死にたいと思っているなら
何とか生きてください
死なないでください!
こんにちは
今日は、いじめの中でも
結構つらかった
お弁当のおはなしです。
今から53年前の昭和44年に
小学校に入学。
その小学校は
二つの保育園がまとまった小学校でした。
昭和44年ですし、田舎の小学校だったので
まだ学校給食は無く
(サンプル画像)
いつもお弁当でした。
プラスチック製のお弁当箱は無く
皆がアルミ製、もしくはブリキ?製のお弁当箱で
全て金属製の弁当箱でした。
冬場は「お弁当温め」の機械が出動!!!(大げさ?)
どんなものかと言うと
大きさは冷蔵庫位の大きさで
一番下に電熱ヒーターの様なものがあって
あとはお弁当を置くための棚が何段もあって
その棚にお弁当を載せておくだけの
とってもシンプルな物です。
しか~~~し!
これがとっても厄介な物で
一番上に置くと、あまり温まらない
一番下に置くと
お弁当が
焦げて
中身が真っ黒け
それが嫌だから
早めに行って
上の方に置くのですが
お昼になって
お弁当を取りに行くと
必ず
一番下の棚に
置かれていて
焦げ焦げのごはんやおかずを
食べる羽目になっていました。
(サンプル画像:このやかん懐かしい)
でも、ここでちょっと質問!
お弁当は、それぞれが同じような形をしているのに
どうしてそれが私のお弁当だと解かったのでしょうか?
それは、みんな同じような弁当箱なので
間違わないように、全員名前を書いていたからです(笑)
そんなお弁当も
いじめられた時点で
家に帰ってしまうので
お弁当は学校で食べるのではなく
放課後に、先生が自宅に持ってきてくれてから
食べていました。
その後、4年生の頃から(はっきり覚えてない)
夢の学校給食が始まり
お弁当が焦げる事は
なくなりました。
次回は「大っ嫌いだった運動会」のお話です。