80年代とテクノポップ | 奇妙なクソブログ 第二部 -その誇り高き血統-

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バカバカしさに辟易(○゚ε゚○)

平沢進師匠の事を書いたら、テクノポップとニューウェーブミュージックの事がビビビ。ピコピコ。

 

しかし、初期P-MODELはポストパンクで、テクノポップバンドではない。私は聴かなかった。

 

 

日本のテクノ創始者は冨田勲?喜多郎?

そこはいいか。あの方々の音楽は、テクノではない。

 

神尾明朗さんが、平沢師匠の師匠。

中山努さんが、ソフトバレエとBUCK-TICKの師匠。

 

そしてYMOプロジェクト。

フジテレビとニッポン放送×細野晴臣。

ここは別格で、機材だけで3,000万円も提供。

 

酔っぱらったユキヒロ氏のハナ歌を、世界のサカモトがその場で楽譜越こしした曲が「ライディーン」だという。

YMOはライディーンのおかげで伝説になれた。良かったわホントに。アレがなかったらヤバいわ。

 

 

YMO解散後は、ハービー・ハンコックのロックイットばっか聴いてた。

1984年のグラミー賞は見ごたえ十分。捨てる所がない。

カルチャー・クラブ、ユーリズミックス、キング・クリムゾンも毎日のように聴いていた。もちろんマイケルも。

 

 

細野氏の曲に対して、大瀧詠一が「うちの子がノリノリで喜ぶんです」

というのを、小学生の時に何かで読んだ。

 

私も細野氏の「ハイスクールララバイ」には、子供が喜ぶ音楽の要素が、全て詰まっていると思っている。

あの曲のサビメロ「100%片想い」の秀逸さは、世界音楽史上屈指といってもいい。

残念ながらYMOの曲には、イミグレートしたくなる曲がない。

テクノとして不完全というか、そもそもテクノじゃないんじゃね?

 

ハイスクールララバイこそが、テクノポップの金字塔。

余談だが、坂本龍一はテクノを頑なに拒んでいた。

坂本龍一の最高傑作は「未来派野郎」である。これに異論はあるまい。テクノを作ろうと思えば作れた。

だが、アレ以前も以降も、サカモトはテクノを手掛けていない。・・・ゲイシャガールズ?

坂本龍一はYMO時代から「僕はポップシンガーじゃないから」と、クラシック音楽家を自負していた。

坂本龍一に「テクノを作ってちょ」と要求する事自体、無理があった。

 

実は、細野晴臣と松本隆こそが、YMOなのである。

YMOを語るときに、松武秀樹の名前を出す奴は、YMOをまったくわかっていないのだ。

YMOとは、細野晴臣の一党独裁政権であり、細野イズムそのものだったのだ。

それがわからなかった奴は、細野晴臣の見た目にまんまとダマされていただけなのである!わーいわーい!!

 

 

なんじゃこの話は?!

 

 

 

YMOが解散して、ニューロマンティックムーブメント自体が下火になって、TOM★CATとCCBもいわゆる一発屋という・・・

遮二無二なってテクノ探し。

 

国内メジャーでテクノをやっているのが、うしろゆびさされ組とうしろ髪ひかれ隊だった。

アイドル嫌いのテクノ好きだった私としては、どうしようもないジレンマ。

でも、当時のフジテレビは、テクノセンスが良かった。

 

 

グラスバレー、TMネットワーク、PSY・S、岡村靖幸、松岡英明、電気グルーヴ・・・

国内に素敵なポストニューウェーブがいたのだが、私の中にスパッと入ってこなかった。

いい曲だし、いい音。でもハマらなかった。

いまはCDも集めているし、YouTubeも観ている。

 

33年前の私が求めていたのは・・・

ミーハーに媚びない、ガチンコテクノ。

 

 

 

1989年秋、遂にビビビとなったのが、ソフトバレエだった。

PVを観た瞬間、洗脳された。

アレを洗脳という。洗脳したい人は勉強しなさい。

Amazonにて発売していたりしていなかったり。価格の変動がドイヒー!

 

ボディトゥボディの伝説的名曲っぷり、遠藤遼一の新感覚イケメンっぷり、あの衝撃のダンス(笑)。

 

洗脳と衝撃。森岡賢は天才!!!!!

と、言いつつ・・・

そんなソフトバレエも、エスケープの後はエキセントリックになってしまう。

私は醒めた。

私が求めているのは、ただ単に「子供の音楽」である。

童謡をテクノポップにしてくれりゃいいだけである。

しかし難しいらしい。

 

 

・・・そんなこんなしてたら、P-MODELがテクノバンドになっていた(笑)。

神尾明朗先生のプロデュースで、ガチンコテクノに変貌した平沢進師匠。

私の身体にこびりついたウップンが全部爆発。これぞデトックス。

平沢進+シンセ=究極のテクノだった。

 

 

何なのこの話?

どうでもいいわ!

 

 

 

私は遥か太古の昔から、初期P-MODELとBOØWYは同じであると言ってきた。

しかし総スカン。わからんか?

 

平沢進師匠と布袋寅泰は、同じスタイルの音楽を源流にしている。

田井中貞利と高橋まことは、同じタイプのドラマーである。

まさにスタープラチナとザ・ワールド。見た目が違うだけ。

 

みんな、見た目の違いを全ての違いだと思いたい。でも同じ。

 

吐き出したものが、初期P-MODELはメタル・アーバンとXTC似だっただけ。

 

BOØWYは、布袋が度々言っていた・・・

「地下から『おーいこっちに来いよ』なーんて言ってんのは・・・ちょっとみっともないよね」

っていうマインド全開の「あまりテレビに出ないからこそイメージの湧くミーハー志向」だった。

 

 

なんじゃこの話!?!?

 

 

 

 

麗美最後の渾身の一撃。

1992年。

麗美がいなくなって、周りを見渡すと、80年代は終わっていた。

さようなら、昭和。

いらっしゃい、嘘とインチキの平成。

 

 

鳥無駄情報牛

そういえばこの曲、作詞は麗美だが、作曲・編曲・プロデュースは、m.c.ATこと富樫明生氏だった。

まだ無名時代のm.c.ATの作品。

 

どうでもいいわ!