平沢進師匠の事を書いたら、テクノポップとニューウェーブミュージックの事がビビビ。ピコピコ。
しかし、初期P-MODELはポストパンクで、テクノポップバンドではない。私は聴かなかった。
日本のテクノ創始者は冨田勲?喜多郎?
そこはいいか。あの方々の音楽は、テクノではない。
神尾明朗さんが、平沢師匠の師匠。
中山努さんが、ソフトバレエとBUCK-TICKの師匠。
そしてYMOプロジェクト。
フジテレビとニッポン放送×細野晴臣。
ここは別格で、機材だけで3,000万円も提供。
酔っぱらったユキヒロ氏のハナ歌を、世界のサカモトがその場で楽譜越こしした曲が「ライディーン」だという。
YMOはライディーンのおかげで伝説になれた。良かったわホントに。アレがなかったらヤバいわ。
YMO解散後は、ハービー・ハンコックのロックイットばっか聴いてた。
1984年のグラミー賞は見ごたえ十分。捨てる所がない。
カルチャー・クラブ、ユーリズミックス、キング・クリムゾンも毎日のように聴いていた。もちろんマイケルも。
細野氏の曲に対して、大瀧詠一が「うちの子がノリノリで喜ぶんです」
というのを、小学生の時に何かで読んだ。
私も細野氏の「ハイスクールララバイ」には、子供が喜ぶ音楽の要素が、全て詰まっていると思っている。
あの曲のサビメロ「100%片想い」の秀逸さは、世界音楽史上屈指といってもいい。
残念ながらYMOの曲には、イミグレートしたくなる曲がない。
テクノとして不完全というか、そもそもテクノじゃないんじゃね?
ハイスクールララバイこそが、テクノポップの金字塔。
余談だが、坂本龍一はテクノを頑なに拒んでいた。
坂本龍一の最高傑作は「未来派野郎」である。これに異論はあるまい。テクノを作ろうと思えば作れた。
だが、アレ以前も以降も、サカモトはテクノを手掛けていない。・・・ゲイシャガールズ?
坂本龍一はYMO時代から「僕はポップシンガーじゃないから」と、クラシック音楽家を自負していた。
坂本龍一に「テクノを作ってちょ」と要求する事自体、無理があった。
実は、細野晴臣と松本隆こそが、YMOなのである。
YMOを語るときに、松武秀樹の名前を出す奴は、YMOをまったくわかっていないのだ。
YMOとは、細野晴臣の一党独裁政権であり、細野イズムそのものだったのだ。
それがわからなかった奴は、細野晴臣の見た目にまんまとダマされていただけなのである!わーいわーい!!
なんじゃこの話は?!
YMOが解散して、ニューロマンティックムーブメント自体が下火になって、TOM★CATとCCBもいわゆる一発屋という・・・
遮二無二なってテクノ探し。
国内メジャーでテクノをやっているのが、うしろゆびさされ組とうしろ髪ひかれ隊だった。
アイドル嫌いのテクノ好きだった私としては、どうしようもないジレンマ。
でも、当時のフジテレビは、テクノセンスが良かった。
グラスバレー、TMネットワーク、PSY・S、岡村靖幸、松岡英明、電気グルーヴ・・・
国内に素敵なポストニューウェーブがいたのだが、私の中にスパッと入ってこなかった。
いい曲だし、いい音。でもハマらなかった。
いまはCDも集めているし、YouTubeも観ている。
33年前の私が求めていたのは・・・
ミーハーに媚びない、ガチンコテクノ。
1989年秋、遂にビビビとなったのが、ソフトバレエだった。
PVを観た瞬間、洗脳された。
アレを洗脳という。洗脳したい人は勉強しなさい。
Amazonにて発売していたりしていなかったり。価格の変動がドイヒー!
ボディトゥボディの伝説的名曲っぷり、遠藤遼一の新感覚イケメンっぷり、あの衝撃のダンス(笑)。
洗脳と衝撃。森岡賢は天才!!!!!
と、言いつつ・・・
そんなソフトバレエも、エスケープの後はエキセントリックになってしまう。
私は醒めた。
私が求めているのは、ただ単に「子供の音楽」である。
童謡をテクノポップにしてくれりゃいいだけである。
しかし難しいらしい。
・・・そんなこんなしてたら、P-MODELがテクノバンドになっていた(笑)。
神尾明朗先生のプロデュースで、ガチンコテクノに変貌した平沢進師匠。
私の身体にこびりついたウップンが全部爆発。これぞデトックス。
平沢進+シンセ=究極のテクノだった。
何なのこの話?
どうでもいいわ!
私は遥か太古の昔から、初期P-MODELとBOØWYは同じであると言ってきた。
しかし総スカン。わからんか?
平沢進師匠と布袋寅泰は、同じスタイルの音楽を源流にしている。
田井中貞利と高橋まことは、同じタイプのドラマーである。
まさにスタープラチナとザ・ワールド。見た目が違うだけ。
みんな、見た目の違いを全ての違いだと思いたい。でも同じ。
吐き出したものが、初期P-MODELはメタル・アーバンとXTC似だっただけ。
BOØWYは、布袋が度々言っていた・・・
「地下から『おーいこっちに来いよ』なーんて言ってんのは・・・ちょっとみっともないよね」
っていうマインド全開の「あまりテレビに出ないからこそイメージの湧くミーハー志向」だった。
なんじゃこの話!?!?
麗美最後の渾身の一撃。
1992年。
麗美がいなくなって、周りを見渡すと、80年代は終わっていた。
さようなら、昭和。
いらっしゃい、嘘とインチキの平成。
無駄情報
そういえばこの曲、作詞は麗美だが、作曲・編曲・プロデュースは、m.c.ATこと富樫明生氏だった。
まだ無名時代のm.c.ATの作品。
どうでもいいわ!