⑩「死ねない苦しみ」
①「私は安楽死で逝きたい」 先日、橋田寿賀子さんが「私は安楽死で逝きたい」という想いを、文芸春秋12月号に掲載しました。「日本も安楽死を認める法律を早く整備すべきです」という考えです。 『80歳を過ぎた頃から認知症になったら安楽死をしたいと思った。周囲に迷惑をかけたくない、ボケた状態で生きる楽しみがなくなったあとまで生きていたくはない…』 安楽死を認める法整備についても『現在の日本では、安楽死よりも前の段階の尊厳死についても「尊厳死法案」なるものが時々議論されるが、実現には至っていない。』と想いを語っています。 現在の日本の医療制度では、認知症患者はいつまでも病院には入っていられず、家族が家で面倒を見るような仕組みになっています。長期入院になるほど病院が受け取る診療報酬費が安くなるからです。 この事についても『理想を言えば、家族が面倒を見るのが一番だが現実は難しい。子どもが親を殺したり、老々介護の果てに無理心中といったニュースを見るたびに、安楽死制度があればこうした悲劇も防げるのに…』という願いです。 こういう想いから、『認知症患者や病気で回復の見込みのないままベッドに横になり、生きる希望を失った人が大勢存在し、これ以上家族に迷惑をかけたくないという人達がいる。こういった人達が希望するならば、本人の意思をきちんと確かめ、親類縁者にも了解を得た上で安楽死を認めてあげるべきです。』と希望しています。 ②「死に方」 私自身、「大脳皮質基底核変性症(以下CBD)」という難病を告知されて以来10年程経過しました。現在は自分の「死に方」について毎日の様に自問自答しています。 CBDは筋肉の病気でもなく、神経の病気でもありません。体の隅々を動かすのに必要な、ドーパミン神経伝達物質を出すべき脳神経細胞が減少していく脳神経疾患です。パーキンソン病関連疾患と位置付けられていて、症状はパーキンソン病に似ています。 手足の震え、強ばりや、各部が動かなくなっていくなど、その症状がゆっくりと進行し徐々に身体を動かすことが出来なくなっていく病気です。症状が進行すれば喉の筋肉も動かなくなり、口から食事を摂取することも難しくなります。死因は嚥下性肺炎または寝たきり状態に伴う全身衰弱が多いとされています。 この病気を告知された時は「死」について考えましたが、「誰しもいつか必ず死ぬ時はやって来る。他人より少し早いだけ。」と考えて、今はこの難病での「死」を受け入れています。 しかしこのCBDについて調べていくにつれ、前述のように自分の身体がどうなっていくかを想像した時に、その「死に方」について考えるようになりました。 ③「気管切開?胃ろう?」 CBDという病気の最期は、全身の各所を動かす命令が脳神経細胞から発令されなくなり寝たきりとなる予定です。医療的処置を何もしなければ、嚥下障害により食事が摂取出来なくなる事による衰弱死や前述のような嚥下性肺炎、呼吸器不全などが考えられます。場合によっては脳の萎縮もあり認知症を発症することもあります。 こういう状態になった上で、延命を望む場合の処置として考えられる事は、気管切開をして人工呼吸処置をすれば痰の吸引も楽になり、呼吸も確保されます。嚥下障害により口から栄養を取れなくなれば、点滴や経鼻経管により栄養補給が出来ますし、最悪の場合は胃ろうをすることにより生き永らえることが出来ます。認知症はどうにもなりません。 ④「望むのは安楽死」 私自身はいかなる延命処置も望んではいません。自分の身体の自由が利かなくなり、寝たきりになった状態で生き続ける事に意味はありません。口から自分でご飯を食べられなくなり、経鼻経管や胃ろうをしてチューブで食事を流し込む様な処置も望みません。 延命処置を望まないとなると、今度は自分の最期の「死に方」が問題になってきます。何も延命処置をしないという事になると、それは日本では「尊厳死」という形の「自然死」になります。ただしこの場合、栄養を摂取せずに最期を待つという事になると、私はガリガリの骸骨状態で死を迎える事になります。私自身も祖父母の最期を見てきましたが、瘦せ衰えたその姿は本当に悲しいものがありました。 私は延命処置を望まないですし、長い期間に渡って、家族に自分が痩せ衰えていく姿を見せる事も望んでいません。更に言うと橋田寿賀子さんと同じく認知症で自分が誰かもわからない状態で生きていたいとも思いません。故に私は「尊厳死」=「自然死」も望んでいない事になります。 ある程度骨に肉が付いている現在に近い体型の状態で、自分が自分であるとわかっている段階で最期を迎えたいと思っています。そのためには「安楽死」しかありません。⑤「安楽死は選択肢の一つ」 「現在に近い見苦しくない体型の状態で、認知症発症前に最期を迎える…」となると、自分の最期を自分で迎えるしかありません。最期の一線を自分で引くしかありません。そうなると「安楽死」が認められていない日本の現状では、自分の最期の「死に方」の選択肢は「自死」するしかありません。 しかし私は「自死」はしたくありません。それは家族・友人が悲しむから。飛び降り・飛び込み・首吊り・練炭・硫化水素ガスなど、自分の最期をこんな惨めな「死に方」の選択肢から選びたいとは思いません。だから、自分の最期の「死に方」の選択肢に「安楽死」を認めて欲しいと思っています。 「安楽死」を望む理由がもう一つあります。私が罹っているCBDという病気の辛い所は、根治的治療薬が無いので闘病すら出来ない事です。癌のように患部を手術して取れば治るとか、副作用と闘いながら抗がん剤を飲むとか、この病気と闘うことが出来ない事が悔しい思いです。 そしてもう一つ、意識があるまま真綿でゆっくりと首を締められる様に身体の自由を奪われていく恐怖です。だから自分が自分とわかっている状態で自分の意志によって自分で最後の一線を引きたいと思っています。⑥「尊厳死」と「安楽死」 ここで「尊厳死」と「安楽死」について一般的な解説をしたいと思います。自分の考えに一番近い解説をしている文章を引用しました。 「尊厳死」とは『不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています。』(日本尊厳死協会より引用) 「安楽死」とは『 (1) 積極的安楽死、(2) 間接的安楽死、(3) 消極的安楽死、の三つに分類されることもあり、(1)は苦痛を除く手段がない患者の命を薬剤投与などで意図的・積極的に縮める行為、(2)は苦痛緩和療法で麻薬等を与えた結果として死期を早める行為、(3)は苦痛を長引かせないよう医療行為を控えたり延命治療を中止して死期を早める行為、とされている。』(ブリタニカ国際大百科事典より引用) 「尊厳死」は前述の「安楽死」の中の③「消極的安楽死」がそれに当てはまると思いますが、日本では現在のところ法的には認められていません。しかし尊厳死を認めるガイドラインが厚生労働省から公表されています。 ただしあくまでもガイドラインであり、「こういう場合に認める」というものではありません。法的には認められていませんが、医療の現場では、延命処置をしない選択や実施されている延命処置を中止するケースもあると思います。「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」 ① 医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ、それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本としたうえで、終末期医療を進めることが最も重要な原則である。 ② 終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の中止等は、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームによって、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきである。 ③ 医療・ケアチームにより可能な限り疼痛やその他の不快な症状を十分に緩和し、患者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療及びケアを行うことが必要である。 ④ 生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は、本ガイドラインでは対象としない。⑦「罪に問われる安楽死の現場」 「安楽死」は前述の解説で言うと「積極的安楽死」という事で、「苦痛を除く手段がない患者の命を薬剤投与などで意図的・積極的に縮める行為」となります。「尊厳死」についてはガイドライン作成や尊厳死法案が検討されるなどの議論が始まってはいるが、「安楽死」についてはまだまだ議論うんぬんという段階にも至っていません。 しかし医療の現場においては「積極的安楽死」が実行され、家族や医師が罪に問われる裁判が何度か開かれています。「名古屋安楽死事件」(昭和36年発生)安楽死を認める6要件が示された。家族に対する嘱託殺人罪成立。(1)不治の病に冒され死期が目前に迫っていること (2)苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと (3)専ら死苦の緩和の目的でなされたこと (4)病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、 本人の真摯な嘱託又は承諾のあること (5)原則として医師の手によるべきだが医師により得ないと首肯するに 足る特別の事情の認められること (6)方法が倫理的にも妥当なものであること 「東海大学安楽死事件」(平成3年発生)医師による積極的安楽死として許容されるための4要件が示された。医師に対する殺人罪成立。(1)患者に耐え難い激しい肉体的苦痛に苦しんでいること (2)患者は死が避けられず、その死期が迫っていること (3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし ほかに代替手段がないこと (4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること⑧「間接的安楽死」=「終末期鎮静」 「安楽死」で前述した「間接的安楽死」は「苦痛緩和療法で麻薬などを与えた結果として死期を早める行為」と解説されていますが、終末期医療の現場ではこの行為と似ている処置が行われています。医療用麻薬のモルヒネ等ではなく、睡眠薬と同成分の鎮静剤を投与して痛みを感じずに眠るように最期を迎える「終末期鎮静」という処置です。 死に至る事を目的に致死性薬物を投与するのが「積極的安楽死」に対して、苦痛緩和を目的に鎮静剤を投与するのが「終末期鎮静」です。しかし、薬を投与した後に致死に至る時間の差があるが、その人が死を迎えるという面においては同じ結果であり、議論が続いています。 「終末期鎮静」にもガイドラインの様なものがありますが、施設に入っている患者が対象で、在宅で診療・介護されている方は含まれていません。「鎮静の倫理的基盤として次の3条件を満たす場合に妥当と考えられる。」(1)意図…鎮静は苦痛緩和を目的としていること。(2)自律性…[(aまたはb)かつc](a)患者に意思決定能力がある場合、必要十分な情報を知らされたうえ での明確な意思表示がある。(b)患者に意思決定能力がない場合、患者の推定意思がある。(c)家族の同意がある。(3)相応性…患者の状態(苦痛の強さ、他に緩和される手段がないこと、 予測される生命予後)、予測される益(苦痛緩和)、 及び予測される害(意識・生命予後への影響)からみて、 鎮静が、すべてのとりうる選択肢のなかで、最も状況に 相応な行為であると考えられる。 ⑨「肉体的苦痛」と「精神的苦痛」 これまで「尊厳死」と「安楽死」について、「積極的安楽死」「間接的安楽死」「消極的安楽死」という3つの言葉と合わせて説明してきました。それぞれ判例やガイドラインの様なものはありますが、3つとも現在のところ法的には認められていません。しかし実際に医療・介護の現場では、病院・医師個人・患者・家族のそれぞれの解釈によって、この3つの「安楽死」「終末期鎮静」「尊厳死」と解釈される行為が、日本では全てグレーの中で実行されています。 こういった現状の中で、特に病院や医師個人の方々にとっては、殺人罪や自殺ほう助などの訴訟のリスクがある問題だと思うので、早急な法整備を望んでいると思います。 橋田寿賀子さんは認知症になる前の段階での安楽死を望み、私は大脳皮質基底核変性症で全身不随になる前の段階での自死の選択肢の中の一つとして安楽死を望んでいます。ただし現状で示されている「安楽死」のガイドラインや判例には、それが許容される条件の重要な一つとして、「耐え難い肉体的苦痛がある」いう事が必須となってきます。でも認知症や大脳皮質基底核変性症の症状においては、おそらく耐え難いような肉体的苦痛は伴わないと思います。 そうなると例え「安楽死」が法律として認められても、我々の様な「周囲に迷惑を掛けたくない」「ボケた状態で生きていたくない」「寝たきりの状態で生きていたくない」「ガリガリの骸骨の様な姿を家族に見せたくない」「自分の最期を痩せ衰えたみっともない姿で終わらせたくない」という様な「精神的苦痛」を理由にしての「安楽死」は許されないのかも知れません。 ⑩「死ねない苦しみ」日本はこれから高齢化がどんどん進んでいきます。それと同時に医療技術の進んでいきます。遺伝子治療、iPS細胞やES細胞による再生医療の進歩や新薬開発のスピードアップなどにより、どんどん長生きする人が増えて行くと思います。しかし例え医療技術が進歩しても、死ぬ最期のその直前まで五体満足の状態でぴんぴんしていて、突然ぽっくりと逝ける人は少数でしょう。何かしらの病気の症状を持ち、認知症や寝たきりになるかも知れないと言う恐怖を抱えながら長生きをすることが本当に幸せなのでしょうか。最近の新聞記事で「死ねない苦しみ」という文章を見ました。生きる権利、死ぬ権利、生き方、死に方、について個人の責任において、この「死ねない苦しみ」という「精神的苦痛」から解放されるために、「死に方」の選択肢としての「安楽死」を認めてほしいと思います。 おしまい 今年の猪苗代もこんな感じかな? 日本ブログ村に参加中、ポチッ!とクリック嬉しいなり↓ 色んな経験者の人気のブログが見られるよ!