映画の事も有るし、海外事情に詳しい人からは散々言われて来た事なんで今更だけど。。

売れ線の本は、amazon、楽天では売り切れで、マケプレでは強気な俺様価格も。
図書館では予約待ちが10数人。

まあ、紀伊国屋ネットには十分在庫あるから、所詮表層の出来事ではあるけど。


登録したまま1年近く放置してるけど、今年の大きなトレンドは間違いない。
限られたリソースを注いで良いものか。。。
まあ、リアル本屋で立ち読みしてこよう。それで良ければ、買ってみよう。
眠らないで、過ごせる時の自分か。
どうして、ショートスリーパーに生まれなかったのだろう。
その分、寿命が短くなっても全然構わないのに。
取りあえず、濃いコーヒーを飲もう。
≪運、不運で人生が決まるの?≫

 Q:就活真っ盛り、4年生になった大学生です。
   就活を通して人の人生がなぜこれほどまでに「運・不運」に左右されるのだろうと思ってます。
   1,2年先輩は就活なんて楽勝といっていい企業に就職していきました。
   個人の「運・不運」ならまだ実力のうちかもしれないが、生まれた時代や環境で同じ能力の人間でも
   「運・不運」があるのには涙が出るほどです。
   悪い時代に生まれたと納得するしかないのでしょうか。(抜粋)

 A:私は遺伝蓄膿症なので、物心ついた時から鼻で呼吸ができません。
   口で息をして生きてきました。苦しいことです。
   田舎の高校2年生の夏、60日余り入院をして2度、5時間余りの大手術を受けました。
   けれども額(ひたい)の後ろの骨に溜まっている膿を取り除くには、3度目の手術が必要であり、
   その手術をするには目の神経を切断する必要があると言われ、盲になってもよい、という同意書に
   署名・捺印を求められました。私はそれができなかった男です。

   私と同年輩の女性で、署名・捺印をして手術を受け、遺伝蓄膿症は治ったものの、
   以後、盲人の按摩さんとして生きてきた人を知ってます。
   鼻で呼吸ができるのは、目が見えないよりは楽だと私に言ってます。偉い人です。

   私はこの病があるがゆえに、作家になりました。親の財産はすべて放棄して、弟に譲りました。
   弟は百姓をしていますが、同じ遺伝蓄膿症なので結婚はしていません。
   自分の死後は田圃はすべて世の恵まれない人の施設に寄付すると言っています。
   弟は小学4年から新聞配達をし、その得た給料はすべて、親に棄てられた子の施設に寄付をしてきました。
   今59歳です。そのほかに、子に棄てられた老人の施設の世話もしています。

   世には運・不運があります。
   それは人間世界が始まった時からのことです。
   不運な人は不運なりに生きていけばよいのです。
   私はそう覚悟して、不運を生きてきました。

   私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。
   嘆くというのは、虫のいい考えです。
   考えが甘いのです。
   覚悟がないのです。
   この世の苦みを知ったところから、真(まこと)の人生は始まるのです。

   真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人です。
   己の不運を知った人だけが、美しく生きています。
   私は己の幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。
   そういう人を羨ましいと思ったことは一度もありません。
   己の不運を知ることは、ありがたいことです。(作家 車谷長吉)