどうかもう、決めなければならない。」

 

as planned 予定されているように

例 as pointed out above 上述されているように

など as (it is) planned とit is が省略されていると考える

put A off / put off A 「Aを延期する」

put off the meetingやput off the meetingなど Aが冠詞+名詞など2語以上のときは、語順が2通りになるが、put it offのように代名詞で1語になるとput とoffの真ん中に置かねばならない。

 

類例

call it off 「それを中止する」 他動詞+代名詞+副詞

cut it out 「それをやめる」   他動詞+代名詞+副詞

ただし、jump off it 「そこから飛び降りる」はoffが前置詞で名詞は後ろに置く

 

この問題では、put / cut / callは原則他動詞で他動詞の場合は後ろに目的語がくるが、jumpは自動詞なので自動詞 + 前置詞 + 目的語がくる と考えると良い。

※いずれのポイントも年間講義で再三指摘したポイントであったと思います。しっかり復習しておいてください!

 

問題はこちらです☟

 

 

 

一会塾MEDICAL TV を開設いたしました。

一会塾 生物科 高橋やすし

一会塾 英語科 山口じろう 

でお送りします。

医学部の出願締め切りが近づいてきております。初日を制するものは受験を制する。ぜひ初日に力が発揮できるような出願戦略を考えていきましょう。

詳しくはこちらです。

 

1月21日は国際医療福祉大 VS 愛知医科大

 

 

『医歯薬進学』の表紙&巻頭特集に一会塾が選ばれました。広告なしで16ページの特集が組まれます。

医歯薬進学は1976年創刊の日本で唯一の医系情報誌になります。
書店、配布合わせて月刊発行部数30,000部。

未来の医療人を創る を合言葉にいままで様々な医師・医大・医系大の特集が組まれてきました。

取材が行われたのは、一会塾MEDICAL 恵比寿校です。

当日は、14名の一会塾卒塾生と代表インタビューそして3名の講師の先生への取材が行われました。

カメラマンの方や、取材班の方など7~8名の方の協力のもと、半日をかけて取材が行われました。

取材班の方が、一番驚かれたのが、壁に貼られた塾生の言葉『来年はここにいない』でした。

取材の記事は希望の方へはプレゼントしております。資料請求画面の備考欄のその趣旨お書きください。発売は1/12全国有名書店で発売されます。

・一会塾特集の内容

1)代表インタビュー

 ・一会塾代表 山口じろう

 ・医学部合格保証とは

 ・講師採用確率はわずか5/180人

 ・2次試験対策での見だしなみ講座とは

2)講師からのメッセージ

 ・生物科 高橋やすし

 ・数学科 川浦祐介

 ・志望理由&面接 高橋優子

3)医大生の今(座談会)

 ・国立と私立合格したらどっちに行く?

  【筑波大 宮嶋さん / 岐阜大 森さん / 東京慈恵会医科大 大鹿さん / 順天堂大 山本さん】

 ・女子差別について思うこと

    【岐阜大 森さん / 東京慈恵会医科大 近津さん 大鹿さん】

 ・再受験の合格ポイント

    【北里大 細川さん 24歳 /都内名門医科大 田中さん 40歳】

 ・多浪受験の乗り切り方

  【日本大堀越さん 4浪 / 国際医療福祉大 平田さん 3浪 / 益戸さん 3浪】 

 ・獣医の受かり方

    【日本獣医生命科学大 北澤さん / 日本大学 生物資源学部 獣医 和田さん】

4)Pick up information 合格保証で見事合格インタビュー

 ・帝京大学 医学部 町井さん

 ・久留米大学 医学部 福岡県特別枠 推薦合格 Nさん

12/22日 昨日は、神奈川大学【給費生試験】が実施されました。

 

受験されたみなさま、大変お疲れさまでした。初めての本番の入試となった方も多いのではないかと想像されます。模試と本番ではやはり、緊張感が違いますね。

参考までに英語の解答を作成しましたので、復習に役立ててください。

今日も自習室等でがんばってください。

 

 

 

中山さん 慶應義塾大学  経済学部3年

 

慶應の魅力は、やりたいことがあれば、色々チャレンジできる環境があるところ。

今は野球部に起業サークル、国際的サークルと、充実した日々を過ごしています。

来年は1年間の交換留学で、フランスのビジネススクールへ。

 

【中山さん その他の合格大学】

横浜国立大学 経営学部 

上智大学 経済学部 経済学科

立教大学 経済学部 経済政策学科

 

インタビュアー:山口(英語科スタッフ)

中山くんは行動力のある生徒でした。計画を立てて実行する力強さがありました。また授業の前後で熱心に講師に質問をして、創意工夫と行動力を持っていました。一会塾の環境、人材をフルに活用くれていましたね。

(山口) じゃあ、中山君、昔のことを思い出してほしいんですけど、小学校のときって塾に行きましたか。

 

(中山) 行っていました。中学受験をしたので。

 

(山口) どこに行ったんですか。

 

(中山) 小5まで千葉にいて、千葉の個人塾みたいなところで、小6は創研学院。

 

(山口) 武蔵小杉の。

 

(中山) はい。そこに行っていました。

 

(山口) じゃあ、地元が武蔵小杉だったんですね。

 

(中山) 平間なので、2駅ぐらいだったので。

 

(山口) 今も実家が平間。

 

(中山) 今も平間です。

 

(山口) 今、平間から学校に行っているんですね。

 

(中山) はい。あんまり学校には行っていないんですけど。

 

(山口) あんまり行かなくていいもんね。中学受験のときに創研学院に行って、それで中高一貫に入って。中学校の正式名称、何でしたっけ。

 

(中山) 桐光学園高等学校です。

 

(山口) 桐蔭の姉妹校。

 

(中山) そうです。

 

(山口) 場所はどこでしたっけ、桐光は。

 

(中山) 栗平という田舎の駅なんですけど、新百合ケ丘とか、そっちの方です。

 

(山口) 中学受験って、すごく頑張ったんですか。

 

(中山) 中学受験は全然頑張っていなくて。1月まで野球をやっていたし、毎日授業が終わったら友達とサッカーをしていて、塾は行って宿題の答えを写すみたいな、そういう感じだったので、全然頑張った記憶はないです。

 

(山口) じゃあ、めっちゃ行きたい難しいところを受けたというよりかは、その流れで行けるところを受けたという感じ。

 

(中山) もともとは早稲田に行きたかったんですけど、勉強をしていないのでそれは行けなくて。法政に一応行きたいと言っていて、だけど桐光を受けたら受かって、法政も受かって、どうしようかって思ったら、別に法政にめっちゃ行きたかったわけではなかったので、親とかの意見もあって。

 

(山口) 受験を考えれば桐光の方がいいんじゃないって。

 

(中山) そうですね。小学生なので、うまく言いくるめられて桐光に行きました。

 

(山口) でも結果的に良かったよね。

 

(中山) 当たりですね、結果的には。

 

(山口) 小学校の時は、勉強しなかったと。

 

(中山) 全然しなかったです。

 

(山口) 桐光中学ではどうでしたか。

 

(中山) 中学も勉強しなかったです。中高一貫なので、中学の時はみんな勉強しないんですよ。定期テストとか、あとは中3で特進クラスというのがあったので、それに入るためにちょっとテストを頑張ったりとかはしていたんですけど、基本的には本当にテストの2週間前から勉強するとか。あとは高校進学のときに入試と同じものを受けさせられて、それでクラス分けがあるので、高校の。それを2週間前からやるという、そのレベルで、あとは部活とかを。

 

 

 

(山口) それで中3まで流れで行ったと。

 

(中山) はい。

 

(山口) その後高校に入って、一会塾を。あっ、色々行っていたね、確か。

 

(中山) そうですね。塾自体、入ったのはここだけなんですけど。結構色々見ていて、高3から塾に入っていいよって親に言われていたんですけど、僕自身はそんなに授業とか受けてもなぁみたいな感じだったので、何だろう。

 

(山口) 勉強できる場所とか、聞ける人がいるかとか。

 

(中山) 色々行ってはみたものの、ぱっとしなくて、それで一会塾に来たら、すごい先生たちが多くて、質問とかもしていいよみたいな感じが良くて。お金的にも他とそんなに変わらないか、むしろ安いかなぐらいの感じだったので、入ろうと思いました。

 

(山口) 入塾したのって高2の冬とかだっけ。

 

(中山) 高3の4月だと思います。

 

(山口) 単科だったっけな。1科目だったっけ。

 

(中山) そうです。佐々木さん。

 

(山口) 佐々木先生の英語だったね。

 

(中山) 英語だけしかやっていないです。

 

(山口) それで自由英作文とかを、いろいろ鍋谷先生に見てもらったりしてね。

 

英語科 鍋谷先生

 

(山口) じゃあ、高校3年間を振り返って、どこから勉強し始めたという認識ですか。

 

(中山) 高校の時は、めちゃめちゃ部活が大変だったので。

 

(山口) ハンドボール部ね。

 

(中山) はい。スポーツ推薦で入った生徒がいるぐらい大変な部活で。1年生の時から、一応特進クラスに生き残るために、朝1時間と夜1時間って勉強していたんですけど、それでも夜とか疲れて全然勉強にならないし、朝1時間ぐらいしてもそんなに伸びない、という感じがずっと続いていて、2年の2月ぐらいからちゃんと受験勉強始めた感じですね。

 

(山口) 高2の終わりか。じゃあ、高3になる手前ね。じゃあ、そんなに勉強していなかったんだね。

 

(中山) そうですね。

 

(山口) その割にはってごめんね。成績よかったじゃん、模試とか。

 

(中山) あれはたぶんトリックみたいな感じで。トリックというか、高2のあの時期の模試ってすごい簡単じゃないですか。別に勉強ができてというわけじゃなく、たまたま取れていいやつがあって、それを見せびらかしていたら、塾とかが優しくしてくれた。(笑)

 

(山口) ちやほやしてくれたみたいな記憶。上手だね、持っていき方が。

 

(中山) そんな感じです。高校生の時はさすがに勉強のモチベーションはちゃんとあったんですけど、単純に部活との兼ね合いで上手くいっていなかった認識があって、高2の終わりぐらいからちゃんと。

 

(山口) じゃあ、ハンドボールを相当やったということなんだね。

 

(中山) そうですね。高校は、かなり大変でした。

 

(山口) ポジションは、どこ。

 

(中山) キーパーでした。

 

(山口) キーパーだったんだ。じゃあ、めっちゃ重要な、欠かせないポジションだったんだね。

 

(山口) 受験で、社会は世界史だったっけ。

 

(中山) 世界史です。

 

(山口) お薦めの勉強法を語れる科目ってありますか。

 

(中山) お薦めの勉強法ですか。英語かな。

 

(山口) 英単語の覚え方。

 

(中山) 英単語の覚え方ですか。

 

(山口) どういうふうにやっていたの。

 

(中山) 僕は鉄壁を使っていたんですよ。鉄壁のCDを買って、一番最初の数カ月は、ひたすらCDを流して、あれは50セクションぐらいあるんですけど、1日6セクションずつぐらい赤シートで隠しながら、日本語を言った後、英語を言ってくれるので、日本語のあと英語を予測して、それをぱっと開くみたいなのを、CDを止めずに6セクション分やると、だいたいそれで確か1時間なんですよ。1セクション10分ぐらいなので、CDが。なので、電車とかで眠くても、強制的に最後までいくということを1日6セクション、同じやつを2周やっていて、それを電車の行き帰りでちょうどできるぐらいなので

 

 

(山口) それって学校の授業は関係ない、自分の勉強としてやっていたの。

 

(中山) そうですね。

 

(山口) 受験勉強で。

 

(中山) 受験勉強として。学校のやつはキクタンのアドバンス6000みたいなやつを使っていたので、それとは別でやっていて。それを50セクション分とか、どんどんやっていって、それに結構2~3カ月かけましたね、何周もしたので。その後にそれぞれ1個ずつ、一番後ろの索引のところで英単語を見て、日本語は何かみたいなやつを当てて、できなかったところは黄色いマーカーを引いて。携帯の単語帳を作れるアプリがあるじゃないですか。それに、その黄色マーカーを引いた単語を全部打ち込んで、できなかった集みたいな感じで、それをトイレとか色々なところで。

 

(山口) 何のアプリだろうね。どんどんアプリって進化するからね。

 

(中山) 同じタイプの単語帳アプリが沢山あるので、何でもいいと思いますけど。僕は結構携帯を見ちゃうので、携帯を見ちゃった時に、見たら単語帳を開かないといけないという習慣になって勉強ができたので、強制力がありました。

 

(山口) 自分の学部、志望ってどうやって決めたの。

 

(中山) 僕はもともとは一橋の商学部に行きたかったんです。ビジネスとかは祖父の影響とか、父もビジネス系なので興味があって、面白そうだなと思っていて。あと、数学も好きだったので、結局最後は使わなかったんですけど、理系に行こうと思ったこともあったぐらい。

 

(山口) ちょっと待って、慶應の経済って数学を使わずに入ったの。

 

(中山) A・Bで選べて、使わない方で入ったんですよ。慶應の経済だけ数学を使わなくて、あとは全部使ったんですけど、結局使わなかったところに行くという。

 

(山口) 使ったところで、うまくいったところもあるんでしょう。

 

(中山) 上智とか、あとは横国とか。

 

(山口) 受かったもんね。

 

(中山) はい。そこら辺は使って。

 

(山口) 中山君が受かったところ、忘れちゃったよ。横国。

 

(中山) 横国後期と経営と、上智の経済・経済。

 

(山口) 上智の経済(学部)・経済(学科)。

 

(中山) あんまり受けていなかったので、センター利用が立教の経済。経済政策みたいな感じですね。

 

(山口) 横国の後期で受けたの。

 

(中山) はい。

 

(山口) 前期は出さなかったの。

 

(中山) 前期は一橋だったので。

 

(山口) 後期の経営か。

 

(中山) その時はもう慶應に行くことは決まっていたんですけど、学校からは受けてくれという要望があって。学部で言うと、慶應の商と経済両方受けて、結局商が補欠だったので、何とも言えないんですけど、両方受かったとしてもたぶん経済に行ってました。それはわりと評判的なところが大きいですね。社会的な評判みたいな。

 

(山口) 中身よりはね。

 

(中山) 正直高校生のとき、経済と商の違いってあんまりよく分からないじゃないですか。とりあえず数学が使えてビジネス系で、違いはよく分からないけど商と経済を受けたという感じです。(笑)

 

(山口) 商は補欠ね。

 

(中山) 慶應の商は、2点足りなかったんです。

 

(山口) 成績開示したということ。

 

(中山) 成績開示というか、あれで分かるんですよ。落ちたランクで、何点足りなかったというのが。

 

(山口) 補欠の何番みたいな感じで、分かったということか。じゃあ、数学を生かして受かったところは・・

 

(中山) 上智と横国。あとセンターは、すごいやっていたので。

 

(山口) センターは、いくつか受かっていると。

 

(中山) センター自体、ほぼ出していなかったので。

 

(山口) 数学受験の強みがあるよね。ちょっと大学の話なんですけど、大学では野球。準体育会の野球部。名前ってあるんですか。

 

(中山) リコタイ(理工体)、体育会矢上部という名称が付いています。

 

(山口) 体育会矢上部野球部。

 

(中山) 軟式野球部。

 

(山口) 慶応の魅力ってどういうところですか?

 

(中山) サークルで言うと、僕は野球部と、あと東大の起業サークルに入っていて、今は結構でかい国際系のサークルにも入ったりしていて、色々なことをやってます。そういう色々なことができるのが慶應で、授業はすごい楽というか、出席とかもあんまり厳しくないので、テストだけできれば単位が取れるという感じだから。自分がやりたいことがあれば何でもチャレンジできる、そんな環境はあります。授業に縛られてインターンができないとか、部活ができないとか、そういうのは無くは無いですけど、比較的無い方だと思いますね。あとは、無駄に社会的評判がいいという。

 

(山口) 無駄ってどういう意味(笑)。

 

(中山) 大学入試で入ったのって、そんなに変わらないじゃないですか。慶應経済に受かった人も、他大学の経済に受かった人も、そこまで大差はないと思うんですけど、慶應経済と言っただけで、すごい周りからの評価が違う。

 

(山口) 非常に高いみたいなことを感じることがある。

 

(中山) ありますね。就活とか特に感じることが多いです。

 

(山口) 就活やっているの、もう。

 

(中山) ちょくちょくやっていますね。いったん休学するので、1年送らせるんですけど。

 

(山口) そうか、休学するのか。留学に至った経緯は何だっけ。

 

(中山) 留学は、もともと高校の時から興味があったんですけど、わりとノリで(笑)、TOEFLも勉強をほぼしなくて受けたら、一応基準は超えちゃって、GPAとかも一応ゼミとかの単位を取っていて、世界3位ぐらいのビジネススクールが、その基準で行けるというので。僕、大学に入るときに浪人をするかちょっと迷っていたんです。一橋をもう1回狙うかって。だけどその1年を別のことに使いたいと思ったので、そこはちゃんと現役で入って、それでその1年間を上手く使って留学に行こうと。

 

 

(山口) 大学はどこで選定したんでしたっけ。留学センターか何かあるんでしたっけ。

 

(中山) そうですね。国際センターみたいなものがあって、2年の10月ぐらいから選考が。アメリカとかだともうちょっと早いと思うんですけど、僕は11月とか12月とか、それぐらいです。決まったのは本当に4月1日ですね、今年の。

 

(山口) 選定はどうやって、フランスに。

 

(中山) 僕はフランス語とかまったく分からないので、フランスに行きたかったわけじゃないんですけど、たまたま世界のビジネススクールランキングにハーバード、インシアードとかあって、HEC経営大学院というのが3位にあって。

 

(山口) ハーバード、インシアード、HEC経営大学院。

 

(中山) インシアードとHEC経営大学院はフランスにあります。2017年ぐらいのランキングであって、ハーバードとインシアードは、ほかと提携していなかったので、そのまま修士生に行けるんだったら面白いかなという。あと、僕は高校の時からあんまり授業は意味がないと自分で思っていたんですけど、そこは最大30人みたいな感じで、社会人でMBAを取りに来ている人達と一緒にディスカッションをすることも多いみたいで。

 

(山口) ここは大学院なの?

 

(中山) ビジネススクールです。大学院と同じなんですけど。

 

(山口) ビジネススクールが、大学院と同じ扱いなんだ。

 

(中山) 基本的にはそうだと思います。僕が行くところは一番若くて20歳ですね。フランスとかだと、制度がちょっと日本と違うので。

 

(山口) 根性あるね。じゃあ、フランス語を勉強しつつやろうとしているわけ。

 

(中山) 大学は英語です。留学生が多いので。

 

(山口) 大学は英語なんだね。

 

(中山) 一応フランス語の授業も、あるのはあるんですけど。

 

(山口) MBAは取れないでしょう。

 

(中山) MBAは取れないです。交換なので、取れないです。

 

(山口) 交換留学で1年の予定。

 

(中山) はい。

 

(山口) フランスか、一度は行かなきゃなあ。

 

(中山) ぜひ来てください。

 

(山口) 今日はありがとうございました。

 

(中山) ありがとうございました。

 

石井孝房さん 信州大学医学部(県立多摩高校卒)

 

“受験は、正直ずっときつかった。だけど、受験を通して培ったメンタリティのお陰で、今も、これからも続いていく勉強に上手く向き合えるようになり、受験やってきて良かったです。医学部は、変な人のパーセンテージがダントツに高いコミュニティ(笑)本当に色んな人がいて面白いです。あと信州大医学部の1人暮らし率は97%。長野県は広くて通えないのでみな下宿なんですよ。今は精神科の勉強に興味がわいています”

 

【石井くん その他の合格大学】

東京慈恵会医科大 医学部 正規合格

東京医科大 医学部 特待生合格

早稲田大 生命理工 生命医科

早稲田大 人間科学部

明治大学 農学部 給費生合格

 

 インタビュアー:山口(英語科スタッフ)

 

石井くんは、ウルトラマンみたいにいつも夕方の5時にカラータイマーが切れていました。5時以降は集中して勉強できないので自分は5時までが勝負なんだと。本当に合格したくて毎日、神社に朝言って今日の勉強が1日集中できますようにってお祈りしてから塾に来てるって聞いたときは、本当にあっぱれと思った。それだけに合格の瞬間は2人で抱き合って喜んだね笑”

 

 

(山口) 昔の話からいこうと思いますが、石井君は他の予備校で1浪したんですよね。

 

(石井) そうです。

 

(山口) 当時はちょっと体調面で不安があって、今はもうそれは完璧?

 

(石井) 全然です。もう体は弱いままです。

 

(山口) じゃあ、今勉強も前と同じような時間帯で。

 

(石井) そうですね。それこそずっと、この3カ月はテスト期間だったので。でも1日6時間ぐらいしかやっていないです。暗記の方が体力を使うので、6時間やったらもうお腹一杯です。

 

(山口) でも石井君の場合、選択と集中みたいな感じで。

 

(石井) そうですね。

 

 

(山口) 決めたことは、がーっとやるタイプだったもんね。

 

(石井) はい。あんまりこういうのもよくないと思うんですけど、コスパ重視で、費用対効果も時間対効果も一番高まるようにやっています。

 

(山口) 多摩高校を受けた時は、塾に通っていたの。

 

(石井) 塾は通っていました。栄光ゼミナールに行っていました。

 

(山口) 元住吉校。

 

(石井) そうです。

 

(山口) あらゆるところにありそうだね。

 

(石井) そうですね。

 

 

(山口) めっちゃ勉強した?

 

(石井) 結構やっていました。普通に7~8時間とかやっていましたね。偏差値的に言うと高校受験と大学受験の時で一緒ぐらいです、。

 

(山口) 多摩高では学校生活を楽しんで、合唱部で、あっという間に3年を迎えちゃったと。

 

(石井) そうです。

 

(山口) 志望校も医学部というわけじゃなくて、理系。

 

(石井) 薬学だったんです。

 

(山口) そうだね、薬学だったね。浪人した時も薬学を目指していたんだね。

 

(石井) 最初はそうでした。最初は医学部にしようか、薬学部にしようかなぐらいで1浪目の7月ぐらいまできて、ここまできたら医学部かという感じですね。

 

(山口) 1浪目が終わった段階で医学部は、千葉医だけ受けていたっけ。

 

(石井) はい。たぶん受からないなという実感があって、今入れるところに入ってもいいけど、ちょっと後悔が残るというか、これは勉強したらまだ伸びるぞという実感が、すごくあって。

 

(山口) 確信犯的に浪人したという感じ。

 

(石井) そうです。2浪目もそうですね。(笑)

 

(山口) 2浪目で重要視したのはコスパでしょう。コスパは、どうなんだろうね。

 

(石井) 余白がほとんど無かったというか、休むにしても明日勉強できるようにする為に休んでいただけなので、もう勉強以外無かった。

 

(山口) ぐらい、やっていたということ。

 

(信州大学へお邪魔しました)

 

(石井) はい。体を動かさないと体調が悪くなるので、近くのスポーツジムに通ったりとか、あとはこれ以上勉強すると、明日頭が動かなくなるからこれでやめて早く寝ようという感じ。

 

(山口) なるほど、面白いね。じゃあ、勉強することが最高の効率になるような感じで。

 

(石井) そうですね。

 

(山口) わざと、ここまでで今日はやめる、という。

 

(石井) 勉強するために休んでいるところがあって、ずっと緊張の糸がほぐれなかったので、ちょっとやりすぎていたのかなというのはあるんですけど。

 

(紅葉がきれいなキャンパスでした)

 

 

(山口) それで夏ぐらいに、どこか旅行に行っていたよね。

 

(石井) そうです。四国の自然に触れに行ったんです。

 

(山口) たしか石井くん、受験のプレッシャーで思い詰めてしまって・・・。

 

(石井) そうです。

 

(山口) 限界だと思って、先生ちょっと話があります、ちょっと行ってきていいですか、って言ってね。(笑)それでリフレッシュできたんだね。

 

(石井) リフレッシュできたのはできたんですけど、でも結局勉強しないと不安になって、その不安は勉強しないと取り除けないので、休むよりかは勉強した方がいいなと思ったんです。

 

(山口) 旅行に行きながら、そういう結論に達したんだ。

 

(石井) そうなんです。

 

(山口) 悟ったんだね。

 

(石井) 結局きついからって逃げたらジリ貧になるので、やって成績が上がった方が楽になったんですけど、きついはきつい、と感じることはずっとありました。

 

(山口) 後半よく言っていたのが、俺はもう次の年度は無理だから、絶対今年は決めたいということだったよね。

 

(石井) 実はもう夏前に限界だったんですよ。6月ぐらいで限界を迎えてからの半年以上だったので。

 

(山口) まだまだ続くんだ、しんどいな、と思いながら。

 

(石井) そうなんです。はたと気付いた時があるんですよ。元気の貯金が底を突いた瞬間が来たんです、ある日。それが6月ぐらいだったんです。だけどやめるわけにいかないので、そこから借金に入るんですよ。借金でどんどん寿命を食いつぶしている感じというか、どんどん辛くなってきて、それが受験が終わっても借金が積み上がったままで、しばらくきつかったです。たぶん燃え尽き症候群かなとは思うんですけど。

 

(信州大学の学食で)

 

 

(山口) でもパワーを増しているような気がするよ、今。

 

(石井) 本当ですか。

 

(山口) そういうメンタルトレーニングとか、コンディションを調整するのは、少しは上手になった。

 

(石井) なっていますね。いかに楽にというようには考えています。

 

(山口) それはやっぱり受験を通して培った部分はあるね。

 

(石井) そうですね。やっぱりやってよかったなと。今も、それこそ3カ月間ずっとテスト期間みたいなのが続いて、俺、上半期に23個ぐらい試験を受けたんですよ。

 

(山口) すごい数だね。

 

(石井) そうすると、月水金とそれぞれ試験があって、試験が終わったら次の日の試験準備をして、1~2日ぐらいで整えてというふうになるので、それこそメンタルトレーニングだったり、持っていき方だとか、これ以上やったらちょっとやばいなというのは、やっぱり受験期に培われたところはあるので、やって良かったなというのはあります。どう考えても、これからずっと勉強なので、勉強の基礎というか、ひな型というか、やり方を学べたのは良かったかなと思っています。

(大学のとなりにある信州大学付属病院)

 

 

(山口) ではちょっと大学の話を聞こうと思いますが、信州大学の魅力ってどんなところですか。

 

(石井) 一人暮らしが97%ぐらいなので。

 

(山口) すごいね。

 

(石井) そうなんです。たぶん、そういうところはないんじゃないかなと思うんですよ。

 (大学病院の食堂でお昼をいただきました)

 

 

(山口) 何で、地元が少ないのかな。

 

(石井) 地元は3割いるんです。でも長野県は広いので、通えないんです。学校から歩いて10分、20分ぐらいのところに松本深志高校があるんですけど、そこに通っていた人ぐらいしか自宅生じゃないです。

 

(山口) そんなに確率が低いわけだ。

 

(石井) そうなんです。そこに通っていた人たちも諏訪湖から、諏訪という駅から電車で1~2時間ぐらいかけてきたというような人もいるので、そうするとその人たちは下宿になるので。

 

(山口) 一人暮らし率が、ダントツ高い大学であると。

 

(シンポジウムやサークル活動も盛んでした)

 

 

(石井) そうなんです。そうすると家族に近くなるんですよ、友達が。飯も一緒に食いますし、それぞれ自分の家があるから家には帰るんですけど、でも本当に寝に帰るだけみたいな。あとはずっと一緒にいたりするので、良くも悪くも相手のことがよくわかって、あいつあんなやつだとは思わなかった、ということにはほぼならないですね。

 

(山口) 97%というのは、医学部に限ったわけじゃないの。

 

(石井) 他の学部でも多いです。たぶん90%は超えています、一人暮らしは。

 

(山口) 特に医学部は、ほとんど下宿であると。

 

(石井) そうです。

 

(山口) 男女比って分かる。

 

(石井) 男女比は2対1です。男が2。120と60ぐらいなので。たぶん毎年そんなに変わっていないかなと。

 

(山口) 最高年齢って分かる?医学部の学生で。

 

(石井) 僕らの代で、1人42歳がいます。

 

(山口) すごいね。

 

(石井) すごいです。よく詰め込めるなと。

 

(山口) すごい、尊敬するね。信州医学部の卒業生の就職先は、やはりほとんど信州っぽいですか。

 

 

(石井) 大まかでしかないんですけど、長野が半分を超えます。あとは全国に散らばって行くんですけど、多いのは名古屋、大阪、あとは東京、首都圏になります。東京から行って長野に残る人もいれば、長野出身の子で、ちょっと一度東京へという人もいます。

 

(山口) じゃあ、わりと開かれているというか、いろいろなところに行くんだね。

 

(石井) そうですね。

 

(山口) 専門の科というのは、いくつかイメージがわいてきていますか。全然ですか。

 

(石井) ぼちぼちぐらいですかね。一応座学は終わったという段階なので。

 

(山口) 現時点で、何に興味があるんですか。

 

(石井) 内科系統か、あとは精神科をやって面白かったです。

 

(山口) 診療科を一通りやるんだ。その中に精神科もあると。

 

(石井) はい。精神科の授業は結構面白かったです。

 

(山口) それは人によると思うんですけど。

 

(石井) と思います。(笑)

 

(山口) どんな勉強をしたんですか。犯罪?

 

(石井) 大まかな代表的な疾患を。これにはこういうのがあって、というような。

 

(山口) 統合失調症とか。

 

(石井) そうですね。社会への適応が困難になっている患者さん達の話を聞いたりとか。

種類も強度も様々あって。

 

(山口) それこそ色んな症例があるわけですね。

 

(石井) そうなんです。少し変な言い方かもしれないですが、そこに興味を抱けるかどうかが、やっぱり向いているか、向いていないかということなんだと思います。

 

(山口) 興味がわかないと調べないだろうしね。

 

(石井) そうですね。そういう点でも、やっぱり医学部は、僕が今までいたコミュニティーの中で一番変わった人たちが多いコミュニティーだなと思いますね。

 

(山口) 今、自分がそう感じるの?(笑)

 

(石井) そうですね。それこそ中学校とか高校とか、一会塾もそうですけど、ぱっと人が集まった時に、変な人のパーセンテージが多いのは、間違いなく医学部です。

 

(山口) それは自分も入っているんですか。

 

(石井) 入っていますね(笑)。それはそうです。変わっていないと、やっぱりできないですね。

 

(山口) 面白すぎる。

 

(石井) 面白いです。色々な人がいます、本当に。

 

(山口) 精神科の話に戻るんですけど、遺伝で起こるのか、学習した後に精神が病むのか、それって分からない。

 

(石井) 色々なパターンがあります。

 

(山口) そうだよね。色々なパターンがね。

 

(石井) 遺伝でなる場合もあるんですけど、もともと持っている性格ってあるじゃないですか。それが遺伝なのか後天的なのかも判断が難しいですし、真面目だったり完璧主義な人とかは、やっぱりなりやすいというのはあります。うつとか。僕もいつなるか分からないですけど。

 

(山口) 聞きながら自分に当てはまるかなと思ったら、より一層興味がわく。

 

(石井) とかもありますね。あとはADHDの話を聞いたりするんですけど。

 

(山口) 注意欠陥多動性障害。

 

(石井) じっとしていられない障害なんですけど、そういう人はいっぱいいます。

 

(山口) 医学部に。

 

(石井) います。

 

(山口) あれは多動性障害かもしれないみたいな。

 

(石井) どの面が出るかは人によって個人差があるんですけど。じっとできないけど勉強はめっちゃできる、という人とか。そうすると、あいつは人の話も聞かないし、絶対ADHDだなみたいな(笑)。いるんですよ。ばーっと自分の言いたいことだけしゃべって、ぷいっといなくなって、あいつ何なんだみたいな。

 

(山口) 色んな出会いや発見があって、毎日楽しそうだね、大学。

 

(石井) そうですね。結構面白いですね。

 

(山口) 人間の集まり、いろいろな特徴を持った人たちがいっぱい集まっているんだね。

 

(石井) そうですね。

 

(山口) 元気に楽しくやっているみたいで、本当に良かったです。

今日はありがとうございました。

 

(石井)ありがとうございました。

(最後に合格の瞬間です)

男鹿遼河くん 星薬科大学合格(住吉高校卒)

 

 

インタビュー:尾関

(尾関) 大学はどうですか?

 

(男鹿) めちゃくちゃ楽しくて、全然ストレスなく通っている感じです。

 

(尾関) 勉強の方は。

 

(男鹿) 思ったよりも、数学をやらせてくれないんだという感じで8割、9割は化学なんじゃないかな。あと化学は有機化学が中心なんだなというのは聞いていたけど、めちゃくちゃメインですね。

 

薬学部を目指した理由は?

 

結構めちゃくちゃ最初はしょうもない理由で、小さいときは体が弱くて、風邪でも引くと40度ぐらい熱出したりしてたんですよ。それでよく病院とかに行っている子だったんです。だから病院の前の薬局にもいつも行っていて、そこの人たちを見ていたら、これはめちゃくちゃ簡単な仕事をしているんじゃないかと思って。最初はですよ。こんなのお医者さんが書いた紙を棚から出すだけみたいに最初は思っていました。

お父さんもよく薬を飲んでいたしおばあちゃんもいたので、わりと薬は身近だったかなと思います。

 

何故か小学生の時に、薬が入っているぷちっと押し出すやつの空を集めていて、がちゃがちゃのカプセルに詰め込んでたりしました。本当に意味が分からないんですけど。

 

とにかく薬は身近な存在でした。

 

星薬科に決めたのはオープンキャンパスでの出来事が大きかったかなー。キャンパスツアーの大学生がすごく良い人だったんですよ。

他の大学のオープンキャンパスの大学生は相手をしてくれないみたいな、しょせんバイトだみたいな感じがしたんですけど、星薬科の大学生は本当にめちゃくちゃいい人で、最近勉強を始めたばかりなんですけど、全然受かる気がしないんですみたいなことを言ったら、いろいろ相談に乗ってくれたりして、すごく信じられないぐらい親身になって相談に乗ってくれて。それですかね、一番の決め手は。

 

一会塾を選んだ理由は?

 

最初はとにかく有名なところに入ればいいかと思ってました。有名なところというか、聞いたことがあるところに通いたいみたいな。近くに大手の映像授業の予備校があるじゃないですか。そこに電話したんですよ。そうしたら、住吉高校で今から入る、勉強も特にしたことがないの、うーん、ちょっと入れられないですねみたいになって、この時期からはちょっと厳しいですみたいな。ちょっと粘ったんですけど7月からはもう本当にだめですねみたいに言われて、本当に絶望したんですよ。受験ってそんな感じなんだ、予備校ってそういうとこなんだって思った。

 

そうしたらネットでお父さんが一会塾を見つけて、ここは薬学部、医学部みたいに書いてあるぞって言ったから、それなら行ってみようかなって思って、電話もしないで急にお母さんと行ったんです。もともと自分は大人と打ち解けるのがあんまり得意じゃないと思うんです。だからどうせ通うなら塾の先生も少人数のところがいいかなと。あまりたくさんの大人と喋らなくていいみたいな。でも結局少人数なんで面倒見がよかったなって本当に思っています。勉強はもちろんなんですけど、授業は好きだし、高橋優子先生の面接対策とかあったじゃないですか。あれは本当に正直最初はかんべんしてくれみたいに思っていたんですよ。でも、どうにかしてその子のいいところを考えてくれるじゃないですか。一生懸命見つけていってくれるみたいな。それもかなりよかったと思っています。

 

 

どんな高校生でしたか?

高校生の時はかなり何もしていなかったです。

部活も1年の5月ぐらいまでバスケ部にいたんですけど、すごい早さで第1号で辞めました。

高3になって一応勉強はしてたんだけど、公募推薦を落ちたあたりで、やっぱりちょっとこれは無理だなと思っちゃって心が折れたというか、そこから減った気がする。最終的に1つだけ薬学部に合格できたんだけどやっぱり行きたくなくて浪人決めました。

(一会塾 同期の受験生たち、右前に男鹿くん)

 

どうやって成績を伸ばしました?

 

英語は現役のとき、本当に全然伸びなかったという感じだったんですけど、浪人決めた3月ぐらいに、英語だけはとにかくやっていこうと思って、単語はずっと毎日やるし、ビデオとかもやるし、家に帰ってから授業でやった長文とかを読み直してみたりとか。最初に英語をやるようにしていた気がします。それでだんだん意外と上がってきていると思って、結局8割ぐらいは取れるようになったのかな。最初は本当に3割とかでしたけど。

 

(尾関) 中学の英語からやり直したと。

 

(男鹿) あれは3月ですね。スタッフの関(せき)さんと相談をして、最初からやり直した方がいいんじゃないってなって。

 

(スタッフ:化学科 関)

 

(尾関) 抵抗したらしいじゃない。

 

(男鹿) 抵抗したというか、やっぱり最初は中学をやるみたいな、俺をなめるな、18歳だぞみたいな、浪人しているんだからみたいな、あるじゃないですか。さすがに中学からは恥ずかしいと思っていたんですけど、やっぱりやり始めると、こんなのあったっけみたいなのがいくらでも出てきて、入るわ入るわ、頭に。結局2周やりました。

 

(尾関) 間違えたところに付箋つけてましたよね。

 

(男鹿) あれ、付箋の意味ないですからね。ほぼすべてのページに張ってあるので。

 

(尾関) それでちょっと開けた感じがした。

 

(男鹿) そうですね。やっぱり自分の弱さにちゃんと向き合うのは大事だと思いましたね。あのときは、本当に。

 

(尾関) 英語はそういう感じで3月からやって。数学は順調にというか、普通に伸びたの。

 

(男鹿) そうですね。とにかく疑問に思ったことを本当に考えました、いろいろ。分からなかったら聞きに行ったり。

 

(尾関) 化学の伸びはいつぐらいから実感したの。

 

(男鹿) 実感は浪人するときに、現役のときに基礎問題精講って使っていたんですけど、背伸びしてやろうと思って標準問題精講というやつにしたんですけど、今でも正直オーバーワークだなとは思っているんですけど、模試では本当に取れるようになって、考えさせる問題というか、すごい長文で問題だけでも、うわっ、みたいな。こんなの解けるわけがないだろうって最初は思っているのに、考えに考え抜いていたら、だんだん初見の長文の問題でも、最後まで考え抜く力的なものが養われた気がして、それは本当に化学だけじゃなくて英語とか数学にも、何か生きている気がしていますね。

 

あとは当たり前ですけど、本当に川原先生の授業がだいぶん好きで、予習もするし、復習もするしみたいな、当たり前ですけど。川原先生も結構褒めてくれるタイプだったので、できると。うれしくなっちゃって、調子に乗ってがんがんやっていましたね。

(化学科 川原先生)

 

後輩へのアドバイス

 

受かるためにはやっぱり一番苦手な科目をやるに限るのかなって。やっぱり好きな科目を伸ばすのも結構、ほかの科目へのモチベーションにもなるかなというのはあります。

佐川くん 帝京大学医学部 (神奈川県立多摩高校卒)

 

 

インタビュアー:川浦

受験というのは、やれば伸びるし、できる人が受かるし、やった人が最後に笑うことができる。あとは後手には回らない、というのが受験を勝ち抜く秘訣です。

 

 

(川浦) 小学校の時って、佐川君はどんな小学生だった?

 

(佐川) 小学校全体でとらえると、成績はそこそこ良くて、運動はあまりできない。

 

(川浦) 何にはまっていたの、その頃は。

 

(佐川) SF系。

 

(川浦) SF系というのは、本?

 

(佐川) 本もそうですし、テレビアニメもそうですし、あとはゲームもそこそこやっていました。

 

(川浦) 小学生の頃は塾には通っていましたか。

 

(佐川) 今もあるんですけど、ひのき進学教室というところがありまして、登戸の校舎にいました。

 

(川浦) それは何年生の頃から行っていたの。

 

(佐川) 小学校4年から6年まで。それがプライムコースという、中学受験をしないコース。公立中学に進学するけど、学力は高めたいと。小学校4年から6年までいて、また新たなコースで中学1年から3年の高校受験までその教室にいました。

(川浦) 中学ではどうだったの。

 

(佐川) 部活動という新たな活動場所を見つけて、そこで頑張りつつ、そこそこ勉強もやるタイプでした。

 

(川浦) 部活は何をやっていたんですか。

 

(佐川) 吹奏楽部で、ホルンという楽器をやっていました。それは高校生になっても続けていました。

 

(川浦) 中学の時って、勉強にかなり前向きな人だったのかな。

 

(佐川) そうですね。成績は、そこそこと言っていいかな。良かったですけど、提出物は全く出さない。 内申点で絶対に稼げないタイプの、嫌な生徒だったと思う。

 

(川浦) それで高校受験をして、高校はどちらに行かれたんですか。

 

(佐川) 神奈川県立多摩高校です。

 

(川浦) 高1、高2ってどんな感じでしたか。

 

(佐川) 全く勉強をしなくなりました。

 

(川浦) 中学の時にすごく勉強していたからかな。

 

(佐川) 中学もそこそこ、すごくというわけではなかったんですけど、高校ではまた部活が本格化して。

 

(川浦) 輪をかけてやらなくなった。

 

(佐川) あとは学校行事が盛んな学校だったので、楽しいことをやりすぎた結果、勉強を全くしなくなってしまって。

 

(川浦) でも受験をするわけじゃないですか。受験をしようと思ったのって、いつ頃なの。

 

(佐川) 受験をしようと口で言ったのが高校3年生で、口だけになっちゃって。

 

(川浦) 高3になって口では言っていたけど、実際には勉強していなかったと。

 

(佐川) はい。

 

(川浦) でも、夏とかはやったでしょう、さすがに。

(佐川) やろうとしても分からないんですよ。正直言って、2次関数のことを分からない人が微分積分って言われても何?という感じで。

 

(川浦) それで受験に臨んだ訳だけども、その時って、どこを受けたの。

 

(佐川) これもまた意思としては医学部を目指していて。現役の時は医学部だけって言っていて、結果は予想できると思うんですけど、全部落ちました。

 

(川浦) 全部だめだったんだ。ちなみに、どういうところを受けたの。

 

(佐川) 支払える限り、全部受けました。

受験費用が、親には申し訳ないぐらい。例えば日医と昭和と東邦と、杏林と日大だったと思います。覚えている範囲では。

 

(川浦) そういうところを受けたんだね。それで、全部だめだったと。じゃあ、そこから一会塾に来るまでのプロセスというのは。

 

(佐川) 全落ちしてからは、もう1回、医学部に入りたいという思いを強く持って、そこで医学部に行かせてくれる塾を探そうと。他力本願な言い方ではあるんですけど。

 

(川浦) そこで一会塾があったんだね。

 

(佐川) 大手予備校の医学部コースの学力標準みたいな、その基準となるセンターで何番というのは、大手予備校が提示するやつに全くそぐわなくて、一から伸ばしてくれるところを探そうってなった時に、一会塾を選びました。

 

(川浦) 入ったきっかけというのは、佐川君自身が見つけてくれたのかな。

 

(佐川) 色々とパンフレットを見たんですが、当時一会塾のパンフレットに、県立多摩高校から医学部に行ったという方が載っていて、前例があるならってことで入りました。当時は医学部の校舎が武蔵小杉にあったので、立地的な条件からもいいかなと思い、選びました。

 

(川浦) それで1年武蔵小杉で、2年目は恵比寿だったね。今振り返って、一会塾についてどんな生活だったか?教えていただけますか?

 

(佐川) スタート地点が固定されていなくても、伸ばしてくれる。例えば合格したいんだったら、今の時点で、今というのは4月の時点で、これだけ学力が無ければいけないみたいなのがあるんですけど、そういうスタート地点が一人一人違っても、しっかり伸ばしてくれるというところがありました。

 

(川浦) なるほど。

 

(佐川) あとは、苦手を“なあなあ”にさせない環境。もともと自分に甘い性格だったので、そういうのは幸いしました。

 

(川浦) なあなあを、許さないことね。他にはありますか?

 

(佐川) これは個人的な話になってしまうんですが、校舎に1人か2人、すごくできる人が必ずいました。

 

(川浦) それは何でよかったの。

 

(佐川) その人になりたいという感じで、努力ができました。

(初代 恵比寿校のメンバー全員医学部へ進学できました)

 

(川浦) 励みになる人がいたということ。

 

(佐川) 目標となる学力の人がいたということですね。どれだけできれば医学部に合格できるとか、偏差値がいくつあればいいのかとか最初は分からないので、明確な人を目標にするしか。

 

(川浦) ちなみに合格した年は、誰か目標はいたんですか。

 

(佐川) いました。

 

(川浦) 誰ですか。

 

(佐川) 個人的にものすごくできるなと思った人は、大鹿さんとか堀越君。

 

(川浦) そうだね。そこを結構励みにして。

 

(佐川) はい。

 

(川浦) 得意科目とか苦手科目とか、色々あったと思いますが、佐川君は得意科目は生物だよね。

 

(佐川) そうです。

 

(川浦) 他にもありますか、得意科目。

(佐川) 一応最後の最後で英語は。

 

(川浦) 生物、英語だよね。苦手科目は。

 

(佐川) 数学です。

 

(川浦) では得意科目の生物と英語って、どんな勉強をしていましたか。

 

(佐川) まず生物に関しては、暗記科目だったら暗記科目なりに、楽じゃないんですけど効率よくできる部分があるのでがんばれました。

 

(川浦) 英語は。

 

(佐川) 英語は、単語レベルからやり直しました。やり直したというか、もともとやってもいなかったんですけど。

 

(川浦) しっかりスタートをしたということね。

 

(佐川) スタートが基本です。

 

(川浦) 苦手科目の数学は。

 

(佐川) これは他力を十分に活用しました。(笑)

 

(川浦) 他力を活用。(笑)例えば。

 

(佐川) 先生だったり、できる友達だったり。 あとは、四の五の言わずに量をこなせば、ちょっとできるようになった。

 

(川浦) 合格した秘訣というのかな。これがやっぱり僕の秘訣だったというものを1つ挙げてください。

 

(佐川) 捨てる問題を、自信を持って捨てられたというところです。入試の一番最初が岩手医科大学だったんですが、その時の感触があまり良くなかったんです。だけど1次の合格を頂いて。それで、その後の試験でも、岩手が受かるなら、これも受かるだろうみたいな、多少できない問題があっても、多分この問題は捨てても合格ラインに行くだろうと、迷わずに捨てられました。

 

(川浦) 受験を経験して、合格の秘訣の1つは、捨てる問題を自信を持って捨てるということですが、そのほか何か受験生にアドバイスをするとしたら、どんなことがありますか。

 

(佐川) まず日々の勉強においては、絶対に後手に回ってはいけないということだと思います。

 

(川浦) 後手に回るなね。これは。

 

(佐川) これは、受験というのは日程がもちろん最初から決まっていて、そこに向かってどうするかだけなんですけど、1つ後手に回ると、後のスケジュールとか、やらなきゃいけない勉強がおざなりになってしまうというのが、よくあるんです。なので、決められたスケジュールを絶対に守らなきゃいけないということではないかもしれませんが、勉強をする上で人のやっていることを、自分もできるようにするとか、周りの水準から、それ以上外れないとか、そういう初歩的なことをしっかりやるのが重要だと思います。

 

(川浦) いつ頃だっけ、医学部を目指そうと思ったのは。

 

(佐川) まず第一段階、ちょっとした衝動が小学4年生だったんです。

 

(川浦) それは何がきっかけだったの。

 

(佐川) 入院ですね。その時の医療従事者の方が格好良かったので、医師を目指そうと思ったんですが、後々気付いたらその人は医師じゃなくて、他の医療従事者の方だったんですけどね。

 

(川浦) でもいいんじゃない。それがきっかけだったんだね。

 

(佐川) 大学受験をするにあたって、忘れていた夢を思い出して、高校生の後半ぐらいに医学部に決めました。

 

(川浦) 今は大学に入ってどうですか。授業とか、サークルは何か入ったの。

 

(佐川) JIMSA(ジムサ)という、いろいろな大学が集まって、英語と医学を学び合おうというサークルに。

 

(川浦) 面白そうだね。

 

(川浦) 大学に入って驚いたことってありますか。

 

(佐川) 入って驚いたことは、大学というよりも帝京医学部の場合、クラスがありまして。今まで抱いていた、大学になるとクラスがないとか個人主義というのは、あまりうちではないです。みんなで勉強というスタンスが強いです。

 

(川浦) 何クラスあるの。

 

(佐川) 2クラスです。130人程度で2クラスです。

 

(川浦) じゃあ、60~70人ぐらいということ。

 

(佐川) そうです。

 

(川浦) これからの大学生活、どのように過ごしていきたいですか。

 

(佐川) うちの授業では、8月の時点で解剖学に着手するんです。なので、これからはどんどん忙しくなって、勉強も難しくなってくると思うので、そこはしっかり頑張ろうと思います。

 

(川浦) では、佐川君が帝京大学の広報宣伝部長になったつもりで、大学のよいところを紹介してください。

 

(佐川) うちの大学は、たぶん設備で言うと、かなり上位の方にあると思います。なので、勉強をする上で、例えば友達に聞くとか、人を活用するのもいいですけど、設備も頼るところも沢山あると。

 

(川浦) 例えば一押しの設備は。

 

(佐川) 一押しの設備はコンピューター室ですね。講義試聴というものがあって、講義が録画されていて、それを後から見直せるというシステムがあるんです。

 

(川浦) 録画されているんだ。

 

(佐川) はい。

 

(川浦) あと他に自慢できることは。

 

(佐川) 他の大学ですと、例えば医学部だと学年ごとにキャンパスが分かれていて、6年間1つのキャンパスで学ぶというのは、そんなに多くないと思うんですが、うちは1つのキャンパスに医学部の1年生から6年生がいるんです。もちろん上の代の学年ですと、実習があったりとかで学内にいることは少なくはなりますが。1年生が6年生から話を聞いて、医学についてより深い関心を持てるという点が魅力だと思います。

 

(川浦) 1年から6年まで、繋がりがすごくあるということかな。

 

(佐川) そうですね。

 

(川浦) 分かりました。最後に一言、受験生に向けてエールというか、アドバイスがあればお願いします。

 

(佐川) 受験というのは、やれば伸びるし、できる人が受かるし、やった人が最後に笑うことができるので、頑張ってください。あとは先ほども言いましたが、後手には回らない。

 

(川浦) やれば伸びる。後手に回らない。分かりました。

     長いインタビューになりましたが、今日はありがとうございました。

 

(佐川) ありがとうございました。

平田さん 国際医療福祉大学 医学部医学科(鎌倉学園高校卒)

 

小中学生の頃、祖父母のお見舞いで病院に行く機会が多かったことがきっかけで、医学部を目指すように。だけど、本当に医学部を目指していますと言える実力が伴ったのは、2浪目で一会塾に通い出してから。その前は、医学部受験生って言っちゃいけないぐらいのレベルでした。(笑) 医学部に入ったことは大きな自信になり、今では試験で学年1位をとるぐらいまで成長しました。

 

インタビュアー:山口(英語科スタッフ)

平田くんの合格の瞬間は今でも鮮明に覚えています。本当にうれしかった。人一倍の努力人でしたし、人のせいにしない男っぷりのいい、まじめな生徒さんでした。大学に入ってますまず頑張っている姿を見て頼もしいかぎりです。

 

(山口) 平田君は、高校はどこでしたっけ。

 

(平田) 鎌倉学園です。

 

(山口) 鎌倉学園でしたね。中学から?

 

(平田) 外部進学です。中学は公立中学に行って、高校で入学という。

 

(山口) じゃあ、高校受験の塾に通っていたの。

 

(平田) 通っていました。中萬学院ってご存じですか。

 

(山口) うん。中萬学院。

 

(平田) そこには小学校4~5年から通いだして、そのまま中学も通ってという感じですね。

 

(山口) 医学部を目指そうと思ったのは、いつぐらいか覚えていますか。

(平田) 医学部は、このタイミングという出来事はあんまり覚えていないんですけど、でも小学生ぐらいからですかね。祖父母がその頃亡くなったんですが、もともと病気がちで、多いときは毎週ぐらい病院に行ったりして、僕もお見舞いで病院に行く機会が多かったのがきっかけです。

 

(山口) 小学校の時に、そういう経験を。

 

(平田) 小中。

 

(山口) 小中の頃病院に結構行っていた時に、医者っていいかなって思った。

 

(平田) そうですね。あとは母親が看護師だったということもありますし、今の同じようなことを、たぶん受験でも言ったのかも。

 

(山口) そうだね。お母さんの影響も大きいと。高校3年間を振り返ると、どんな生活をしていましたか。

 

(平田) 高校3年間。到底医学部に受かる実力は無かったな、という感じですね。1浪目を含めても、やっぱり無理だったなという。本当に医学部を目指していますって言えるようになったのは、一会塾の武蔵小杉に行った2年目から。高校3年間と1浪目(大手予備校)は、全くもって医学部受験生って言っちゃいけないぐらいのレベルでした。(笑)

 

(山口) 言っちゃいけないぐらい、学力は伴っていなかったと。

 

(平田) 全くでした。

 

(山口) じゃあ、高校2年生、3年生の時って、そんなに危機感はなかったの。

 

(平田) 今、ようやく3年生になって、ちょっとずつ振り返り始めると、やっぱりすごい甘かったなって分かったし、自分で情報収集も率先してやっていなかったですし、塾も中萬の系列の塾にそのまま行こうかみたいな感じで、特に考えずに。

 

(山口) 高3の時に行っていた塾では映像授業を。

 

(平田) はい、映像を。

 

(山口) まじめにやっていたの。

 

(平田) やっていなかったですね。映像授業は本当に真面目にやる人じゃないと、なかなか受からない。

(山口) まあ、不真面目にやるって普通は変だけど、ただ見てこなすだけみたいだったということ。

 

(平田) そうですね。自制心というか、自律するのがなかなか難しいと思います。

 

(山口) 1浪目ではまた別の塾に。

 

(平田) はい。横浜に通っていました。

 

(山口) 通いやすさという面もあったけど、やっぱり大手だから安心みたいなところはあったの。みんな行っていたの?

 

(平田) そうですね。

 

(山口) 医学部コースにはいたんだっけ。

 

(平田) はい。クラス分けのための試験を受けて、一応上から2番目のクラスに入ることはできたんですけど、今思い返せばそんなに背伸びをしなくても、自分の実力に見合ったところに入った方がよかったのかなと思います。

 

(山口) じゃあ、そこでの1年間で、受験の基礎は一応仕込んでいった感じ。

 

(平田) でもやっぱり授業を切っていた時もありましたし、唯一良かったのが英語ですね。英語だけ本当に頑張って、ちょっとはマシに。

 

(山口) やっぱりネックは数学と理科だったんですよね、きっと。

 

(平田) そうですね。入塾した時はそうですね。やっぱりこちらに来て生物をすごく鍛えていただいたなというか。生物の先生はやっぱり出てよかったです。偏差値は70を切らなかったですね。生物の先生の授業を受けていたので。

 

(山口) 高度なことをやったんだよね。最後の1年って仲野先生だったね。

(数学科:仲野先生)

 

(平田) はい。

 

(山口) 数学の力は、やっぱり伸びたと思いますか。

 

(平田) センター試験って開示があるじゃないですか。この前たまたま家に帰った時に、開示の紙が転がっていて、数学を見たら、その時も3浪目でやっと9割行っていたんですけど、一応ⅠAとⅡBで180点は取れていたので、基礎は出来上がっていたのかなと。

 

(山口) 最後の1年で合格ラインまで入れるぐらい上がったと思うんだけど、何が変化としてあったと思いますか。

 

(平田) 正直僕は2浪の時も、模試だけ見たらかすっていたと思っていて、3浪目は正直もう、9月頃からメンタル的に大分やられていたので、とにかく早く終わってほしい気持ちが先行していて。その中で、何とか合格したという感じだったので、自分が何をやったから受かったのかと言われたら難しいですけど、でも続けたのは良かったかなって。その、3浪してでも。

 

(山口) メンタルがやられていたというのは、追い込まれていく感じ、しんどい感じ?

 

(平田) しんどいです。

 

(山口) 親御さんのプレッシャーもあるし、積み重ねた月日もあるしね。

 

(平田) 月日もありますし。

 

(山口) でも1皮、2皮剥けたはずで、例えば数学Ⅲとか化学は仕上がっていて、生物で最後追い込んだというのが大きいのかなって思ったけどね。

 

(平田) 大学に入ってからは、すごい変わったつもりです。試験も学年1位を取れるぐらい成長をして。医学部に入ったことがすごい自信になったと思います。

 

(山口) そうだよね。全然変わったと。

 

(平田) 補欠の電話をもらった時に、今でも覚えているんですけど、すごく嬉しかったんですけど、急に責任みたいなものが。本当に行くんだみたいな感じ。4年間行きたいと思っていたけど、最後の最後で届かなかったとこから来て。山口先生に電話をした時の事も覚えていますよ。先生、確か泣いて下さって。

  (合格報告時の平田くん)

 

(山口) そうだね。やっとつかみ取った合格だったしね。また国際医療福祉っていいよね。

 

(平田) どうなんですかね。僕は周りの医学部のことはあんまり分からないので、何て言えばいいか。

 

(山口) 新しいところで、全くまっさらで始められるということもいいよね、ゼロスタート。そこは大きな強みだし、新しいことをやっていかなきゃいけないという意識が芽生えて、医学部の世界って長いものに巻かれるじゃないけど、よりすがるもの、大樹みたいなのがあるところが多いと思うんだけど、やっぱり自分で作っていかなきゃいけないとか、多分自立心とかそういうのが、やっぱりいいんじゃないかな。

 

(平田) 1期生というのは、恵まれているかもしれないですね。

 

(山口) 一生懸命大学もやってくれているみたいでだしね。

これからも頑張ってください。今日はありがとうございました。

 

(平田) はい、ありがとうございました。