プロローグ

これは、一人の人間の人生そのものであり、ノンフィクションです。

 僕は、人並みの幸せを享受していたがあることがきっかけで、うつ病を患って人生の一番大切なものをなくしました。今でも毎日死にたいと願いながらも、方法がわからずただ存在している。世の中には自分と似た境遇の人もたくさんいるのだろう。これから先は過去に遡って僕に何が起きたのかを赤裸々に綴っていこう。


登場人物

筆者:  ばーばパパ・パパ

サイコパス:  ひまわり 女性

指導員:

サリー、    エンターテイナー性がある凄い人       

たーしー、   一言で天才なんでもできる。                           

ワクワクさん、 自虐ネタで人をたのしませてくれる人        

 みきてぃ、   直ぐに色々できるようになったかわいい女性 

 たか、     秀才なんでもこなす                                      

さっち、    もと嫁の弟                

ユッキー、   さっちのあとに入ってきた女性 


上司、     威圧的な部分もあるし無茶なことも言うが、はじめは信頼してくれ重用もされて、 筆者は尊                   敬していたのだが、、、筆者が退職するまでひまわりの正体に気づかずに筆者よりもいつの間にかひまわりを          信頼していた。      


サイコパスの定義「反社会性パーソナリティー障害」特徴は、以下に記したもの

共感性の欠如、良心の呵責・罪悪感の欠如・自己中心的・操作的・衝動性・無責任・恐怖や不安を感じにくい

サイコパスは、正体を隠すのがうまく知らない人間からは、魅力的にさえ見える。



第一部

第一章ー1 人並みの幸せ

 僕は、好きな女性と結婚し二人の愛娘に恵まれ、中間管理職(施設長)で仕事も順風満々、年に二回は家族旅行にいく仲のよい家族でした。特に長女は僕にべったりのパパっ子でした。

この頃に戻れたらと毎日願うほどの幸福なときをすごしていたのだが、、、


第一章ー2 空が落ちる サイコパスひまわりとの出会い

 この先僕に起こる出来事は、表現をするのなら、故シドニーシェルダンの「空が落ちる」だと思う。

 高知県の片田舎で、国の青少年健全育成事業として、ほとんどの皆さんが宿泊訓練などで何処かの青少年の家で訪れた事があると思います。その一施設の所長を勤めさせていたのが、筆者でこの先の僕である。その、幸せがサイコパスひまわりによって、脆くも崩れ差って行くとはこの時は知る由もなかった。


第二章 青少年の家

 僕の人生で、この時が一番充実していたと思う。サイコパスひまわりが来るまでは、、、

 僕が人事異動で青少年の家に異動してきたのが30代前半、主任からの課長級と飛び出世の大抜擢だったと思う。諸先輩方を追い抜いての課長級であり、所長という施設長なのだから、当然のように反発はあった。初めのうちは若造が急に上司としてきたのだから、当然の事のように思ったが僕は、出世=偉いではなく、出世=責任が重いという考えだったのと、指導員のうち一人サリーは、年下だったがいろんな人生観を変えるほどの影響をその後うけるほど凄いひとだったので直ぐに馴染むことが出来たのだが、当時前の所長の考えで利用者が使用したあとの部屋掃除は指導員ではなく、調理員がするものと決めており指導員さんと調理員さんとの対立があった。そのなか観送迎会を用意してくれていたのだが、まだ内情を知らない筆者は、楽しみにしていて、当日前任者(前の所長)と調理員SYさんとの間で口論になり、何とも歯切れの悪い飲み会になったのを今でもしっかりと覚えている。そのサリーから話を聞いてやっと事情が分かりなんとか双方の納得がいく到達点がないか何度も話し合いをした結果、指導員さんに「掃除はしたくないの」と問いかけ、「僕は、汚れているのが嫌だからするよ。」と先陣を切ったら、では自分もやります。とサリー。結局指導員さん全員が掃除をするようになり調理員さんも納得これからは、みんなで綺麗にしようということになり、長年の対立がなくなった。(もう時効だから書くけど、僕が異動してきた当初、玄関を開けたらおしっこ臭かったので何とかしたかったが、この日から一週間もすれば全く匂わなくなった。)掃除も楽しみましょうとサリーのアイデアで古いゴムボールを電気空気入れでスイッチon別々の部屋を一部屋仕上げる度にスイッチを一回止めに行き自分の順番で破裂したら負けとゲームをしながら楽しく掃除ができるようになった。他にも天才肌のたーしー、剥げている頭をネタにわらわせてくれる指導員ワクワクさん。この頃のメンバーは、最高だったが長くは続かなかった。たーしー指導員が引き抜きにあって退職、そのあとに入って来たのがサイコパスひまわりだった。


第三章 サイコパスひまわり


第三章ー1  地獄のはじまり

 ひまわりが来てはじめの一年は、オリエンテーションすらできずに、事務補助くらいしかできなかったが、その半年後にみきてぃが入ってきて直ぐに色々なことをできるようになり、なんとか落ち着いてきた頃にその兆候が現れだした、ある日サリーが「所長、あの人大丈夫ですか」といってきたのだ。何が?と返したら「いえ、やっぱりいいです。」と返答が来たが、胸騒ぎがしてその日から、ばれないように観察をしてみたら、あらゆる作業をみきてぃに全部させてしかも暴言をはいていたのだ!すぐに、ひまわりを呼び出し注意をしたが、寝耳に水全く聞く耳を持たない話しにならないので、上司に報告するも新人がいろいろとするのはあたりまえと、「いや、あれはパワハラですよ。」と伝えても同じ返答。この日から、ひまわりの筆者に対する態度も変わった。(筆者は、向日葵がどんなときも太陽を見つめているので好きな花だったが、これ以降好きではなくなってしまった)隠す必要がなくなったとばかりに、指示の無視や反抗的な態度を取り出したのだ。それからなんども呼び出し「自分たちは、若い子を育てないといけないのに、潰してどうする💢」と何度も注意をしてもやはり寝耳に水

 話しは代わり、その間にサリーとワクワクさんが退職していたのが痛かった。彼らがいたら、なんとかできたかもしれないと、、、

 

第三章ー2  指導員たか、救世主

 青少年の家は、10年続く主催事業忍者大会が年に10回行われていたのだが、そこに大学生や高校生など様々な方たちがボランティア青年として何人も来てくれていたのだが、、、そのなか一時期サリー、ワクワクさんがいなくなったため、職員が不足しておりボランティア青年の大学院生たかと小休止で自販機の珈琲を飲みながら「あ~誰か指導員いないかな、たかとか来てくれたら最高なのに」とボソッと言ったら、なんと!「それを言ってくれるのを待ってました。」と言ってくれて、「え、ホントに大学は?」と聞いたら「休学します。」と返事が!さんざん探して、たかのことは最初に頭に浮かんでたが当時大学院生だったため無理だよな~と思っていたのに待ってましたとはもう嬉しくて嬉しくて涙が出そうだった。「早速家族会議を開いて押し通してきます」とたかから、そしてはれて指導員たかが誕生したのである。

 たかが入ってから暫くは、ひまわりの機嫌がよく束の間の平穏が訪れたが、それも長くは続かなかった。

第三章ー3 亀裂

 ひまわりが機嫌が悪いと事務所のドアをバンッ!と閉めるのでみんなが萎縮してしまい、その度にこの青少年の家には、集会室という和室があるのだが、そこで「どうしてあんな威圧的な態度をとるの?」と聞いたら、「別に」と聞く耳を持たない。因みに何かある度に随時上司に「このままではみんながやめていってしまいます」と報告していたがこちらも聞く耳を持たない。

 月日は流れ、指導員さっち(義弟)とユッキー(女性)が入ってきた。そして、まもなくたかは大学院に戻った。ある日、ひまわりとさっちが口論になり、さっちが事務所のドアをバンッ!と閉めていったので、すぐに追いかけ「あんなことしたら、あの人と同じだよ」と窘めたら、さっちから「所長いつまでも僕がここにいると思わないでくださいよ。」と怒りぎみに捨てぜりふを、、、こころの中で何で僕がそんなこと言われないといけないのかと思いつつ、まあまあとおさえた。

 ゆっきーは、「ひまわりと組ませないでください」と言って来て、その時に「気持ちは分かるけど、そうすると他の人が、ひまわりと組んで合宿を多くしないといけなくなるよ。あとの人の気持ちも考えないと、それに、上司にはほぼ毎日のようにもう、あの人を辞めさせないと全員いなくなってしまうといってるから」と窘めた。


第四章ー1  空が落ちる

 それは唐突にやって来た、ある日さっちから「森林組合の一時とおりましたので」と言って来たから「え、それは受ける前に言ってくれないと」といったら、「受かったらそっち行きますんで」と、あせって上司に電話をしたら、「どんな手を使ってでも止めろ」と無茶な事を言われて、その瞬間胸がばくばくしてきて頭のなかは逃げたい、死にたいと強烈に恐怖に襲われた。このときを表現して、空が落ちると、、、そして、この日を境に僕の鬱病人生が始まってしまった。それまでにも、上司から無茶苦茶な指令はあった。例として、当時インターネットもほとんど知らなかった僕に(Excel、Wordは得意だったが)ホームページビルダーもいれずに、ffftpからホームページを一週間で作れといわれ、血反吐を吐くおもいでなんとか仕上げたが、今回のはまさにMission Impossible(不可能な指令)だ。あれほど、報告していたのに手を打たなかったのは貴方ではないかと言いたかった。筆者が恐れていたことが起きただけである。結局鬱病になり、市長から、3ヵ月くらい休んでリフレッシュして戻って来なさいといわれたが、頼みのみきてぃ、ユッキーもやめてしまい何年かもう分からないが、その間に3人ほどひまわりが理由でやめていった。一人は若者で、ひまわりに毎日のように口臭が臭いと事務所の窓を全開にされ、歯磨きをさせられていた。ある日の朝筆者が出勤してきたら血をだらだらと流して泣きながら歯磨きをしていて、おどろいて「やめなよ」といったら、「所長、もう無理です。臭いがなくなるまで歯磨きをしてこいとひまわりに言われました。」と、、、ある男性には、「あー臭い臭い塩素プールに浸かってこい」ある女性は、明け方までキャンプ場で準備をさせられていたり、朝呆然と立ち尽くす若い子たちがいてドアを見たら張り紙があり、箇条書きで無茶苦茶な指示がかかれていた。その時は筆者が破って捨てて「こんなにできるわけがない自分の仕事をしたらいいよ。」と声がけをして、その都度集会室で話しをした。

※対処したこと

○歯磨きをさせられていた若者と塩素プールに浸かってこいと言われた男性の件

ひまわりに「人権侵害だよなんで人の気持ちもかんがえられないの」と、、、

○明け方までキャンプ場の準備をさせられていた女性の件

「労働基準法違反だから、それも若い女性に夜中に」

○箇条書きの件 

「あんなに自分なら出来るの」と聞いたら「出来んよ」との返答。もし、「僕が貴女に同じことをしたらどうする」と聞いたら「反抗する」ともちろん上司に報告したがやはり聞く耳持たず。今思えば、市長に言うべきだったと後悔をしているが、(もし)は現実の世界では結果がすべてだからあり得ない、これは筆者の痛恨のミスだと言える為いまだに反省をしている。

 話しは戻り、宿泊合宿の時期がやって来たのだ新しく指導員二名入ってきたが、ずぶの素人でそのなか上司に呼ばれ、「二人がやめたなか貴方はどうするのが一番いいと思うか」と問われ、鬱病で苦しいなかでも自分がするしかないと告げると「そうですね、それしかないですよね!」ともう、筆者の性格がわかっていたように言われて、リフレッシュ休暇はなくなった、、、


第四章ー2  宿泊訓練

 とにかく、宿泊訓練の時期まで時間がなかった。必死になってもう既になん年か宿泊訓練をしている、ひまわりに教わるしかなかった。こうして、薬を大量に飲みながらなんとか宿泊訓練もできるようになりなって5校ほど終わった頃、ばーばパパコンビ(筆者のコンビ)と、ひまわりのコンビでアンケートに差が出てきたのだ!(宿泊訓練はメインとサブの二名で一校をこなすようになっていた。)ばーばパパつまり筆者のコンビは、軒並み評価が満点であり、ひまわりのコンビは満足度がアンケートで低かったのだ。嫌な予感はしていたのだが、それを見たひまわりが一言「アンケートの評価がいいからって図に乗らないでよね」とばかりに言って来たのだ、、、もうこの頃には、筆者も萎縮してしまいなにも言えなかった。筆者は仮にも所長であり、ひまわりは一指導員でしかないのにである。


第四章ー3  限界 

 なんとか宿泊訓練もこなして、少しは自尊心が戻って来たら、宿泊訓練中は大人しかった上司が高圧的に「もう休みいらないでしょ」のようなことを言ってきた。ここで休みを下さいと言えるようなメンタルはもなかったので「はい」と返事をして、引き続き主催事業の訓練へ内容は、学校の先生やボランティア青年に対して、事業の内容をプレゼンテーションすることであり、それに向けてもう自分には人前でしゃべるような気力もなく写真や文章をパワーポイントを使って、ビデオを作り上げ講師のまぶさんに見せたら、「これはそうとう完成されているね、何年もの構想がなければここまでのものはできないよ。」と言ってくれたので、「この後、しゃべらずに終わらせたほうがいいですよね。」と聞いたら、「そうだね、せっかくきれいに終わっているからね。話しをいれると感動していた気持ちが現実にもどってしまうよ。」と言ってくれたので、心の中でほっとしたのだが、結局上司の鶴の一声によって話しを最後にいれないといけなくなり、当日、台詞は、かみかみで、震えてただしゃべって終わった。この事業の半分、ひまわりは具合が悪いと別室で寝ていたがもう僕にはなにも言う気力が残っていなかった。最後の力を振り絞っていたのだ!そう、最後の、、、

 上司には、事業当日朝「もう、僕にはどうすることもできません。」と辞表を出していたのだ。事業が終わって、直帰その後3年間引きこもった。


第一部 完