[スター日記] サンダラ・パク⑥"トイレでチョコレートを密かに食べる私は'食い意地王'"


[アジア経済イム・ヘソン記者] 新しく書く履歴書


"最後に君が歌手ができる可能性があるのか見る。 1ヶ月後結果を持ってきて。"


試練の中で抜け出ることができなかったサンダラ・パクに一筋の光が見え始めた瞬間だった。 ヤン・ヒョンソク代表が彼女に最初であり最後の機会を与えたこと。


"一ヶ月の間死ぬほど練習しました。 私の姿を見守っていたCL、パク・ボム、コン・ミンジがたくさん助けてくれました。 計画表を作って、明け方まで練習しました。"


パク・ボムはサンダラ・パクに呼吸から発音、アクセントを与えなければならない部分まで一つ一つ教えた。 CLはサンダラ・パクの衣装をミンジは振りつけを手伝ってくれた。


"当時髪の毛の先端からつま先まで私のすべての部分はメンバーらが作りました。 その時が2008年春であったのに、今回の機会をのがせば終わりだと考えて本当に一生懸命したようです。"


ヤン代表は"初めて可能性を見た。 一緒に練習しろ"と言ってサンダラ・パクが歌手練習生になるのを許諾した。


"事実私は歌手にすぐになれるものと思いました。 でも錯覚でした。 1年の間練習生生活をしました。 YGには練習生が総6人がいたから、ヤン代表がずっと苦心しておられたことのようです。 最も似合う組合せをですね。"


サンダラ・パクは1年の間薄氷の上を歩いた。


'メンバーが6人になるのか、5人になるのかわからにない'というヤン代表の発言にサンダラ・パクは緊張の糸が切れることはなかった。 時間が流れるほどサンダラ・パクにもヒップホップが生活化になったし、メンバーらと似通っていっていた。


2NE1で活発な活動をしている今、サンダラ・パクに練習生生活は最も大切な思い出の一部分になった。


"練習生時期には小さいことにも感動を受けて喜びも更に感じたようです。 普通練習生らも誕生日やクリスマスには休みますね。 だけど大部分の練習生らは家ですることがなくて,練習室に出て行きます。 誕生日ならばみな一緒に祝って、トッポッキも買って食べます。"


もちろん良い記憶だけあるのではなくてサンダラ・パクをはじめとして、メンバーらに大変だった記憶も多い。 特に体形管理をするためのダイエットは彼女らを'食い意地王'にもした。


"体形管理のために脂っこいものは絶対食べられませんでした。 食べないようにすればさらに食べたくなるでしょう。 メンバーらと密かに出ていって,海苔巻き一本買って食べたり、お手洗いでこっそりとパンとチョコレートなどを食べたりもしました。"


サンダラ・パクは練習生時期最も思い出す食べ物で鶏のカルビを挙げた。 両親にお小遣を貰って通ったサンダラ・パクにダッカルビは最も高い食べ物だったこと。


"お小遣が少し少ないほうでした。 交通費を払えば残るお金があまりありませんでした。 弟らのご飯も買えないで申し訳なかったんですよ。 私のお金で買って食べた物の中で最も高い食べ物はダッカルビだったようです。


2008年12月31日にメンバーらとタッカルビを食べましたよ。(笑)"


他の人々より遅く練習生になったという不安感の中に練習にだけ熱中したサンダラ・パクはいよいよ練習生という荷札を離した。


"幸運が伴ったみいたいです。 昨年1月'プリティーボーイ'を録音しました。 その録音で私が大丈夫だったようです。(笑)ある日、ヤン代表様がミンジ、ボム、CL、私 4人を呼ばれると'お前らCFとらなければならないから準備しろ'とおっしゃったんです。 そのCFがLollipopでした。 その時初めて分かりました。 私が2NE1メンバーになったという事実を.."


▲サンダラ・パク スター日記7回は3月17日午前8時にアジア経済新聞ホームページ(www.asiae.co.kr )で引き続き連載されます。

元記事 矢印 アジア経済