山川―根占航路が再開されました
3月1日(火)
念願の航路再開です。
薩摩半島と大隅半島を結ぶ
重要な「海の国道」が復活しました。
朝6時から並んでいた方もいらしゃったようです。
私たち
「元気な山川まちづくりの会」メンバーもいつもの青ジャンバーで集合。
7:45からセレモニーが行われました。
南九船舶の今村社長へ花束贈呈。
本当にありがとうございます。
事務局「地球の旅」でお花を出させていただきました。
漁協関係者の皆さん
いざ出発!
「元気な山川まちづくりの会」メンバーも
元気よく手を振って見送りました
行ってらっしゃい♪
田中副会長宅前から見た出発便(手前左手は山川幼稚園)
この航路が
ずっと継続された航路となるように
山川港まち歩きを中心とした
地域おこしをしていきたいと思います。
【事務局 山口貴久】
世間遺産 ~桜島編
昨日
2月6日(日)
東川隆太郎さんが案内する「世間遺産」に参加してきました
定員は一杯で、参加できてラッキーでした♪
山川から向う途中
今日は霞んでいて、桜島の姿が見えません
フェリー乗場からも見えません。。。。
いざ桜島フェリーで出航
フェリー内で、
鹿児島中央駅からのバスに乗ってきたツアーの皆さんと合流
桜島到着
バスに乗って、桜島を廻ります
さっそく、隆太郎さんからクイズ
「日本で活火山の多い県はどこでしょう??」
1位 北海道
2位 東京都
3位 鹿児島県
鹿児島には
日本に108箇所ある火山のうち
11箇所があるとのこと。
ただし、霧島はまとめて1つと数えます。
心の中で
「県では1位だな」とニヤリ
さて
旧東桜島役場から海に下ります
桜島は水が少ない土地なので
各家の屋根や庭には
雨水を浄水するための浄水器があったそうで
その名残をあちこちで見ることができます
ちょっと沖縄に似てますね
東桜島町は
鹿児島市との合併の条件として「上下水道の整備」を求めたとのこと
井戸の跡
坂道を登る時
バスの底面を擦りました。。。。。(驚
〇途中、薩摩藩の軍港跡を通過
薩摩初の様式軍艦「昇平丸」が作られ、初めて「日の丸」が掲げられたらしい
それまでは、
それぞれの国の船は見た目で分かったから
国旗が必要なかった。 なるほど!
バスは
一度、桜島から垂水へ向います
垂水の武家屋敷は
その昔
「1たる(垂水)、2蒲生、3知覧」と言われ
薩摩藩内で一番の美しさを誇った場所だったらしいです。
今は
火山灰に覆われていて
一面「灰色のまち」になってしまってます
ここで生活する人々は大変ですね。。。
垂水海潟漁港の食堂
名物はカンパチ「海の桜勘」を堪能
桜島の国分側は「ブリ」の養殖、
漬け丼、あらい
同席した皆さんと談笑
出会いに感謝
(世間話)
私も相方も魚は苦手です。。(大汗
私は完食しましたが、相方はほとんど手付かずでした(涙
桜島に戻る予定でしたが、
参加者からの要望で
急遽、ルート変更。
東川さんのツアーでは、よくあることらしい(笑
向った先は>>>> 第六垂水丸遭難の地
昭和19年2月6日に垂水港沖で沈没し、犠牲者五百人以上を出した海難事故。
鹿児島から戦地に向う子どもらを見送りに行くはずの家族らを乗せた船には
定員500名を、大きく超える700名以上の人々が乗っていました。
港を出港しようと船首をきってすぐに転覆。
多くの犠牲者を出したことから
地元ではあまり語られることなく時間が過ぎていきました。
いま
地元の方や東川さんらが資料を掘り起こしているとのこと。
岩崎産業が慰霊碑を建立。
昨年は、改めて垂水市が建立しています。
(世間話)
その後、船は引き上げられ
山川港にドック入りし、修理されたが、
悲惨な事故が忘れられない住民は、この船の利用を避けた。
しかし、昭和24年の
で昭和天皇がお乗りになり利用されたのを機に
人々は安心して乗るようになったとさ
しかし、、、よくもまぁ陛下を乗せたなぁ。。。(驚
〇道の駅「たるみず」で休憩
画家;近藤剛司さん~日本の自然を描く一人旅
足湯
〇廃校になった高免小学校から
下って行く坂道も世間遺産
※写真の移りが悪かった・・・
近くの若宮神社
桜島には防災スピーカーが多く見られます
〇桜島唯一のトンネル 白浜トンネル
全長112mで、白浜地区と古川原地区を結ぶ
トンネル内
「スイッチを切らないで下さい」
切ったら、桜島が大噴火するらしい。。。。ウソ (海外ドラマLOST風)
「切るな」と言われたら、切りたくなる・・・・・・・衝動を我慢しました(笑
近くに「石敢當」を発見!!
ちょっと雑な作りですが。。。。。(汗
しかも
東川さんは気付いてませんでした。。(笑
〇御山登山入り口
昭和30年の噴火で犠牲者(鹿児島大学生)が出るまでは登山が許可されてました
ツアー参加者の年配の方に、3名だけ、登山した経験をお持ちの方々がいらっしゃいました
「頂上はどうなってましたか?」
と尋ねると
「空港のように開けた広い土地だった」
そういえば
山川中学校のころ
社会の先生が「友達が亡くなった」と話してたなぁ
登山口ちかく 巨木が道路に「自然のトンネル」を作ってます
途中
所謂「人間魚雷」を製造していた造船所を通過
〇水神社のブロック塀
この近所で
東京大学への合格を果たした青年の家族が奉納したもの
(世間話)
桜島ミュージアアムの若い男性スタッフTさんが私に挨拶してくれました。
「祖父が山川出身」だとのこと
おじいさんは、かつて
「山川港で百貨店をしていた記憶がある」
「店名は〇〇商店」
帰宅後
母に尋ねると
実家のすぐ隣にあったとのこと。
しかも、
私の七五三のスーツを購入したらしい。(驚
何かの縁ですね♪
今度、
うちの山川港の会の先輩方に詳しく聞いてみて
Tさんへの土産話としたいと思います。
こうして
桜島の世間遺産の旅は終了しました。
東川さんの案内を満喫♪
参加者の皆さんとの出会いに感謝♪
そして
一日中
噴煙を上げずに
おとなしくしてくれた桜島に感謝♪
【事務局 山口貴久】