二年前 母の里に 行った時の 父

 

 

 

 

雨の 一日

 

 

こういう感じ  懐かしい

 

何を するわけでなく  ゴロゴロしながら  

 

こうして  好きなことだけしてる  

 

 

ぼーっと  外見たり  ご飯作ったり  珈琲淹れたり 飲んだり  

 

本ペラペラめくってみたり

 

洗濯して  干して

 

でまた  

 

 

ぼーっと(どんだけ爆  笑)して

 

 

 

 

 

昨日話したこと

 

 

「生きているだけで 価値がある」っていうよね

 

 

「ほんと?」って  おもっちゃう。

 

 

「やっぱり  何か  しないとね。  

 

そうはいっても ね。」

 

 

って  なかなか  生きてるだけ で  いい  とは  思えんうーん

 

 

 

 

 

ついつい  なんか  やっちゃう。  少し  無理してでもさ。

 

 

 

 

洗濯物干しながら  思ったよ。

 

 

お父さんみたいに  凄ーく  頑張って生きてきても、

 

時代が変わっちゃって  今となっては  生き方の 見本  にも  なれなくて

 

(別に  ならなくて  いいんだけどね)

 

 

 

 

なんで?  あんなに  頑張ったのに  

 

 

頑張らなくても  良かったじゃん

 

 

もっと  もっと  お気楽に  生きて  

 

娘の  私達にも  慕われてさ。

 

 

 

 

そんな  生き方しても

 

 

っていうか  そのほうが  お父さんだって  幸せだったんじゃないの?

 

 

生きてる間に  私達から  好かれたほうが  良かったんじゃないの?

 

 

 

 

まじめで  働き者で  きむずかしくて 頑固で 

 

だから  私達  お父さんを  好きになれなかったじゃない

 

 

 

 

 

最近 やっと   お父さんの  本性  わかったよ

 

 

ほんとは  少年みたいに  やんちゃで  飽き性で

 

我が儘で  寂しがりで  威張りたがりで

 

お母さんが いなければ  お母さんは?  って  必ず  聞いてきて

 

「子供か?」って  私から  内心 見下されて

 

 

 

 

そんな  お父さんが   

 

 

私は   大好きだ (今ごろ?  だって  仕方ないじゃん  本性隠してたからみえなかったよ)

 

 

 

 

 

今の時代  これからの時代   お父さんみたいに  

 

 

誰も  生きようとは  思わない

 

 

もっと  軽く  明るく  楽しいことして   笑って生きる  

 

 

皆  そこを  目指してる

 

 

私も  そうだよ

 

 

 

 

だから  お手本には  しないよ

 

 

でも   大好きだし  

 

 

 

不器用ないきかたは  

 

 

愛すべき存在

 

 

 

 

 

 

 

 

私は  永遠の  ファザーコンプレックスだ。